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2008年6月13日(金)第4,211回 例会

チューリップとたたみ

Dirk Jan Kop 君(外交官)

会 員 Dirk Jan Kop (外交官)

1958年生まれ。’84年オランダ・ライデン大学卒業。在モスクワ大使館三等書記官や在ウイーン国連オランダ政府代表部公使などを経て’05年8月から現職。当クラブ入会’07年。

 (風車と茶室の写真を示しながら)風車はいかにもオランダ的な風景ですが,実は千葉県佐倉市のふるさと広場にある風車です。一方,このいかにも日本的と言える茶室と庭園ですが,これはオランダにあります。私たちは,ともすれば型にはまった(ステレオタイプな)ものの見方をしてしまうのですが,国際関係においても同じようなことが言えます。日本の方に「オランダについてどのようなことをご存じですか」と尋ねると,たいていチューリップ・風車・チーズといった答えが返ってきます。

 こういったステレオタイプを観光客が求めるわけですが,実際,今どの程度国を反映しているかというのは疑問です。私たちの持つステレオタイプを確かめるために,ここからは日本とオランダの関係を見てみたいと思います。

400年超える日蘭関係

 オランダ船デ・リーフデ号が2年間の航海を経て,1600年4月に日本に漂着しました。これを皮切りに,何世紀もの長きにわたる日蘭関係が始まったわけです。1639年以降,日本が鎖国の道を選び,唯一オランダ人だけが徳川幕府から認められる形となりました。これは,オランダ人が交易による利益とキリスト教の布教を区別して考えたからです。1609年には日本とオランダとの国交が樹立されましたが,1641年にオランダ人は出島(長崎港に浮かぶ扇状の人工の小島)の地へ退去するように命じられました。これによってオランダ人と日本人との接触は厳しく規制され,幕府との協議,江戸参府,遊女との接触の3つの場合に限られました。

 文化交流もかなり厳しく規制されました。幕府は,実用的な情報を求めていました。例えば,医学・数学・物理学・化学・植物学などです。オランダからの情報は,日本の通詞たちによって入念に翻訳され,蘭学(オランダの学問)として知られるようになりました。最初は長崎周辺から始まりましたが,それから各地に蘭学研究所が立ち上げられて,知性あふれる日本人が数多く集まってきました。

 しかし,オランダ人が出島で認められていた特別な地位は,アメリカのペリー提督が近代的な武装艦隊を率いて来航した1853年に終わりを告げました。

戦争はさみ悲惨な時代

 1896年に日本とオランダの間で締結された貿易協定によって,日蘭関係の第二期が幕を開けます。オランダ,オランダ領東インド(現在のインドネシア),そして急速に拡大する日本との三角関係です。日本とオランダ,そして日本とオランダ領東インドとの貿易は着実に伸びていったものの,オランダ政府やオランダ領東インドは日本を警戒していました。ゴム・石油が豊富なオランダ領を日本がねらっているのではないかと,疑心暗鬼になっていたのです。比較的調和のとれたオランダと日本の関係も,1931年に日本が中国と満州を侵略すると同時に終わりを告げました。1941年6月には,日本とオランダ領東インド両政府間の貿易協議が決裂しました。

 続いて日本はフランス領インドシナに進駐し,アメリカは日本への石油輸出を1941年6月27日に禁止し,バタビアの政府もこれに加わりました。日本が真珠湾攻撃を行った1941年12月8日,オランダ領東インドの総督は日本に宣戦布告をしました。日本はジャワ海での戦闘でオランダ海軍を破り,その後オランダ領東インドを侵略していきました。1942年3月8日,オランダ王立植民地軍は正式に降伏しました。これは日蘭関係における最も悲惨な時代の前触れでした。

 戦後,サンフランシスコ平和条約が1951年に締結され,オランダと日本は,再び直接的な二国間関係を持つに至ったわけですが,両国間の不均衡は増すばかりでした。オランダのインドネシアやニューギニアにおける地位は低下し,消滅する中で,日本は経済大国へと成長していったからです。

共通点が多い日蘭両国

 1964年の東京オリンピックで,意外にもオランダの柔道選手アントン・ヘーシンクが金メダルを獲得したことで,日蘭関係の新たな時代が始まりました。

 チューリップと風車とチーズの国オランダは,考え方によっては,麻薬取引が自由で,中絶や安楽死が合法化されている国というイメージにとって代わられました。日本とオランダは,君主国で安定した民主主義国家であり,世界でも裕福な国家の一つで,複雑な高度技術,サービス志向の社会であります。人口は1,600万人強。非常に人口密度が高く,長年自然災害に苦しんできました。日本は地震や津波,オランダは洪水であります。

 世界最大のロッテルダム港,ヨーロッパ第3位の貨物空港であるアムステルダム空港,高速鉄道,ヨーロッパの全道路輸送会社の3割を擁するオランダは,ヨーロッパの物流センターです。子どもは,学校で英語・ドイツ語・フランス語を学びます。そのような国際志向や,ハイテク環境,好都合な財政風土によって,オランダは外国企業にとって最高の進出先となっています。400社以上の日系企業がオランダに進出し,今では3万以上の直接雇用とそれを上回る間接雇用を生み出しています。

 私たち人間は,世界中どこの国に行っても大体同じです。赤い血が流れ,食べたり,飲んだり,眠ったり。おもしろい人も退屈な人も,優しい人も意地悪な人もいる。うれしいときもあれば,さびしかったり,悲しかったりするときもあります。ですから,私たちは99%は同じと言えましょう。残りの1%が文化の違いだと思います。さらに,地球がますます小さくなり,グローバル化が進むにつれて,その1%の文化の違いもだんだんと似通ってくるはずです。したがって,ステレオタイプはまさにステレオタイプに過ぎません。