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2008年5月9日(金)第4,206回 例会

岡倉天心著「茶の本」に見る茶の湯

藤 井  宗 悦 君(文 化)

会 員 藤 井  宗 悦  (文 化)
(本名・公三)

1949年生まれ,’71年龍谷大学卒業。’74年に裏千家茶道研究所卒業,’01年茶道裏千家・正教授拝命。同年に当クラブ入会。

 日ごろ,茶の湯について「茶道の流儀の数は」「三千家は,いつどのように成立したのか」などと尋ねられることがありますので,この辺から話を進めます。

 茶道の流儀を大きく分けますと,「侘び茶」と言われる庶民のお茶と「大名茶」と言われる武家の茶に分かれると思います。侘び茶は利休の子孫の表・裏・武者小路の三千家。それ以外は,武士や大名が茶の湯にのめり込んで一派をなした武家の茶道です。

三千家の成り立ち

 では,私ども裏千家をはじめ三千家は,いつ,どのように分かれたのか。

 千利休は禅の精神を取り入れて「侘び茶」を完成させましたが,秀吉の怒りを買い,切腹という形で死を賜りました。その後,千家の再興が許され,利休の長男の道安が堺の千家を,娘婿の少庵が京の千家を継ぎます。

 少庵の子の宗旦が3代目を継ぐのですが,4人の息子と1人の女の子がおりました。次男の宗守が京都の武者小路という通りで千家を興し,武者小路家を再興します。三男の宗左は紀州徳川家に召し抱えられ,宗旦は宗左に千家を譲ります。これが,表千家になる訳です。

 宗旦は,四男の宗室を連れて隠居します。宗室も千家を興し,これが裏千家の始まりです。

 それぞれの家が独立するようになり,江戸時代の終わりに三千家として確立した,と言われております。

 前置きが長くなりましたが,本題の岡倉天心の「茶の本」の説明に入ります。

 この本は,今から100年前に書かれた茶道の古典です。一昨年9月に東京で「茶の本刊行百周年記念岡倉天心国際シンポジウム」が開催されています。

茶道は総合芸術

 この本には2つの特徴があります。1つは茶道を総合芸術としてとらえ,茶の哲学と天心自身の芸術論を著した本であります。

 もう1つは,この本は明治39(1906)年に『THE BOOK OF TEA』という題で,英語で出版しています。これが書かれた時代は文明開化の号令の下,西洋のものが何でもよくて,日本のものはよくないという風潮がありました。廃仏毀釈により,日本の美術品が海外に流出した時代でもあります。

 岡倉天心は,その明治時代の美術運動家として,余りにも有名です。彼の目指したものは,日本の伝統にのっとりながら新しい美術を創造するという主張でした。天心は橋本雅邦や横山大観らを引き連れて東京美術学校の校長職を辞し,日本美術院を創設します。

 彼らが目指したのは,バルビゾンという,19世紀のフランスの自然主義的な風景画でした。財政的に困窮していましたが,東大在学中に恩師フェノロサの通訳をした縁で,米国のボストン美術館の東洋部長顧問の職を得ておりまして,その仕事のかたわら,この「茶の本」を完成させています。

 この本は,7章で構成されています。第1章「人間性の一碗」の冒頭に,「茶道とは日常生活の些細な事柄に美を見出し,賛美し,それを礼賛することである」と言っております。また,精神性を重んじる東洋と物質文明の西洋を対比させて,「西洋もまた東洋から学ぶことがある」と言っております。それは「茶の心に表現される東洋の精神性である」と言っております。

 第2章の「茶の流派」では,茶の歴史を言っております。

 陸羽の著した「茶経」をひもときながら,茶はまず薬としての飲み物から始まり,美的な追求へ発展し,最後に毎日の生活を高める宗教哲学的なものに変化していくのです。

 茶の歴史について,3つに分類していて,唐の時代は「団茶」と言って茶を蒸して団子状につき固め,それを削って,煮出して飲むものなんです。天心は,これを「古典派」と言っています。

 2番目は,宗の時代の「抹茶」,これが先ほどからお話ししているお茶のことです。お茶を粉にして泡立てて飲むのですが,天心は「ロマン派」と言っております。明の時代の煎茶,今の緑茶を「自然派」と称しています。

 その中で,天心は抹茶を一番,好んでいます。抹茶は道教の精神を取り入れて自己を知る手段としていて,日本でも鎌倉時代に栄西禅師が宗の南方禅を学びに行き,帰朝とともに抹茶を紹介し,抹茶がそのまま日本に受け継がれていくのです。

 第5章の「芸術の鑑賞」の中では,天心は「芸術鑑賞とは,作品と作品を観る人との精神的コミュニケーション,つまり心が通い合うことである」と言っております。芸術において,技術よりも作家とその作品に見られる精神性を重んじていたことが明らかです。

 最後の第7章の「真の茶人とは」では,自身の生きざまを投影させながら,彼の人生観を語りかけております。

 彼は父の勧めで英語を習い,自分の意見を堂々と英語で主張することができました。また漢詩・南画・箏曲・茶道を習得したという文化的教養,芸術的素養がありました。総合芸術である茶道を理解する十分な素質・素養を備えていた,と思います。

実生活への反映

 天心は,「茶道を実生活に反映させてこそ初めて茶人と言えるのだ」と言っています。現代社会に生きる私たちが茶の心から学ぶことがあるとすれば,まず自然の保護とかエコロジーといった観点だと思います。大量生産,大量消費の時代に質素,節約を慈しむ心を大切にし,人が自然と共存しているという考えで行動する,これは今日的なことだと思います。

 茶の心は現代感覚にマッチしており,茶は普遍的,国際的で,だからこそ「茶の本」は今なお読み続けられているのだと思います。