藤岡幸夫氏=1962年生まれ。指揮を故渡邉暁雄,小林研一郎に師事。ショルティのアシスタントを務める。慶應義塾大学文学部卒業後,英国王立ノーザン音楽大学指揮科卒業。’92年サー・チャールズ・グローグス記念奨学賞受賞,マンチェスター室内管弦楽団首席指揮者,日本フィル指揮者を歴任。イギリスを拠点にヨーロッパ各地で活躍。’00年より関西フィル正指揮者,’07年4月より同管弦楽団の首席指揮者に就任。英シャンドスと契約し,BBCフィルと7枚のCDをリリース,’02年度渡邉暁雄音楽基金音楽賞受賞。
西濱秀樹氏=1971年大阪生まれ。関西学院大学社会学部卒業。’95年関西フィル主催のシンポジウムでの発言をきっかけにして’96年関西フィル事務局に入社。企画・営業・広報などを手掛ける。’03年楽団のNPO法人化を機に理事・事務局長に就任。コンサートでは司会も手掛けている。
西濱氏 関西フィルハーモニー管弦楽団は,1970年に発足しました。その後,たくさんの方に応援いただき,2003年に法人化を果たし,NPO法人として再スタートしました。
阪神大震災の際に関西フィルも甚大な被害を受けました。そのときが一番の苦難の時代でした。町に根を張ったオーケストラを目ざしていこう,そこから誇りあるものを発信しようということで,事業を再編し新たなスタートを切りました。そのときに出会ったのが藤岡さんでした。藤岡さんは,シベリウスの国際的権威で恩師の渡邉暁雄さんの魂を継いでいます。
藤岡氏 僕はBBCフィルハーモニックという若い指揮者をいじめるので有名なオーケストラでデビューしました。僕が指揮台に立ち,「ここはこうやってお願いします」と言うのですが,僕より年上の弦楽器の首席奏者が「俺は若いころ,カラヤンと一緒に何度もやっているが,そんなやり方はやったことがない」と言われ,「そうですか」と言って先に進みました。そうしたら休憩時間に団員さんから「お前はカラヤンじゃない。サチオ・フジオカだろう。あんなことを言われて引き下がるな。お前は思いが足りないからだめなんだ」と言われたんです。それがデビュー最初の洗礼でした。指揮台に立つというのは,自分はこうやりたいという強い思いが必要だということを学んだいい機会でした。
西濱氏 BBCフィルハーモニックで,ショルティというカラヤンに並ぶ大指揮者との出会いがあります。
藤岡氏 ショルティのアシスタントをやったときは,非常に緊張しました。彼は与えられた時間を目いっぱい使って,ヘトヘトになるまでリハーサルしました。僕は心の底から,こんな指揮者になりたいと思いました。練習後,彼の部屋に行って「今日の練習はすばらしかったです」と言ったら,たった今使っていた手あかのついた指揮棒を僕にプレゼントしてくれて,「指揮台に立ったら絶対あきらめるな」と言ってくれたんです。今でもそのときの言葉を大切にしています。
西濱氏 もうひとり,ヘブラーという世界を代表するピアニストとの美しいエピソードがあります。
藤岡氏 ヘブラーと共演し,4回連続で演奏会ができるというのはすばらしい経験でした。同じプログラムのコンサートがいろいろな町であったのですが,4日目のコンサートホールは場末の映画館で,ひどいところだったのです。ピアノもボロボロでした。
本番前に彼女が座ってピアノを弾き出したとき,誰が聴いても本当にひどい音がして,ヘブラーはキャンセルするか,怒って帰ってしまうんじゃないかと思いました。そのときヘブラーはニコッとして,「サチオ,本番まで私をひとりにして」と言ったのです。
彼女はひとりで本番までの間,ステージでずっとそのピアノを弾き続けました。そのピアノの癖を全部頭に入れていたわけです。僕は,ひとりでピアノを弾き続けている彼女を遠目で見ているだけで,とても近寄れませんでした。いざ本番を迎えて,ヘブラーがそのピアノで弾き出したときには,全く違うピアノの響きがしました。これは,僕が指揮者になって一番ミラクルな体験でした。
演奏が終わって僕がヘブラーに「本当にすばらしい。あなたは魔法を使ったの?」と言ったら,彼女はニコッとして「もちろん。私はプロなのよ」と言ったんです。彼女はピアノが悪いとかそういうことを言わないでやり遂げた。そのプロ根性に感銘を受けました。
西濱氏 ヨーロッパでの長い活動を続けられてきた藤岡さんが,関西フィルと出会います。1998年のことでした。
藤岡氏 それまで主にヨーロッパで仕事をしていたのですが,関西フィルと初めて出会ったときに,すばらしいと思いました。そのとき思ったのは,日本は東京に集中し過ぎるということです。それが続いている間は,日本は後進国だと思っています。東京以外の町がどれだけステータスと力を持つかが,これからの日本に重要だと思いますが,クラシック界も東京集中です。それを僕は変えたいと思いました。神様が何で僕を指揮者にしてくれたんだろうと考えたときに,自分が愛する日本で何ができるんだろうという気持ちを強く持ちました。関西フィルと出会ったとき,「これは天命だ」と思いました。
西濱氏 指揮者契約をするとき,「藤岡さん,関西フィルのキャパシティは,今この手帳ぐらいの大きさです。これを新聞紙ぐらいにまで広げたい」と言ったんです。藤岡さんは「よし,望むところだ」,そんな心意気で来てくださいました。
藤岡氏 普段クラシックを聴かない方にも足を運んでいただける工夫をし,できるだけすそ野を広げたい。一方で,最先端を行くような挑戦的な活動をしたいと思っています。僕は関西で心血を注ぐ覚悟でやっております。