大阪ロータリークラブ

MENU

会員専用ページ

卓 話Speech

  1. Top
  2. 卓話

卓話一覧

2007年5月25日(金)第4,161回 例会

日本に来て初めてわかった日中の違い

趙  艶 利 氏

元上海大学外国語学院 日本語学部
講師
趙  艶 利 

吉林省長春市出身。1997年に上海外国語大学日本語学部卒業後,上海大学外国語学院日本語学部講師。2006年4月に来日後,今,大阪市立大学大学院創造都市科,都市ビジネス専攻・アジアビジネス研究分野に在学し,日本言語文化及び中国の外資導入政策を,杉本教授の指導の下で研究中。

 来日してからまだ1年と短いですし,日本といっても大阪しか見ていません。中国でも故郷の長春や上海しか見ていません。本当に限られた知識で個人的な見方でしかありませんが,皆様の卓説を引き出すことにつながれば,とても光栄だと思います。

第2志望の日本語学部

 私が日本語の勉強を始めたのは,1993年に大学に入ってからです。外国語が好きで,大学受験は上海外国語大学の英語を志望しました。私が日本語学部に入ったのは,それに落ちたからです。上海外国語大学の募集枠は当時吉林省で,英語2人,日本語2人という感じで,全部で2分野の15名を募集していましたが,私は第1志望の英語学部を落ちて,日本語学部に入りました。私の世代では,大体こういう感じで日本語を始めた人が多かったのです。

 ところが,90年代の後半から日系企業の中国進出がふえるにつれて,就職しやすいという理由で,進んで日本語学部に入るという状況になってきました。最近では,日本の流行音楽,アニメにひかれて日本語を勉強し始めた人が大半です。

 日本語がどんな言語かということすらわからなかった私は,日本語教育を受けた世代の祖父の「人間万事塞翁が馬」という励ましの言葉で日本語の勉強を始めましたが,結果的には確かにそのとおりでした。

異なる生活文化

 昨年4月から日本で生活して,身近なことで日中の間にどのような違いがあるのかということについて,簡単にまとめてみました。

 日常生活と言えば,まず「衣・食・住」です。「衣」といえば,日本では,制服がとても目立ちます。「食」では,中国は料理の種類から調理法まで,食の大国と思っていましたが,日本に来たら,食べ物の関心においては,日本こそ食の大国だと思うようになりました。「住」では,3月の末から4月の初めあたりは全国大移動のような引っ越しシーズンになりますが,中国では絶対にありません。

 こうした「衣・食・住」に加えて「行」,つまり交通も違いがあります。

 日本の交通手段はとても便利で,まず,外国人を驚かせるのは,正確な時刻表でしょう。それは別として,私は日本の地下鉄や電車の配慮について話したいです。

 中国人は地下鉄に乗るとき,急いで駆け込みます。いかにも先を争い,遅れを恐れます。日本の場合は,次の電車までそんなに間隔もあいていませんし,乗れなかったら次を待てばいいということもありますが,車掌さんがホームで乗客の乗り合い状況を判断しながら扉を閉めることです。

 上海の場合は,確かにボタンは車掌さんが押しますが,人の判断を避けるようです。ドアが閉まるまでに,ベルが5回鳴ります。私は,階段を降りるときにそのベルを数えます。4回鳴ってしまったらもう走っても仕方がなく,あきらめるしかないんです。ギリギリの場合は走ってがんばりますが,運が悪いと,扉に足やカバンが挟まれてしまいます。発車できる状態なら開けようともしてくれません。皆さん,気をつけてください。

 もう1つは,変な言い方かもしれませんが,同じ日本にいる留学生は,日本には足が不自由などの障害者が多いと感じていました。それは,日本には障害者向けの無障害施設が備えてあるからだと思います。中国では外出を避けたり,外出する場合はタクシーに乗るしかありません。日本では障害者に対する駅員の優しい対応を何回も見てきて,とても感動しています。

銀行口座づくりに戸惑い

 以上の話と違って,私が日本で経験したちょっと予想外のこともご紹介させていただきます。それは,私の誤解や不十分さもあると思います。2つとも銀行についての話です。

 個人的な都合で,外貨口座をつくる必要がありました。普通預金と違う窓口で違う通帳をつくる必要があることに意外でした。なぜかと言いますと,上海にいたときは,同じ通帳で,人民元でも米ドルでも日本円でも管理することができます。日本の場合は,外貨を貯金しても下ろしても,またお金がかかるのはもっと意外でした。

 同じ銀行の話で,家賃の自動引き落としのため,指定された銀行の口座をつくる必要がありました。某地方銀行です。そこでは,口座をつくるだけで1時間待たされ,ちょっと不満を感じました。そんなに時間がかかったのは,私の「趙」という名字の右の「肖」の部分の点々が上向きなのか下向きなのかという彼らの疑問からでした。この漢字は,手書きでは点々が上向きの書き方ですが,パソコンには下向きの漢字しか入っていません。私の外国人登録証には,その点々は下になっています。私は多分不注意で,銀行の申込書に書いた点々が上向きになっていたのです。銀行の案内人に,これでいいんですかと確認しましたし,渡したときに窓口の人は何も言われなかったし,それで20分ほど待たされて,3人目の事務員に呼ばれて,「あなたの『肖』は上向きですか,下向きですか」と言われて,20分待たされました。4人目の人に呼ばれて,「あなたの『肖』は上向きですか,下向きですか」と聞かれたので,そこから怒りたくなってきました。

 以上の話は日本を肯定することもあり,否定になることもあると思いますが,日中の間に違うところはたくさんあります。「異を認めて同を求める」ということがいかに重要かということを強調したいのです。

 私が思うのは,真の日中交流は胡錦濤からではなく「私」からです。真の文化理解は集団主義や個人主義からではなく,日常生活からです。いつからではなく,今からです。