1935年生まれ。’59年に東京大学工学部建築学科卒業,(株)鴻池組入社。’90年取締役,’94年大阪本店長,’97年取締役副社長,現在は特別顧問。’94年に当クラブ入会,昨年度に続き2度目のR情報委員長。
今年は大阪RC発祥85周年記念ということで,創立当時のRCのありさまなどを振り返ってお話したいと思います。
昨年,奥田前会長が「ひと口話」として,創設者ポール・ハリスの「奉仕の理想の概念」から戦中・戦後の大阪RC運営の苦労まで11回お話しされました。私の卓話では,国際ロータリーと,モンゴルRCのことなどを申し上げました。
今回は大阪RC創立の経緯からお話しますが,生みの親は大阪RCは星野行則さんと福島喜三次さん,東京は米山梅吉さんと福島喜三次さんで,福島さんは両方に絡んでいるわけです。
福島喜三次さんは1881(明治14)年,佐賀県は有田のご出身で三井物産に入社,1905(明治38)年に米国駐在になり,綿花の集積地のダラスでロータリークラブの会員になられます。1912(明治45)年入会で日本人ロータリアン第1号ですが,地元の方々に信頼される誠実な人柄であった,と思われます。
1918(大正7)年に三井銀行の米山梅吉さんが米国を訪れ,福島さんと出会います。ダラスRCの例会に誘われた米山さんは,ロータリーに関心を持って帰られました。
1919(大正8)年,福島さんが帰国することになり,ダラスのクラブの仲間が日本にもロータリークラブをつくったらどうか,と言い出して,ガバナーからRIの会長に手紙が届きます。福島さんの人柄を大変にほめております。
1920(大正9)年に帰国された福島さんにRIから任命状が届き,10月に東京RCができます。会長は米山さん,福島さんが幹事です。翌年,福島さんに大阪支店長の辞令が出て,大阪RCへの道が開かれます。
九州の大村北RCの佐古さんの卓話に大阪RC誕生というテーマがあり,抜粋したものを読ませていただきます。
「星野行則氏ら関西実業家が福島さんを温かく迎えてくれ,大阪商船の村田省蔵氏とは兄弟のようなつき合いが始まりました。
日本人ロータリアン第1号の福島さんにロータリーの話をしてもらおうということになり,崇高な理想を掲げるクラブを大阪にもつくらねば,ということになりました。
1922(大正11)年に星野氏を団長とした訪米視察団が編成されましたが,福島さんが国際ロータリーのチェスレイ・ペリー(事務総長)に連絡しておいたので,直ちに任命書が手交されました。」
星野さんは大阪に戻ると,すぐに大阪RCを創立しました。同年11月17日,会員25名,会長が星野さん,幹事が福島さんでした。大阪RCは事前に福島さんのロータリー理論を検討し,初めからロータリーの伝統を守るクラブとして出発したのです。
設立総会は今橋ホテルであり,副会長村田省蔵さん,会計八代(やつしろ)則彦さんです。翌年,RI本部から承認通知第1349号が入ります。
チャーターメンバーには大阪府警の藤沼さん,大阪市助役の関一さん,伊藤忠兵衛さん,この前に卓話に登場した片岡安さん,小林一三さん,いろんな方がいらっしゃいます。
各地でクラブをつくる機運が盛んになり,1940(昭和15)年,戦争の影響でRIを脱退するまでに48クラブが誕生し,会員数2,000人になりました。
大阪RCの村田ガバナー在任中(1933~35年度)に14のクラブが誕生しました。大阪RCがスポンサーしたクラブは,RI脱退前に11,RI復帰後に14,その他に地区内で拡大したものが14,合計39のクラブになります。
大阪RC創立の1922(大正11)年にRIの標準定款ができ,これに忠実に運営がされました。重点として,会員の親睦,時間励行,出席率の向上が挙げられました。
大阪RCの憲章として,以下の5つを定めております。
Ⅰ.毎回例会に出席すること
Ⅱ.自他の時間を尊ぶこと
Ⅲ.「快活」「簡易」「和楽」を旨とすること
Ⅳ.銘々の職業を大切にし,社会の福祉の増進に努めること
Ⅴ.世界の平和に尽くすこと
星野さんは,10年史で振り返って「快活ぶりを発揮するために合唱を試み,数人の有志で1~2の歌をどうにか歌えるようになって例会で始めた時は,すこぶる珍な風景であった」と書いておられます。職業については「職業は働くこと自体が楽しみと満足を与えるものという考え方が大切ではないかと思う。そこにロータリーで言う『職業を大切にし,職業に対する充実』ということも生まれてくるのではあるまいか」という風に述べておられます。
大阪RCは会員同士をニックネームで呼ぶことで親睦を深めました。村田さんは役者顔で守田勘弥から「勘弥」,小林一三さんはオペラの「オ」がもったいないので「ペラ」,土屋元作さんは新聞のタイムズをもじって「大夢」,伊藤忠兵衛さんは浄瑠璃のせりふ「金より大事な忠兵衛さん」で「兼頼」,星野さんは「ボン」。和気あいあいとした雰囲気で,クラブ運営がなされていったのです。
初期のロータリーで記憶にとどめたいのが露口四郎さんで,皆に推挙されて27歳で会員になり,28年間も幹事を務めておられます。また,土屋元作さんはロータリーの日本化ということを言われ,ロータリーと二宮尊徳の教えを共通と考えてスピーチされたり,卓話も多かった人です。