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2009年10月9日(金)第4,274回 例会

歌舞伎に見る上方と江戸の位相

亀 岡  典 子 氏

産経新聞社 編集局文化部
記者
亀 岡  典 子 

1958年大阪府生まれ。立教大学文学部卒業。
’90年産経新聞大阪本社入社。2年間の東京本社編集局文化部勤務を含め,芸能(演劇)記者として活躍。著書に「文楽ざんまい」,「夢 平成の藤十郎誕生」など。

 新聞社で演劇担当になり,最初は戸惑いました。ある朝,会社に行きますと,十三代目片岡仁左衛門さんが90歳で亡くなったという一報が入っていました。その時,私より30ぐらい上で,70歳ぐらいの先輩の女性記者がいました。わが社の伝統芸能のオーソリティーでした。一緒に訃報記事を作り上げ,夕方になったころに「じゃ,亀ちゃん,今から行くで」と言うんです。仁左衛門さんの嵯峨のご自宅でした。ご家族の方が,親戚のように家に上げてくれて「よう来てくれはりましたな」という感じでした。後ろにくっついている私も一緒に奥の間に上げてくださって,ご遺体に手を合わせてご冥福をお祈りすることができました。あまりの自然の対応にびっくりしてしまいました。先輩と2人で帰りながら,古典芸能を担当するということは,ここまで取材相手に深く食い込んで信頼を得ないといけないのかと,責任の重さに深い思いを抱いたことを今でも覚えています。

「荒事」と「和事」

 その仁左衛門さんは,上方歌舞伎の再興に生涯を捧げた方で,歌舞伎は江戸歌舞伎と上方歌舞伎に大きく分けられます。江戸歌舞伎は,江戸時代の元禄期に初代団十郎,今の団十郎,海老蔵の祖先が創始した勇ましい「荒事」が核となっています。一方,上方歌舞伎は,初代坂田藤十郎,(大阪RC会員の)中村翫雀さんのお父様の現在の坂田藤十郎さん,血はつながっていませんが,その初代が創始した「和事」といわれるはんなりとした色気のある芸です。この両方が両輪の輪のように並び立って,歌舞伎は発展してきました。

  上方歌舞伎と江戸歌舞伎の違いの中に,文化的なおもしろさ,歴史,町の違い,人々の気質の違いが今でも生きていて,300年前も今も変わらないと思うことがよくあります。

  この12月の南座の顔見世で,「封印切」というお芝居が出ます。原作は近松門左衛門の「冥途の飛脚」,舞台は大坂で,淡路町の飛脚問屋の養子忠兵衛が恋人の新町の遊女梅川を,預かった金で身請けしてしまう物語です。分かると死罪で,悲劇しか待っていないというお話です。上方のお芝居の典型だと思います。テーマがお金で,経済です。大坂は天下の台所,商人の方が一番力を持っていました。

  商人,遊女,その遊女も,梅川は下級の方の遊女という庶民たちのお話です。普通の人々が経済の問題からのっぴきならない状況に陥っていく,運命の不条理を歌舞伎は悲劇と喜劇をないまぜにしながら描いている。

  忠兵衛が短気な男だったり,ちょっとユーモアがあったりして,笑いがところどころにあります。それに,忠兵衛は絵に描いたような二枚目ではないんです。

  江戸歌舞伎だとそうはいきません。同じ遊郭が舞台の「肋六」というお芝居がありますが,吉原で活躍する主人公の助六は,ものすごくかっこよくて,江戸一番のいい男です。遊女も違います。ヒロイン揚巻は,すごくプライドがあって,好きじゃない男には絶対なびかない。悪態のひとつもつく,胸のすくような女としてつくられています。

型より心

 人気のお芝居「仮名手本忠臣蔵」に,「勘平腹切」という場面があります。主君の大事に,家来の勘平は恋人と逢い引きをしていました。勘平はすごく罪の意識を感じて出奔し,恋人の実家に身を寄せて猟師をします。あることからお舅を殺したと思い込んで腹を切って死のうとする,そういう場面です。

  勘平が活躍する場面で,江戸歌舞伎は勘平が家に帰ったらすぐに浅黄色(薄い水色。死に装束)の紋服に着替えます。ものすごくきれいです。薄い水色を着た勘平は,美男の象徴として描かれます。上方歌舞伎では,汚い猟師の格好で帰ってきて,そのままです。

  江戸歌舞伎は,洗練,様式美,美しさを追求している。上方歌舞伎は,リアリズムというか写実的な感じ,人間くさい。歌舞伎として同じ演目でも,演出が違っています。

  江戸歌舞伎は「型」,演出を大事にします。上方は「型よりも心だ」とよく言われます。江戸歌舞伎の場合は,初役をやるときは先輩から「型」を教えられます。その「型」を習って,まずその通りやる。上方は,先輩から教えられた通りやると「お前な,なんか自分で工夫でけへんのか」と怒られると言います。江戸では,先人の型通りやらないと物を知らないと笑われる。上方は,工夫がないと笑われる,そういう違いがあるそうです。

「匂い」が大切

 上方歌舞伎は今,再興の兆しをようやく見せ始めています。昭和20年代以降,多くの上方の俳優さんが東京に移り住みました。大阪では興行がないから引っ越して行ったんですが,今また帰ってきている大阪の役者さんが増えています。まだまだ少ないのですが。

  上方歌舞伎で大切なのは,「匂い」とよく言われます。風情とか,雰囲気,言葉で言えないものだそうです。こちらの人々と一緒に生活して,その感覚,考え方を,町を歩きながら,自然に身につけていくものじゃないかと思います。そういうニュアンス,空気感というものがフワーッと匂ったときに,上方歌舞伎は非常に豊かなものとして,私たちの心に深く入ってくると思います。

  東京一極集中が進みましたが,上方は歴史があるし,独自の文化があって豊かな町だと,私はすごく誇りを持っています。

  歌舞伎は今を生きている芸能です。上方歌舞伎,芸能,芸術,文化,経済が,みんな一緒になって隆盛していけば大阪,上方はもっと豊かな町になると思っています。私も頑張っていい原稿を書きたいと思います。是非皆様,上方歌舞伎を応援してください。