大阪ロータリークラブ

MENU

会員専用ページ

卓 話Speech

  1. Top
  2. 卓話

卓話一覧

2007年1月26日(金)第4,146回 例会

大阪を活性させたい

安 藤  忠 雄 氏

建築家 安 藤  忠 雄

1941年大阪生まれ。独学で建築を学び'69年に安藤忠雄建築研究所を設立。環境とのかかわりの中で新しい建築のあり方を提案し続け,数々の作品を制作し,多くの賞を受賞。
'03年文化功労者。イェール,コロンビア,ハーバード大学の客員教授を歴任。'97年より東京大学教授,'03年同名誉教授,'05年特別栄誉教授。著書に「建築を語る」「連戦連敗」「建築手法」など。

 東京で約20ある仕事が,大阪では3つ。外国での仕事も多いのですが,大阪からの飛行機がなくて不便で仕方がない。なぜそんなに大阪にこだわるのかと言われます。

大阪にこだわる理由

 私は大阪生まれの大阪育ち。高校を卒業後,大学は経済的な理由と自分の学力では難しいから,と断念しましたが,建築をやりたいと思って自分で勉強しました。

 大阪はありがたいところで,おもしろい,引き受けてやろうという方がいて,小さい住宅を設計させていただいたお陰で,建築家になれたと思っています。1972,3年にサントリーの佐治敬三さんとお会いしました。

 この佐治さんが’80年になって,「サントリーが天保山に美術館をつくるが,お前やってみるか」。私が設計した「住吉の長屋」にご案内したところ,佐治さんは「小さいな。使いにくそうやな。あかんな」と言われました。が,次の日,「やっぱりおもしろいから,天保山の設計をやれ。後は俺が引き受けたる」ということで仕事をしました。

 ’95年に東京大学から教授に招聘されました。そのときに,佐治さんを始め,いろいろな人に相談しました。「お前は,大阪におってこそ大阪人でおもしろい。行くのはやめとけ。どうしても行くなら,大阪から通え」と言われ,文部大臣等と打ち合わせをして,大阪から通う許可をいただきました。

 佐治さんは,料亭に東京大学の教授を5人,当時の鴈治郎さん,三宅一生さんらも呼んで,大宴会をしていただきました。「どんどん飲ませろ」と,フラフラになった帰り際に,佐治さんは「あなた方も接待を受けたんだから,安藤はいじめにくいな」。

 こういうありがたいところからスタートしましたから,これは意地でも大阪から生涯,通うべきだと思っています。その大阪に元気がない。

リーダーシップの在りよう

 去年5月,オリンピックの招致に関して,石原慎太郎東京都知事が,総監督は安藤忠雄に頼むと発表しました。私には全然言ってきてなかった。翌週,石原都知事に会いました。「今,断られたら,私もカッコ悪い。お前も東京のことをやれないようでは勇気がないと思われる。お互いに辛いところがあるし,言うことは聞くからやってくれ」と言われ,やることにいたしました。

 「(誘致するなら)電柱を地中化する。小,中学校のグラウンドは全部緑化。お台場の向こうのゴミの山を海上の緑の山に」と申し上げた。全部引き受けていただきました。私の言うことが通るかどうか知りませんが,強いリーダーシップがあることには間違いない。

 東京や大阪という大都市にはリーダーシップが必要ですが,現在の大阪には,ほとんどリーダーシップがありません。

 例えば,大阪・中之島の中央公会堂です。岩本栄之助の寄付でつくられました。これをつぶすと言うていたんですが,猛烈な反対があって,再生工事を施して残しました。これから100年もちます。やはりシンボルは必要です。大阪城も,昭和の初めに寄付により,大阪人がつくり上げました。昭和の初めは恐慌の後だったのですが,大金を寄付する人がいたのはすごいと思います。

 また,サミュエル・ウルマンの「青春の詩」を読むと,青春とは心の持ち方をいうのだと気付きます。20代で青春のない人もいますが,60,70歳でも理想があって青春のある人がいる。年齢を重ねただけでは老いない。理想を失ったときに初めて老いるのです。

桜の都,大阪に

 大阪の淀川から大川,堂島川,土佐堀川を通って,天保山まで15キロ。造幣局の桜の通り抜けは1キロあって,期間中に100万人が訪れます。そこで,すでにあるものを活かす―ということを考えました。

 桜で15キロ全部をつなげたらどうか。15キロの桜の通り抜けです。1人1万円の寄付で,木に名前を刻んだプレートをかける。自分が生きた証しが,そこにあるというのはどうだろうと考えました。プレートには30人の名が刻めます。家族で入るというのはどうか。

 3,000本を植えると,5mの桜の木が5万円,30年間のメンテナンスが1本10万円。一本で計15万円を3,000本で4万5,000人の寄付が必要。「大阪人はケチやのに,1万円も出すかな」と言われましたが,私の桜の講演会のときは,お金をもらわないでそちらに入れてもらうようなことも含めて,今,4万3,500人分。今年中には5万人分になるでしょう。

 一方で,木を植えるのは,大阪市,大阪府,国の土地です。国土交通省は初めから協力的でした。1万人ぐらい集まってきたら,市,府も「仕方がない」となり,2万人ぐらいで「どこでもどうぞ」となりました。

 2年前の1月8日に1本目を植えました。小泉純一郎さんに植樹を頼みに行ったとき,小泉さんは「大阪はすごいな。民が公のところに攻めていくというのは,日本にない。行ってやる」と言ってくれました。この新桜の通り抜けは,来年中にできます。今,全体の計画のプロデュースをやっています。

 私たちは,次代の子どもたちに何を送り出すことができるか。私は,桜で大阪の町が元気になるとは思いませんが,そのことを通じて自分たちが地球環境の中で生きていることを考えると思うのです。大阪を,万里の長城のように囲わないで,ローマのように石の街道をつくって世界の人たちがやってくるような,開かれた,元気のいい町にしていただきたいと思います。