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2009年9月11日(金)第4,270回 例会

青いバラ

田 中  隆 治  氏

技術監・理学博士
(財)サントリー生物有機科学研究所
副理事長
田 中  隆 治  

1946年生まれ。’69年金沢大学理学部生物学科卒業。’71年神戸大学大学院理学研究科修士修了。’78年大阪大学理学部論文博士号授与。’71年サントリー(株)中央研究所入社。ヘルスケア事業部長,取締役基礎研究所長・健康科学研究所長などを歴任,現在に至る。

 サントリーは1899年(創業),大阪の地で鳥井信治郎が赤玉ポートワインの製造を始めました。ウイスキー,ビールを作り,今では酒のメーカーと言うより飲料会社です。赤ワイン,ウイスキー,ウーロン茶の色,すべての中に入っているのがポリフェノールという化合物です。私はサントリーの最も強い分野,ポリフェノールをうまく応用した商品を作ろうと考えました。最初に作り出したのが健康食品のセサミンで,最後に行き着いたのが花です。大半の植物の花の色はアントシアニンというポリフェノールで,ワインの赤,ワインの黄色です。バイオテクノロジーの世界をうまく組み合わせて新しい花ができないかと考えました。

4大切り花に青はない

 今から20年ほど前,佐治敬三さんにそういう花のお話をしました。ポリフェノールの話をして,「青いバラ」が世の中にないと言いました。バラだけではなくて,青いカーネーションも,キクも,ユリもありません。世界で売れている「4大切り花」に、青の花がない。 バイオという新しい技術とポリフェノール科学を組み合わせていくと,サントリーの技術も上がるし,うまく売れるのではないかと申し上げると,佐治さんは「やってみなはれ」ということでした。「どれぐらいで,できるねん」と言われまして,「5年もあったらできます」と最初は大ぼらを吹いたわけです。その後15年かかりましたが,その間にいろいろな苦労をしました。 青い花をつける遺伝子から青色遺伝子を取り出してバラに入れてみましたが,何年たってもバラは青くなりません。細胞も青くなりません。その酵素は発現されているのですが,バラは青くなりません。

3人の研究者が成功導

 5年過ぎて佐治さんに呼ばれ「できたか」「全くできません」という話で,バラは全然青くならないけど,研究者の方は皆青くなっていました。「いつできるんや」「もうちょっと待ってください」ということでした。 バラにこだわっていても仕方がないから,カーネーションでやりますとうまくいきました。オーストラリアの研究所と一緒に研究しました。1997年にカーネーションを市場に出すことができました。昨年度,青いカーネーションを5種類作って販売していますが,アメリカ,ヨーロッパでは大変よく売れて約2,000万本,日本では約200万本売れています。 それで私たちが思ったのは,理屈は分かっていてもなかなかうまくいかない分野でどういう要素が必要かというと,やはり最後はやり遂げる人間だということです。 うまくいったのは,3人の優秀な若い研究者がいたことです。遺伝子を植物からうまく取り出す技術を持った人,遺伝子を受け入れやすい細胞を作る技術を持った人,その遺伝子が入った培養細胞をもとのバラに再生させる技術を持った人,そういう人たちが必要で,若い研究者がやってくれたわけです。 サラリーマンで15年もやっていて,もしできなかったら。私はそれを非常に気にしていました。うまく当たらなければ,会社の中で誰も認めてくれません。「これやっていて,うまくいかなかったら出世しないかも分からない」といつも言っていました。でも,この3人は「面白いからかまわん」と,やり遂げました。そういう人が大切で,人を大切にする会社が長い時間をかけて成功する秘訣だと思います。

サントリーの企業精神

 (青いバラをつくるまで)最初は5年と言ったのを,役員さんは皆知っています。全然できない,いつになったらできるんだという話で,10数年たった時にやっぱりたたかれるわけです。もう,いいかげんにせい,やめたらどうかと言われました。 佐治さんが「ちょっと来い,教えたる」と声を掛けてくださり,何かと言うと「イギリスの国の花は知っているか」「バラです」。イギリスは,ウェールズとイングランドとスコットランドの3つに分かれていて,ウェールズのシンボルカラーが白,イングランドが赤,スコットランドが青です。白と赤のバラはありますが青いバラはない。 サントリーはウイスキーの製造技術をスコットランドから学んで成り上がった会社です。「青いバラを作ってスコットランドに感謝すれば研究の大義名分ができる。役員会議でそう言え。そうしたら,ウイスキーを売っているやつもそれはいい話やと思って皆黙る。それでもうちょっと続けろ」と教えてくださいました。「最後,そうやって話を落とす。それがそろばんが合うという仕事やで」とおっしゃいました。「仕事をして最後,そろばんが合う」,大阪商人の最も典型的な話ではないかと今でも思っています。 1999年11月3日に佐治さんが,お亡くなりになりました。そこから5年の時間がかかって,青いバラが出来上がりました。 (スクリーンの)この写真は来年から売り出される青いバラです。記者会見の時,新聞記者や周りの人が「これは,ふじ色か紫やないか」と言いましたが,私は科学をやっている人間ですから「青や」と言い切りました。 本当の青は大変複雑な構造で,空のような青はこれからの課題です。今も若い人たちはチャレンジをしながら,頑張っています。 佐治さんは「本当に自信があるのやったらやってみなはれ。お前の理屈はええから,理屈どおりいくかどうか,やってみな分かりまへん」とおっしゃいました。これがサントリーの企業精神だと心にとめて,もっときれいな青いバラにして市場を獲得していきたいと思っています。