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2007年7月13日(金)第4,168回 例会

画商ひとすじ半世紀

野 呂  好 徳 氏

(株)梅田画郎
代表取締役会長
野 呂  好 徳 

1933年生まれ。’52年大阪府立勝山高等学校卒業後,(株)梅田画廊に入社。’72年(株)ウメダアートを設立し,取締役に就任。
’84年株梅田画廊代表取締役社長に就任。’94年同社代表取締役会長に就任し,現在に至る。

 私は昭和8年に東住吉区の東田辺で生まれました。生家は運よく戦火にも焼けず,戦後すぐ疎開から帰って住んでいました。一軒置いて隣に梅田画廊の創業者である土井憲治一家が越してきました。私は土井家に長男みたいに付き合ってもらった縁で,大学受験に失敗した浪人中に画廊でアルバイトし,そのまま27年から世話になっています。画商生活は55年になります。天職として画商になれたこと,元気なら一生現役でいられることを本当に幸せと感じ,誇りに思っています。

 きょうお見えの眞島弘先生が20年前,土井憲治一代記というか,「画商生活五十年」という連載を1年間にわたって書いてくださいました。「出会いとともに半世紀」という本も梅田画廊の創業50周年記念に出しました。

 義父(おやじ)は阪急百貨店から独立し,給料の3倍の家賃を払って昭和17年に心斎橋に画廊を開きました。徴用されるまで絵を売りまくり,一財産つくりました。復員して21年に梅田新道の40坪の土地に木造画廊を再開しました。今は毎日新聞ビルの1階に移りましたが,それまでお初天神の筋向いにあったのです。

多くの財界人と出会えた

 画商になったおかげで私は,財界人,文化人に随分お目にかかることができました。

 まず,阪急の小林一三さん。小柄なおじいさんが「この辺にキャバレーが建築中らしいけど」と言って店に来られ,私が案内しました。「うちの社長,お邪魔してませんか」と阪急から電話があって,びっくりしました。茶道具などに造詣深い方でした。

 松下幸之助さんは起上がり小法師の絵を探しに来られ,福田平八郎さんの達磨の絵をお買い上げくださいました。ゆっくりお話しできていれば,もっと絵に造詣を深めていただき,ナショナル美術館なんかもできていたんじゃないかと思います。

 鳥井信治郎さんは,(サントリーが)まだ寿屋だったころ,黒田重太郎先生の展覧会へ若い女性を連れてお見えになり,「この子が黒田先生の教え子やから」と1点買ってくださいました。住友(銀行)の鈴木剛さんは,あちこちへ絵をご紹介くださいました。ご本人もうちで個展をされました。(錢高組の)錢高久吉さん,輝之さんにもお世話になりました。おかげで画廊が昭和37年2月に隣からの火事で全焼したときも,年内に再開できました。それから池田銀行の清瀧幸次郎さん。銀行ができた26~27年ごろ,随分絵を積んで陳列に行ったことを覚えております。

 日本触媒の八谷泰造さんは「周年の記念に役員に10万円ぐらいの絵を10点ほど買う。わしは絵はわからんから任す」と言ってくれました。絵を役員さんに選んでもらい,それがきっかけで,後に社長になられた北野精一さんらが,絵に関心を持ってくださいました。

様々なコレクター・美術商

 ちょっと変わったコレクターと出会いました。東京で小磯良平展を協力していたところへかっぷくいい方が見え,「小磯先生の絵の売り物が入ったら知らせてくれ」と名刺を渡されました。岡山の福武書店店主(現ベネッセコーポレーションの創業者,福武哲彦氏)とありました。後日,ルオーの絵と合わせて約5000万円分をお買いくださいました。ところが,お届けに行ったら,会社らしいものがありません。学校に「福武書店」と表札があります。校長室が社長室でした。地元作家の絵をたくさん集めておられました。「今度もうけたら,大原美術館のような美術館を建てたい。大原總一郎からとって息子に總一郎と名をつけたんや」とおっしゃっていました。

 糸へん景気のときは,泉州方面にお金持ちが随分いました。骨董屋さんに頼まれて行った先で,「言い値で買う。いつも月末に一番高い絵を持ってきてくれ」と言われました。それがずうっと続いていて,相当な財産になっていると思います。

 77歳ぐらいから絵を集め,兵庫県に73億円か寄付された方がいます。「持ってきてくれたら,わしは勘で買う」と株を買うようにして,本当にすばらしい勘をされていました。3000万円ぐらいで買った絵を,「海外で評価してもろうてくれ。儲かったら君と半分こしよう」とおっしゃり,9000万円かで売れた。すると「わしの儲けは要らん。今度買うやつでまけてくれ」です。去年亡くなられましたが,いいコレクションになっています。

 ちょっと気骨ある美術商の話です。小澤商店という骨董商が,小林一三さん宅へ茶道具の名品を持って行った。寒い冬の朝で,床の間に風呂敷から出して見せようとしたら,外出前だった小林さんはコートを着たまま突っ立っている。店主は品物をおもむろに包み直した。「何でや」と問う小林さんに,「美術品をコートを着たまま座らんと見るような人には売りたくない」と答えて持ち帰ったそうです。

親の背中を見て子は育つ

 それから,うちの土井憲治。大手銀行の頭取で,随分絵をお願いしていた方がいた。しかし,ときどき値切られたあげく,「気にいらん」と返品され,いじめられた。雨の日に傘を持って店に来られ,「これ幾らや」と陳列している絵を傘で指した。義父(おやじ)はムカッとしたらしいんですね。「二度と来ないでください」と出入り禁止にしたという話です。

 美術愛好家は遺伝か,環境か,それとも情操教育によるのでしょうか。遺伝もあると思いますが,親の背中を見て子は育つと言います。親が絵を好きなら,やっぱり自然と情操教育を受けるのではないでしょうか。

 最後に,私の健康法。何事にも「か・き・く・け・こ」です。か=感動する,き=興味を持つ,く=創意工夫,け=健康重視,こ=恋をする,ということを実践しております。