1963年生まれ,早稲田大学卒業。東京スイミングセンターで北島康介選手を指導し,五輪2冠連覇などトップスイマーに育て上げた。アテネ,北京の五輪2大会連続銅メダル(背泳ぎ200m)の中村礼子選手も教え子。北京大会後,競泳日本代表ヘッドコーチに就任。
本日は北京オリンピックで指導した選手のことを中心に話させていただきます。
北京オリンピックで泳ぐ北島康介の映像を見てください。準決勝はすごく肩に力が入って,テンポ,泳ぎのリズムが速かったですね。スポーツでは「肩の力を抜け」とよく言われます。僕が北島の泳ぎを見るとき,飛び込んで1かき目に肩の力が入っているか,背中の力が入っているか,見るようにしています。
決勝ではすごく楽な泳ぎをしました。緊張して肩に力が入っているのと,リラックスして泳いでいるのとでは,全然違います。僕は,決勝の前に「勇気をもってゆっくり行け」という話をしました。すごく緊張して気持ちが高まっている選手に「頑張れ」と言うと,余計気持ちが高まってしまう。選手の状態によって,鼓舞するか,リラックスさせるか,考えるようにしています。
北島はロンドンオリンピックに向けて復帰を表明し,11月に私どものクラブが主催する大会に戻ってきます。
僕が北島を指導し始めたときから心がけたのは,例えば今シーズンの反省をきちっとして,課題を見つけ,その課題の克服方法をスタッフと話し合います。中学,高校から「どうすればその課題が直るのか,練習はその課題を克服するためのものなんだ。ただ頑張ればいいというものじゃない」という話をずっとしてきました。彼は完全に逆算方式です。
積み上げ方式というのは,大会に向けてとにかく練習を頑張ることです。精神面と練習の過程を重視することはすごく大切なことだと思いますが,もし,結果が出なかったとき,コーチが選手に「もっと練習しなければ」とか「精神面を強くしなければ」という抽象的なことを言うことが多いと思います。
北島は,完全に逆算方式,課題を克服するために練習があるんだという考えでいます。
銅メダルを2大会取った中村礼子は「苦しくなってから真価が出る」―そういう精神的な言葉が好きです。彼女は「こんなに練習を頑張ったんだから,記録は出てほしい」ということをよく口にしていました。彼女に「課題を直しなさい」と言っていたのですが,最終的には北島のような思考にはなりませんでした。積み上げ50%,逆算方式50%というところです。
中村はアテネのとき,100m背泳ぎで最後の10mで2人に抜かれて4番に終わりました。
その前に北島が金メダルを取っていました。200mについて「先生,金をねらいたい」と言ってきたんで,僕は「だめだ」と言ったんです。
普通だと「そうだな,やろう」と言うのがコーチとしての仕事かもしれませんが,言えなかった理由がありました。オリンピックで一番差を感じるのは3番と4番の差です。メダルを取れる,取れないというのが,本当に選手の人生を左右してしまうところがあります。それで僕は,金がねらえないのであれば,きちんと銅メダルをねらうという考えでした。
課題を克服するためには,コーチからの選手に対する理解―見抜く力だけではだめじゃないかなと思っています。
北島は指導するのが長かったので,中学,高校のときから私の考えをよく話しました。それは,指導者の意図を選手にもわかってもらいたかったからです。北島は,平井先生だったらこういうことを言ってくれるんじゃないかな,と考えている選手です。ですから,僕から北島への指示は一言で伝わります。コーチの意図を選手がわかってくれると,簡素化できるわけです。こちらの意図をわかってくれない選手は,手間暇がかかります。こちらが選手のことをわかってあげるだけじゃなくて,選手からも僕のことをわかってくれれば,一々話をしなくてもいいのになと感じるところがあります。
ティーチングとは「指示や助言によって相手に答えを与える」。コーチングとは「相手から答えを引き出し,自己決定や自己解決を支持する」ことです。
ティーチングは,頑張る癖や学ぶ癖をつけさせ,黙って頑張って,より高度なところに行く。自信や経験のない相手に「何々しましょう」と言うのは積極的なティーチング。まだ半分ぐらい依存している相手には 「何々してはどうか」と言う。消極的なティーチングと言うらしいです。
僕は「どうしたらいいんだ?」とか「どうしたいの?」とか,選手に聞くようにしています。これが指示するコーチングです。僕はティーチングとコーチングを両方使っています。
「ほめて伸ばす」という言葉がありますが,客観的に判断して,良いものは良い,悪いものは悪いとしかってあげることが必要だと思います。北島が,取材に「平井先生にはほとんどほめられたことがなかった」と言っていたのですが,良くないときに「いいぞ」なんて言っていると,本当に良くなったときに「よし,お前いける」と言っても信じてくれないと思っていたからです。
今の子どもはほめて伸ばすという指導法が行き過ぎて,ほめてあげて普通にやる。ですから,会社でもほめられて普通に仕事をすると思っているのじゃないか。しかれない大人,特にお父さんの家庭の中での問題があるのかなと思っています。
自分の役割は,水泳を通じてオリンピックでメダルを取るだけじゃなく,社会の役に立つ人間を育てていくことがコーチとしての最終目標,理想と思っています。そういうことができれば最高だと思っています。