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2006年3月10日(金)第4,106回 例会

キムチと民族学
~good to think の食べ物~

朝 倉  敏 夫 氏

国立民族学博物館 教授
総合研究大学院大学 教授
朝 倉  敏 夫

1974年武蔵大学人文学部社会学科卒業。'77年明治大学大学院政治経済学研究科修士課程終了。'85年同大学同研究科博士後期課程満期退学。'88年国立民族学博物館第4研究部助手,'94年第1研究部助教授,'01年同博物館民族社会研究部教授。

 皆さんはキムチといいますと,真っ赤に燃えた白菜のキムチを思い浮かべられると思います。韓国語でキムチというのは「漬物の総称」で,非常に多くの種類があります。144種類とか,187種類と言われています。もっと多いという人もいます。

 例えば大根のキムチにしても,その切り方によって名前が変わったり,それを醤油につけるか,塩につけるか,あるいはトウガラシにつけるかによっても名前が違ってきます。

4000年以上の歴史

 また,地域によっても違いがあります。朝鮮半島の南部は気温が比較的高く,塩辛類が入ると腐敗につながりやすいので,トウガラシとかニンニクをたくさん入れることによって腐敗を防いでいます。一方,北朝鮮のほうはトウガラシが入る以前のキムチがずっと続いており,比較的淡白な白いキムチが食べられています。

 4000年以上前の朝鮮の建国神話には,ニンニクとヨモギが登場します。その時代にヨモギやニンニクが食べられ,キムチという形でも食べられていたんだろうということが想像されます。さらに文献などをひも解いていきますと,三国時代ですとか,あるいは高麗時代にもキムチが食べられているということがわかってきます。

 13世紀の『東国李相国集』という本には6つの野菜について詠んだ歌が出ており,大根については,塩漬けして冬の間貯蔵して食べたという記録も出ています。13世紀というのは,李氏朝鮮になる前ですが,その時代にこういった幾つもの野菜が塩漬けや醤油漬けのキムチとして食べられていた。このときに,野菜を沈めて漬けたということで「沈菜(チムチェ)」という漢字をあてたわけです。この言葉が「キムチ」の語源であろうと言われています。

豊臣秀吉も一役

 こうした長い歴史を持つキムチですが,私たちが知る赤くて辛い白菜キムチは一体いつごろから出てきたのだろうか。トウガラシはご承知のとおり中南米が原産地です。コロンブスが新大陸を発見してから世界に広がったということになります。

 朝鮮半島に豊臣秀吉が兵を送ったときにトウガラシを持っていったというのが一般に韓国でも信じられています。1613年の『芝峯類説』という本にトウガラシが出てきます。このときには,トウガラシを薬として使っていたそうです。そうしますと,トウガラシがキムチに入ってくるのはそれより後のことになるわけです。

 NHKのドラマ「宮廷女官チャングムの誓い」を見ていますと,マングーという餃子をつくるのに白菜の葉っぱを使っています。これも16世紀の話ですから,そのころに白菜が中国から渡ってきたことになります。文献上で確認できるのは,19世紀の中ごろ以降になってから白菜がかなり普及してきたということであります。

 その白菜キムチの一つの重要な要素が味のもととなる塩辛です。この塩辛というのも地域差がありまして,ソウル近郊ではアミ(小エビ)を使っていました。ですから,非常にマイルドな味が一般的だったわけです。ところが,韓国の中でも全羅道とか慶尚道の南のほうの海岸ではミョルチジョ(ヒシコイワシ)の塩辛をたくさん使っています。

進化し続けるキムチ

 戦後,全羅道,慶尚道のほうから,特に全羅道のほうから都市に人口移動が始まります。つまり農村社会の人たちが,工業の発達,都市の開発という都市化の中で,ソウル周辺の首都圏に行くわけです。そのときになって,先ほどの濃厚な味の塩辛を使ったキムチというのが普及していくわけです。

 全羅道の食べ物がおいしいということが今一つのブランドになっているわけですが,こうして見ますと,まさにその50年ぐらいの間に韓国での食文化というのがずっと変わってきているということがおわかりだと思います。日本でも肉食文化が1950年代から浸透したというのとよく似ています。

 朝鮮半島の歴史が5000年としますと,それこそトウガラシが入ったのが数百年前の話,そして白菜が出てきたのが100年前後。こうした歴史の流れの中で白菜キムチを見てみると,非常にそれは近代的といいますか,少なくとも近世以降の話になってくるということがおわかりになるかと思います。

 さらに,そうしたキムチが現在もまさにどんどん進化をしているわけであります。冬場の貯蔵用のキムチのことをキムジャンと言うのですが,昔の朝鮮朝の後期の歳時記などには,冬のちょうど零下にぐっと気温が下がったころに白菜キムチをたくさん漬ける風物詩が出てきます。

 そうした生活が今や都市生活になり,マンションで暮らす人たちがほとんどになって,庭がなくなりました。このため皆が集まってたくさんのキムチをつくるというようなこともなくなりました。

 そこに,「キムチ冷蔵庫」という優れものが出てきたわけです。まさにここ10年ぐらいの動きにになりますが,これが今や韓国の主婦たちにとっての生活必需品に変わってきていると考えられます。

 韓国のキムチの変遷についての韓国の文化人類学者の著書によると、「『においは悪いが、食べずにいられないもの』であったが、『においは悪いことは悪いが、健康によいもの』になり、さらに今は『健康によく、環境保護次元でも正しいのみならず、味もよいもの』に進化している」ということです。食文化のダイナミックな変化の様相をキムチからも見ることができるように思います。