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2006年11月24日(金)第4,139回 例会

織田信長17代目の末裔 織田信成の母

織 田  憲 子 氏

アイススケート コーチ 織 田  憲 子

大阪女学院高等学校卒業。追手門学院大学文学部。スケートで国体・インカレ等全国大会出場。

 (今年10月,フィギュアスケートのグランプリシリーズ第1戦「スケートアメリカ」で優勝した織田信成氏の演技の映像)  信成は今,関西大学アイススケート部所属でフィギュアスケートの選手。私は信成の母ということで,お話しできる機会をいただき,とても喜んでおります。

ともに歩む道

 私は,1978年に織田家に嫁ぎました。二男一女をもうけ,その二男が信成です。

 私がスケートのコーチを始めたのは’92年から。信成は7歳からスケートを始めましたが,最初は遊びながら,私の職場のリンクに来るという状態でした。遊んでばかりで,なかなか練習をしてくれなかったのですが,ひとつの大会に出たことがきっかけで,選手としてやっていきたいという気持ちになりました。私自身の意識も変わり,信成を選手として育てていこうと思うようになりました。

 信成自身も,より頑張ろうという気持ちがあったので,お互いにいい形で練習をし始めましたが,ちょうど11歳から13歳のころ,反抗期になり,練習を休みがちになりましたし,口もきかない状態が続きました。

 どうしたら信成がリンクに来るのだろうと悩みました。私はイライラして腹が立っていましたが,しばらくは温かく見守りました。その年ごろの子どもには大いにあることですし,そこを通らないと,次のステップに行けないからですが,やはり葛藤はありました。

 1週間以上,全然練習に来なかったりしました。信成も部屋で何をするわけでもないのですが,練習に来ないで,学校にだけ通っていたのです。

 私は我慢して見守っていたのですが,あるとき「スケートやめるの? 練習しに来るの?」と声をかけました。信成から即答はなかったのですが,嫌だという言葉もなかったので,私は「この子はスケートが好きで絶対にやってくれるんだ」という気持ちを持って,「じゃ,頑張って明日から来て」という形で練習を再開しました。

壁の向こう

 そのときから,お互いに取り組み方というか,意識がすごく変わってきました。今までも一生懸命にやってはいたのですが,選手としての意識,もっといいものをやろうという意欲が高まってきました。

 ジャンプの練習も,1回転から2回転,3回転に進む場合,何週間や何ヵ月とかで飛べるものでもないのですが,試行錯誤しながら,回転数がふえていく楽しみ,教える楽しみ,習う楽しみが生まれました。努力した結果でいい成績もとれるようになってきました。

 練習の一方,青年としての楽しい生活も過ごすことで,気持ちの中から演技表現ができるようになると考えています。

 これからより一層,教える側も,習う方もそういう気持ちを持ってやっていかないと大きな大会でいい成績をとれないと思っていますので,もっといろいろな研究をして,いろいろな努力をして,いろいろなことを学んでいきたいと思っております。

 自分の息子をほめるのも,どうかと思いますが,兄も姉もすごく頑張りますし,末っ子の信成も,甘えることなく,まじめに前向きに努力しています。今でも,より良いものを身につけたいと,ビデオを見るなどして,研究して,私が教える以上のことをしてくれています。私は頭が下がる思いがします。勉強にしても,スポーツにしても,スケート以外にも頑張って,それが喜んでいただける演技に結びついているのでは,と思っています。

 最後に,すばらしいスケートリンクをつくっていただいた関西大学と森本靖一郎理事長には,本当に感謝しています。本日はどうもありがとうございました。

織 田  信 成 氏

フィギュアスケート選手
関西大学生
織 田  信 成

1987年生まれ。大阪府立阿武野高校卒業。現在,関西大学2回生。スケート歴は,'05年世界ジュニア優勝。以降,スケートカナダ3位,NHK杯優勝,グランプリファイナル4位,四大陸選手権優勝,世界選手権4位。また,今年10月にはスケートアメリカで優勝。

 僕は高槻市出身で,高槻の小さなファミリースケートリンクで練習していました。そこが2004年に閉鎖になり,以降は大阪府南部の高石市の臨海スポーツセンターで練習していました。

 高槻ではリンクまで自転車で2分間ぐらいだったのが,高石へは電車で2時間。練習を終えて,食事,入浴,宿題の後に寝るのは午前2時,3時。朝7時に学校へと大変な日々でした。関西大学の高槻キャンパスにリンクをつくっていただいて,移動時間分をスケートに集中できるようになりました。

 今年10月末のスケートアメリカは,僕にとって今シーズン初めての大きい国際大会で緊張もありました。夏に一生懸命練習してきたことを発揮できるようにと思い,リラックスして試合に臨むことができました。

 僕は,米国での大会ではフェンスに激突するなどアクシデントが多くて,苦手意識がありました。それが,現地のお客さんが応援をしてくれて,そのお陰で演技を楽しむことができました。そして,優勝というすばらしい結果を周囲の人たちの支援と協力で生み出すことができました。

 NHK杯が,長野で行われます。今回のアメリカ大会のように,緊張感とともに,リラックスして自分の演技ができたらいいなと思います。

 皆さん,応援をよろしくお願いします。