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2006年3月24日(金)第4,108回 例会

スイスの時計

小 谷  年 司 君(時計輸入・販売)

会 員 小 谷  年 司 (時計輸入・販売)

1937年大阪生まれ,中国天津育ち。'60年京都大学文学部フランス語学科卒業'61年パリ大学,'62年フロレンス大学留学。'64年栄光時計(株)入社,'82年社長就任日本時計輸入協会理事長大阪能率協会会長。1980年5月当クラブ入会。1985年度幹事・2007年度会長ノミニー。マルチプル準PHF・米山功労者マルチプル3準。

 6月10日は「時の記念日」です。「日本書紀」によると,昔の陰暦を今に計算し直した6月10日に天智天皇が大津の都で水時計(漏刻・ろうこく)をつくり,朝の出勤管理などに使ったようです。今でも6月10日には大津の近江神宮で「漏刻祭」が行われます。考古学的にはその前に飛鳥に「水落(みずおち)遺跡」というのがあり,水時計が既にあったという証拠もあります。水時計や砂時計とは別に日本には香時計があり,線香を砂の中に埋めて時間を計っていました。しかし,何時何分という時間は機械時計が出てくるまではわかりませんでした。 

 機械時計は15世紀の終わりに南ドイツとフランスでつくられたと推定されています。ガリレオ・ガリレイは重さに関係なく定時的に振り子が時間を刻むという振り子の原理を発見しましたが,それを応用して時計をつくったのがオランダ人学者のホイエンスです。その頃から時計が一般の社会に入ってきました。日本でもそうですが,イタリアでも有事の際は鐘の塔(カンパニーレ)の鐘を鳴らします。この鐘のことをクロッカーと呼び,クロックの語源になっています。

1個1億6,000万円の複製時計

 ベルサイユ宮殿ではどの部屋にも必ず時計が置いてあります。昔の時計ですから,合わせたり,直したりしないといけない。そこで時計師が生まれました。フランスではフランス革命の頃が時計の最盛期でした。ベルサイユの時計学校で勉強したのがスイス人のブレゲという天才的な時計師です。ブレゲがマリーアントワネットのためにつくった時計は複雑万年時計というんですが,先般,ブレゲブランドを持つ会社が複製をつくり,1個1億6,000万円で販売しました。

 現在,日本の時計産業の市場規模はおよそ7,000億円です。今は日本の時計はスイスに押されがちです。東京オリンピックがあった1964年頃は,日本の時計業界の勢いはすごかった。安くていい物をたくさんつくるのが日本人の発想法です。スイス人はそれを理解できず負けてしまった。ここへ来てスイスが勝ち始めたのは,高くてもいい時計を売ろうという発想になったからです。

新教徒が始めたスイス時計産業

 もともと時計産業はスイス以前は英国で盛んでした。先進国といえば英国で,世界の支配者でした。英国からスイスに移った最大の理由は,宗教革命です。1500年はカトリックの大聖年ですが,ときの法皇はスペインのボルジャ家出身の悪名高いアレクサンダー6世で,悪徳の限りを尽くしました。

 1521年にルターが「ローマ法王庁に神はいない,神様は聖者とともにある」として宗教革命を起こし,スイスのジュネーブに住んでいた人たちが立ち上がって,カトリックと対抗し始めたわけです。それがフランスで大きな宗教戦争になり,1572年にサン・バルテルミーの虐殺が起きて,新教徒がジュネーブに逃げ出しました。これがスイスの時計産業の始まりです。

 日本のセイコーやシチズンは,下請けも含めて自分の工場で全部つくりますが,スイスは針,ケース,文字板などそれぞれ専門業者がいて,それを集めて時計をつくります。日本の幕末にスイス人がオランダの船に乗って来日し修好通商条約を結びました。そのときの使節団長だったのはアンベールというスイスの時計組合の理事長でした。

 つまりスイス人の一番の目的は,日本に時計を売ることだったのです。ところが,明治の前の日本は,暮れ六つ,明け六つで始まる不定時制で,二十四節気といいまして,全部時間が違う。このためスイスの時計は全く役に立たず,売れなかった。スイスの時計が日本で売れ始めるのは,明治6年1月に,西洋風に定時制に直してからです。

 一方,アメリカでも英国の技術者たちがやってきて時計を開発しました。一番有名なのはウォルサムという時計会社です。ウォルサムは1880年ぐらいから大量に時計をつくり,安く売りました。

 これはスイス人にはなかったアイデアで,19世紀の末ごろにスイスの時計産業はアメリカに完全に痛めつけられました。スイスの時計産業はかなり悩みましたが,大量生産に乗り出して挽回,20世紀の初めには「時計はスイスだ」ということになりました。

若い人が買う100万円の時計

 日本でも太平洋戦争に負けるぐらいまでは,スイスの時計が一番でした。しかし戦後の日本でも東京オリンピックの頃には時計技術は非常に進歩しました。

 日本の時計会社の人に聞くと,スイスに器械を買いに行っても日本には絶対に売ってくれなかった。しかたなく一生懸命に自前で時計をつくろうと努力したそうです。東京オリンピックの時,セイコーは世界で第2位の工場になっていました。

 そのとき世界で一番売り上げが多かったのは,ニューヨークのブローバという会社です。水晶時計の前身である音叉に一定の電気を与えると非常に正確に振動するということを発見して,大成功しました。その後,セイコーやスイスのロンジンという会社が水晶発振器を開発し実用化したため,ブローバは負けてしまいました。

 私はクォーツ時計ほど正確で素晴らしいものはないと思います。でも最近の若い人たちは不正確な自動巻時計を珍しがるから不思議です。しかも,100万円以上の時計をする若い人がかなりいます。世の中は変わったものだなとつくづく思っております。