1937年生まれ。’60京都大学文学部フランス語学科卒業。’61~’62年パリ大学,’62~’63年フロレンス大学に留学。’64年3月京都大学フランス語科修士課程中退。同年4月栄光時計(株)に入社,’82年社長に就任。’80年当クラブ入会。’85年幹事,’88年S.A.A.,2002年副会長・理事,’03年会員増強委員長を歴任。
PHF・米山功労者。
今年の家族旅行は松山でした。夏目漱石の小説「坊ちゃん」の舞台です。漱石は,個人と社会のかかわりについて一生悩み抜いた人で,「坊ちゃん」にもそれがよく出ています。初めて学校へ行った日に校長から辞令をもらい,教育の精神についてとうとうと長談義されます。坊ちゃんはそんな立派なことはできないから,「辞令はお返しします。やめさせてもらいます」と言います。校長は「今のはただ希望であって,希望どおりできないのはよく知っているから,心配しなくてもいいよ」と笑って押しとめとどめます。現代風に言ったら,坊ちゃんは空気の読めない男,KYということになるかもしれません。
私は,3年前に会長を引き受け,準備の1年間に地区の会長研修会に出て話を聞いて,ちょうど坊ちゃんのように,自分は会長の器ではないなあと大いに悩みました。
このクラブは,建前と本音の距離がごく短い。皆さんとお話していると,本当に素直に聞ける。すばらしい。長年いるのに何もロータリーのことを知らない。しかも居心地がいい。自分にとってロータリーとは何だと考えることから始めました。皆さんは何かの機縁で会員になられ,自らの意思で入られた方はほとんどいないと思います。しかし,今は愛着を持っておられる。だから,忙しくても多少無理して出席される。その愛着心を増やすようなことをすれば,会長の役が果せるんじゃないか,と居直ることにしました。
広辞苑にはロータリークラブのことを「社会奉仕を行動の指針とする国際的社交団体。1905年アメリカに起り,12年国際組織となる。各成員が輪番に会場を受け持ったところからの名」と書いてあります。英米人から見たらどうかなと思って,ポケット・オックスフォード・ディクショナリーを引いてみたら,「ビジネスに従事する人々の世界的な社会組織。全国に支部を持って,人々のための奉仕活動を行う」とあります。恐らくこれが基本だなと思いました。
社会奉仕とは私にとって,自分以外の人に無償で役に立ちたいという気持ちで集まって行動したり,お金を出したりすると解釈するだけでいいんじゃないか,と考えました。
宝石の仕事でスリランカに行ったことがあります。雇ったハイヤーの運転手が乞食さんにしょっちゅう小銭を与えるんです。運転手も私から見たら十分貧しい。「貧者の一灯」をまさしく実践している。感激しました。
西欧で生活するとよくわかるのですが, 西欧人は直接に利害関係のない公共の場所では実に親切です。ちょっと体が触れても「アイムソーリー」「エクスキューズミー」と必ず言います。パリの地下鉄では,電車の扉が閉まりそうになって向こうから乗客が駆け込んで来ると,満員でも中からドアを開け,「詰めてやってくれ」と入れてやります。
ところが,いったん利害が絡むと,彼らは実に手ごわくなります。西欧ではここからが勝負であって,交渉が始まる。個人と社会のあり方を考えさせられることが非常に多いと思います。弁証法という,学問というか,形式が日本でも大流行したことがあります。対立する二つの概念から検討を加えるうちに新しい創造的な概念が生まれてくるという考えですが,西欧風の個人の対立の激しいところから生まれたものだとつくづく思いました。
そういう意味で日本人は,パブリックの感覚は鈍いと言われています。プライバシーが確立していて,なお互いを尊重する前提があって初めてパブリックが成立する。これが,もうひとつ理解されていません。
私は「寅さん」の映画が大好きです。「それを言っちゃおしまいよ」というセリフがよく出てきます。人と人との間には触れてはならない話題が存在し,そこに触れたときに人間関係が崩壊してしまう。議論の及ばない世界が日本には存在するのです。
しかし,住所録は配らない,住所も言わない,電話も名前も載せない…では,今の社会で人間関係は成り立たないと思います。自分の中に閉じこもって,パブリックなものはテレビしか接触しない。こういう世界は異常です。幸い,われわれのクラブはそういう世界からは完全に免れています。
気の毒な人を見てかわいそうと思ったら,難しい言葉ですが,惻隠(そくいん)の情がわいたら,1,000円でいいから,お布施と災害時の義捐金はいただこうと考えました。協力していただき,本当にありがとうございました。出す,出さないは個人の自由です。する人もしない人もあって,この世の中はいい,といつも考えていました。
ニコニコも同様です。「習うより慣れろ」と申します。ぜひ慣れてください。先ほど報告いただき,1,000万円近い数字になったということで,本当にありがとうございました。
ロータリーの綱領では,会員は政治,宗教,肌の色にとらわれないことをうたっています。一種の理想主義が根底にあるように感じます。この精神が,世界の150万人の会員をつないでいます。利害をともにするより,将来のよい社会をつくる夢をともにしようとする一種のユートピアであり,少なくとも私たちは,1週間に1時間はこのユートピアの市民になっていると思います。
本年度の大阪RCの一番大きな行事は,12年に1度回ってくるインター実は,私にとっての本当の楽しみは,この週に1度のお付き合いです。普段お話もできないような地位の方とでも,気軽に談笑できる雰囲気です。会員は互い良識の範囲で交際し,しかも親切でユーモアがあって,程よい距離の交際。数人でのテーブルミーティングたるや,語り手と聞き手が程よく交代し,座談の楽しみを味わわせてくれます。会費が多少高いのはやむを得ないと思います。良いものは高いのです。
さて,会長を務める私の義務として,この週1回のお付き合いの楽しさを上昇させるにはどうすべきかを考えました。
まず,「論語」のことを考えました。「朋(とも)あり,遠方より来たる,亦(ま)た楽しからずや」。これは実施されています。「人知らずして慍(いか)らず,亦た君子ならずや」も皆さん実行しています。「学びて時にこれを習う,亦た説(よろこ)ばしからずや」は卓話などで実行されています。
さらに,ロータリー学の方は,IMや年次大会に参加していただければいい。これは皮肉で申し上げているのではありません。行けば必ず収穫はあります。これまで行かなかった私が言うのですから,間違いありません。
ロータリーには「四つのテスト」があります。ごく簡単なルールをつくって行動の規範にすることは大切です。日本の資本主義の確立者とも言える渋沢栄一がつくった,次のような「四つのテスト」があります。
1.道理正しいかどうか?
2.時運に適しているかどうか?
3.人の和を得ているかどうか?
4.おのれの分にふさわしいかどうか?
「おのれの分にふさわしいかどうか」というのは日本的で,英語に訳してもよくわからないかもしれません。会長職は私にとって分不相応でしたが,せめて会長としてやることは,分にあった行動をと考えました。何とか1年持ちこたえられたのは,85年の当クラブの伝統と皆さんに支えられたものです。
終わりに当たって,論語の一番終わりの部分で締めたいと思います。
「子曰く,命(めい)を知らざれば,以て君子たること無きなり。礼を知らざれば,以て立つこと無きなり。言を知らざれば,以て人を知ること無きなり」
これを,1年間を振り返っての,皆さんへの感謝の言葉にしたいと思います。
卓話者紹介 : 1939年生まれ。’64年慶応義塾大学法学部卒業。同年4月大丸入社,’87年本社営業企画部長。’91年大丸オーストラリア代表取締役。’96年大丸常務取締役,’97年3月社長,’03年取締役会長兼最高経営責任者。現在J.フロントリテイリング社長。’98年当クラブ入会。2001年度国際奉仕委員長・理事,’06年度会長。PHF・米山準功労者。
小谷さん,幹事さん,各委員長の皆さん,1年間ご苦労さまでした。
小谷さんは,会長を務められた1年間のうち,1度だけ欠席されました。どっかでひっくり返ってケガをされ,しかも,その後,車椅子に乗って出席されました。責任感の強さでもロータリーの鑑だという気がします。 ちょっと表現が悪いかもしれませんが,ひげ面がよくお似合いになります。そして,すばらしい文化人でいらっしゃる。時計屋の社長さんではもったいない。大学の先生をされた方がいいと思うことがあります。すばらしい知識にユーモアを交えてお話しになります。多くの子クラブ,孫クラブの周年行事にも行ってお話されるわけですが,大変評判であったと伺っています。
2006年3月,小谷さんが「スイスの時計」ということで卓話をされました。天智天皇の水時計とか,マリーアントワネットの複雑万年時計の複製が1億6,000万円というふうなお話をされたのが印象に残っています。 会長をサポートする幹事役は,塩野さんが病気になられ,樋口さんを中心にして元幹事さんで変則的な運営をされたわけですが,クラブを立派に導いてこられ,情熱に頭が下がる思いです。記憶に残る名会長であります。 加えて,私のときに引き続いて幹事をほぼ2年お務めいただきました樋口さんにも,感謝の拍手をお送りしたいと思います。
そして,私の無理な願いを聞いていただきました次年度の会長の錢高さん,どうぞよろしくお願いいたします。