1943年福岡市生まれ。’67年神戸大学経済学部卒業。’69年同大学院経済学研究科修士課程修了。’70年コロンビア大学大学院留学。大阪大経済学部教授などを経て現職。著書多数。
私が考えている大阪の経済史の特徴をお話しします。結論を先に申しますと,「大阪というと経済都市だとか,水の都だとか,天下の台所と言われているが,これは江戸時代以降の歴史に過ぎない。もっと長く1000年,2000年を見ると,大阪は非常に変わってきた町である。そして,今またものすごく変わるべき時である」,ということになります。
人口は,経済の動きを示す良い指標と思っております。最近の研究では,日本は8000年前ぐらいから4つぐらいの人口波動があったと言われます。1つ目は縄文時代。一番多いときで29万人,少ないときで9万人ぐらいです。2つ目は弥生。農耕文化によって人口が増えた。3つ目が江戸時代。初期が1200万人で,幕末で3000万人ぐらい。大変な人口成長の時代でした。最後は明治以降今日までの工業化の時代です。
この4つの波は人口の地域配置の変化を伴った。縄文時代では関東が49%ぐらい,関西は1%ぐらいの人口しかなかったが,弥生文化が始まると,どんどん西へ。西日本が歴史上,人口のウエイトが一番高かったのは1600年当時,秀吉が大坂に入ってきた頃で,55%を持っていた。東日本は45%。以後,どんどん東に人口の重心が移り,2000年では東日本が61%,西日本は39%ぐらいです。
8000年ぐらいの長期で見ると,400年周期で日本の人口の重心は東に行ったり西に行ったり。必ずしも東に行ったままではないだろうと思います。
大阪は4つの歴史的起源があります。1つ目は古代の難波宮。これは都城,首都で,中国と朝鮮半島と交流する国際港湾都市でした。2つ目は本願寺の時代で,いわゆる寺内町,宗教都市。3番目が秀吉の大坂。武士の政権都市です。4番目は江戸時代の天下の台所,経済都市。以後大阪は経済都市ということになっています。4つの起源を持っている都市は,日本では大阪しかありません。
大阪は経済都市の中でも大きく変転しました。江戸時代前半は工業都市で,代表的な物は清酒・木綿・菜種油。江戸時代後半になって,物づくりでお金をためた人たちが両替商に転じ,「商業・金融」の町になってきた。そして流通。船が交通の中心ということですから「水の都」になったわけです。
ところが,幕末・維新期になると,相対的な優位性が落ちます。落ちる1つの理由は,今日流に言うと「産業空洞化」。生産基地がどんどん関東とか,他の地方に移っていった。2つ目は両替商,金融業が不振になってしまったことです。
そこで,薩摩藩出身の五代友厚が来て,古い昔からの商人たちと組んでニューディールをしましたが,明治10年代半ばぐらいに挫折し,代わって出てきたのが繊維産業です。
明治16年に大阪紡績ができた。渋沢栄一という関東の人が提唱して,賛同したのが松本重太郎と藤田伝三郎。この2人はもともと大阪の人ではなく,成り上がって大阪に出てきたようなタイプの新興実業家。そういう人たちが大成功し,明治20年代にたくさんの紡績会社ができた。
第一次大戦後,今度は繊維産業に加えて機械器具とか,金属とか,化学工業が出てきた。大阪市で大規模な都市整備が行われます。いわゆる「グレーター大阪」で,市域が非常に広がった。人口では大阪市は215万で日本第1位になる。府も305万で,大阪は史上一番繁栄したのがこの大正末であったと思います。そのころ,新しい企業家が出てまいりました。建築業,製薬メーカー,重工業関係で,特徴は地道な職人気質の人。さらに新しい洋風商品というものが出てきた時代で,仁丹,パン……。魔法瓶も大阪発祥のメーカーが多く,カレーなど,大衆消費社会が始まることを告げる商品がたくさん出てくるわけです。
大衆消費社会という点では百貨店がリーダー格でした。マスコミ発祥地でもあり,芸能では松竹と吉本,宝塚歌劇も登場。松下幸之助さんは電機の時代に気づきます。
大阪でもう1つ大事なのは人工的につくられた町だということ。古代からの陸地は現在の大阪市の6分の1ぐらいしかない。干拓を重ねてきたんです。それをやったのが官でなく町人たち。「民活」でやったということです。
今日の大阪の問題というのは,こうした町人がいなくなったということではないでしょうか。自分たちの町の建設についてあまり責任感がありません。
大阪は昔のものをつぶしながらつくってきました。つぶすことには批判もあるが,実は,そこがまた大阪の真骨頂。堀川の上に阪神高速道路が走っていますが,堀川はまさしく江戸時代の高速道路だった。大阪はたえず新しいものにつくり変えていく町であるということです。
4つの歴史的起源があると申しましたが,今は5つ目が出る時かもしれない。「天下の台所」とか「水の都」にあまりこだわることなく,次の起源を見いだすべきでしょう。
そして,大阪を変化させてきたのは誰だったのか。外からやってきた人だったということです。難波宮も,どうも外からの人らしい。大坂商人というのは近江,土佐商人でした。
大阪は,改革しようとすると,やっぱり外からの人に活躍できる場を与えたほうがいい。どんどん若い人を呼んで活躍できる場をつくる,これが「開放性と同化力」です。開放されているのでどんな人が来ても活躍できる。来てしまえば大阪人になるという同化力がある。同化力があるということは,そこで住んでもらう町人になるということであり,町人が自ら,町を変えていくべきだと思います。