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2007年11月30日(金)第4,186回 例会

片岡 安の肖像-建築家として、ロータリアンとして-

佐 野  吉 彦 君

会 員 佐 野  吉 彦 

1954年神奈川県生まれ,西宮市で育つ。’79年東京理科大学工学部建築学科卒業。
’81年に同大大学院工学研究科建築学専攻を修了,同年竹中工務店入社。’86年安井建築設計事務所入社。’97年より取締役社長。また,現在は京都工芸繊維大学大学院の客員教授を務める。
’97年に当クラブ入会,2005年にクラブ幹事。

 片岡安(かたおか・やすし,1876~1946)の話をさせていただきます。建築家であり,大阪RCのチャーターメンバーで,元会長でもあります。

ダイナミックな人生

 片岡は建築家として名を馳せただけでなく建築の法令制定に力を尽くし,大阪工業大学を育て,大阪商工会議所の会頭を務めるという,ダイナミックな人生を歩んだ方です。

 建築家がどういう姿勢を持った職能かというと,発注者に誠実であること,公正な行動を取ること,共同者に敬意を抱くこと,そして社会に対して責任を全うすることが重要と考えます。ロータリーの「4つのテスト」と同じであります。

 片岡は建築家の社会的な認知度を高めたとともにロータリー活動を展開しましたが,片岡の中では,この2つは職業奉仕というキーワ―ドでつながっているのではないか,と思います。

 私なりに調べてみて,片岡の特徴は,

① 片岡自身の「技術の蓄積」が次の展開を呼んだ人生

② 常に持ち続けた「職業奉仕の精神」

③ 「理科系的な周到さとドライさ」のあるリー ダー

④ コラボレーションにおけるキーパーソン

となります。まず,彼の人生を追ってみたいと思います。

 片岡は1876年(明治9年),細野直重の次男として,金沢に生まれました。

 彼の人生を4期に分けてみると,21歳からの第1期は建築家としてのチャンスをつかんだステージです。

 1897年(明治30年),東京帝国大学の造家学科を卒業,日本銀行の建築部技師として大阪に着任します。日銀の大阪支店建築工事は,辰野金吾が設計しております。そのプロジェクトに加わり,片岡直温の養子になります。

 1903年に日銀大阪支店が竣工し,片岡は辰野と建築事務所を大阪に開設します。

 この頃まで,日本には設計料という概念がありませんでした。片岡は設計にはお金がかかるという認識を定着させるのに骨を折り,建築基準法などがない中,建築に関する法令の制定を提言します。

 38歳からの第2期,大正時代の都市改造の時代にあって社会政策家としての本領を発揮します。

 1914年(大正3年)に関一が大阪市の助役に招かれ,関と片岡が協力するようになります。片岡は団体活動の必要性を説いて1917年(大正6年)に関西建築協会(現日本建築協会)を創立します。また東京市区改正条例を全国に準用させることを認めさせ,日本に初めて都市計画の法規ができました。この法規をもとに,関と片岡がつくったプロジェクトが御堂筋です。1918年に大阪市中央公会堂を竣工させるなど,建築家としての人生が最高潮に達するのです。

都市経済にも関心

 46歳からの第3期,片岡は都市経済に関心を深めます。1922年(大正11年),大阪工業大学の初代校長になり,大阪RCが設立されてチャーターメンバーになります。この時のメンバーに伊藤忠兵衛さん,加島銀行の星野行則さん,小林一三さんらがおられます。

 翌1923年,関東大震災の年ですが,片岡が制定に動いた法令に従って,いろいろな建築ができあがります。私の祖父安井武雄が設計した大阪倶楽部ができ,住友ビル(住友本館)もできております。この頃に京都RCが創設され,初代会長が武田五一,京都大学本館を設計しております。建築家が輝いていた時代だったのです。

 片岡は建築の実務はあまりしなくなりますが,現代の安井建築設計事務所,石本建築事務所,日建設計のリーダーを育て,名伯楽でもありました。

 1928年(昭和3年)に大阪RCの会長になります。就任した時の挨拶が振るっておりまして「私は施政方針など述べぬ。会長は諸君の忠実な使用人に過ぎぬのであるから」と。不遜かも知れませんが,サロン的な雰囲気の良き時代のロータリーを示しています。

 片岡は,このあたりから経済界に軸足を移していきます。

 58歳からの第4期は,後継者に引き継いでいく時代になります。金沢生まれで,金沢RCを大阪RCがチャーターして設立することで故郷に錦を飾っています。

 1940年(昭和15年),大阪商工会議所の会頭になります。統制経済が強まる中,中小企業の整理統合の拙速を戒める提言などをしています。1946年(昭和21年)逝去。享年70歳でした。

4つのポートレート

 最後に,冒頭の4つの特徴を整理しますとまず技術の蓄積。まさに片岡は建築をやり,都市計画をやり,経済に関心を強めて経済界のリーダーになった。蓄積の上に次の展開を呼んだ人生です。

 2つ目,常に職業奉仕,人を育て,社会に奉仕するという精神を持ち続けたのではないか。

 3つ目,ロータリー会長就任の挨拶でドライなことを言ったりしますが,理科系的な着実さも持っています。

 4つ目,いろいろな人と一緒につくりあげていくということで,大きな足跡を残しています。

 片岡は,あくまで技術を積み重ねて次の一手を考えていった人ではないか。建築家という職能にプライドを持って,その能力を同じ道を歩む人に伝えようとし,ロータリーの活動を通じて,社会にいかに奉仕するか,考え続けた人ではないか,と想像します。