1962年兵庫県生まれ。関西大学社会学部卒業。’88年(株)京阪神エルマガジン社入社。営業部広告課,「Meets Regional」編集室などを経て’05年11月より現職。
ここ数年,活字文化を取り巻く商環境がずいぶん変わりました。私が新入社員だった二十数年前は,電車の中で多くの方が,新聞,雑誌,書籍,マンガを読んでいました。ちょっとした時間に活字を追い,生活の知恵や学問の足しにという文化が根付いていました。
梅田や天王寺の地下街には,柱に壁新聞がたくさん張られていました。扇情的な文言が踊るのを人がたかって読み,バラックみたいな即売所で,おばさんが新聞や週刊誌を売っていました。東京の人が見て驚いたそうですが,今は全くありません。即売所も,交通の妨げになるとか災害時に危険だとの理由で減りました。ほんの10年前,20年前に見られた日常的な風景が,なくなってきています。
最近の電車内では,携帯メールと携帯型ゲーム端末です。多くの方が,指をカタカタ動かしています。音楽配信を楽しむ方もいます。あらゆる情報が,居ながらにして,安価で,極端に言えば,ただですぐ手に入ります。
深刻な活字離れが進んでいると,日々実感しています。しかし,わが京阪神エルマガジン社は営利企業です。ここ5~6年は,ギリギリですが何とか,実売予算,対昨年予算を連続して達成させていただいています。
なぜ,がんばれているか。
安価な情報ソースに対抗するには,どうやったら値段がつく出版物,買っていただける商品がつくれるかを心がけなければいけません。本当に必要とされる情報とは何だろう。単価,表紙デザイン,紙質,手触り…。商品と対峙し,とことん考えます。自分たちだけでなく,取引先などの第三者の客観的な意見を取り入れながら進めています。
成功と失敗を繰り返す中で,一つの形として見えてきたのが,本日のタイトルである超地域密着型「リージョナル戦略」でした。
例えば,南海沿線にお住まいの方に必要な生活・地域情報は,近くのどの駅周辺にどんな喫茶店,公園,役所があり,散歩にはどこが良いかといったことでしょう。阪急宝塚線沿線の情報などは全く要りません。一方,宝塚線沿線や北摂にお住まいの方は,本町通り以南の情報は要らないというわけです。
となると,配本ルートも変わってきます。南海沿線や京阪沿線の情報は,北摂や千里中央の書店に置かなくていい。エリアごとに欲しがっている皆さんの情報を吸い上げられます。私たちも,販売エリアが見える範囲で動けますので,効率が非常に良いのです。
そうしてできたのが「まるごと京阪沿線」「まるごと南海沿線」「まるごと阪神沿線」などの沿線情報誌です。それぞれのエリアでかなりのベストセラーになりました。
さらに,他社が目をつけなかったエリアを取り上げました。「SAVVY(サヴィ)」という女性誌で「神戸の西,おやつとごはん」を特集しました。ずばり板宿,舞子,垂水,須磨,名谷,西神中央,谷上 ,鈴蘭台。よその方はピンと来ないでしょうが,実際に住んでいる方々は「おっ,わが街の特集が出た」と思ってくれます。常識的にはマーケットとして採算が微妙と考えられていたエリアを,続けざまにヒットさせました。
「L magazine(エルマガジン)」ではもっと狭いエリア,京都市の「左京区」を特集しました。京都大学を中心とした学生街です。古い路地や昔ながらの銭湯があります。安保闘争の1960年代,70年代の名残のようなカルチャーが存在しています。青春時代に大学で学んだ方々がたくさん巣立っています。古き良き時代を懐かしむという意味も込めたら,全国から多数の注文をいただきました。
「Meets Regional(ミーツリージョナル)」という雑誌では「梅田で困るより福島だ」を特集しました。タクシーで1メーターの福島で「ゆっくりアフターファイブを過ごされてはどうですか」という提案です。実は,売れるかどうか自信がなかったのですが,1週間で完売しました。ちょっと目先を変えれば意外なヒントが潜んでいる,と実感しました。
転入転居,新入学,あるいは日帰りや1泊2日程度滞在する方のための情報も採り入れたいと考えました。そういう情報は「大体」でいいのです。どの駅の近くにどんな物があり,どんな物が見られ,どんな物が食べられるか…。そういう程度で十分なのです。
安くて,手軽で,パッと買って,パッと捨てられる。そんな商品をつくったら売れるのとちがうかと発想したのが,「歩きたくなる地図本」シリーズです。京都,奈良,神戸,大阪,名古屋,東京と出しています。ワンコインの500円。重さは文庫,新書並みの200g。どんな筆記用具でも自在に書き込みできる紙でつくってもらっています。累計110万部,もうしばらくすると120万部に迫るぐらい流通させていただいています。
物が売れない。活字は読まない,読まれない。インターネットの普及で,世界中の情報が,瞬時にただ同然で見られる。活字の伝達速度がパソコン,メール,携帯電話にかなうわけがない。分はメチャメチャ悪いです。しかし,こういう世の中,こういう時代だからこそ,これらの商品はお金を払ってでも買っていただける,と私は信じたいのです。
見たいとき,読みたいとき,時間がちょっとあったら,手軽に見開けます。電源やバッテリーは要りません。読者は,いつも最先端の科学技術を知りたいわけではありません。ほんの半歩先の,自分や家族や友人の生活に密着し,趣味に密着した,ある意味で泥臭い,人間的な,お茶の間感覚の情報にこそ,お金を払っていただける価値があるんじゃないでしょうか。そう思いながら私どもは,日々の出版活動をさせていただいています。