1946年岡山県生まれ。'71年京都大学工学部建築第2学科卒業。同年清水建設(株)入社。大阪支店工事長,東京支店,京都営業所などを経て,'02年4月同社大阪支店長,'04年6月常務執行役員大阪支店長兼関西事業本部副本部長。また,同年から京都大学工学部建築学科非常勤講師を務める。'02年当クラブ入会。準米山功労者・マルチプル2準PHF。
私は学生時代,南禅寺下河原町に5年間下宿し,近くの平安神宮,南禅寺のレンガ造りのアーチ水道など明治時代の構築物に,何か不思議な魅力を感じておりました。また,会社に入りましてからも京都に関わりを持った仕事をやり,その間に平安遷都千二百年の事業も見てきました。平安神宮がなぜこの時期に建てられたかという背景を中心にお話ししたいと思います。お配りした資料には年表や図面などがあります。資料にありますように,平安神宮は第4回内国勧業博覧会開催にあわせて竣工しています。
慶応3年(1867年)10月に,徳川幕府最後の将軍徳川慶喜が,突然二条城へ大名を集め大政奉還を宣言しました。これで京都の人は,今後は江戸で行われた幕府の政務すべてが京都で朝廷が行う,いろんな政治施設が京都に集まってきて,名実ともに京都が日本の政治経済の中心になって繁栄すると喜んだわけです。しかし,薩長は天皇を江戸にお連れして,江戸を東京として首都を移転するということを考えていたのであります。
翌年(1868年),江戸を東京と改称,天皇が正式に即位され,元号を「明治」とします。明治2年天皇が東上します。京都では「天皇は行幸に出て帰ってきていない」と言う人もいますが,実質上の東京遷都が行われました。この遷都問題で繁栄を期待していた京都市民に動揺が広がり,京都市内に7万戸あった戸数が大幅に減ったとも言われています。
当然のことながら,京都の衰退は進んでまいります。当時世界的にも話題になったパリ万国博覧会(1867年)に日本からも幕府と薩摩藩が出品していますが,京都でも明治5年に第1回京都博覧会を,京都を復興させ,衰退をとめるために開催しました。西本願寺や建仁寺,知恩院を会場として,京都の西陣織や友禅染,その他の工芸品が出品されました。余興として,祇園の芸妓がそこで舞を踊り,今の都踊りの初演になっています。
それでも京都の衰退は進みます。京都復興,工芸復興のために明治16年「琵琶湖疎水計画」が上京・下京の連合区会から提案され,明治18年に琵琶湖疏水計画が着工。担当した技師は田辺朔郎という方で,工事の途中でアメリカに行き水力発電の技術を身につけ,水力発電もつくることになり,琵琶湖疏水は5年の歳月をかけて明治23年に完成,24年には日本初の水力発電も完成しました。琵琶湖疏水を通すだけで総額125万円,米の値段で換算すると今の125億円ぐらいですが,その半分以上を京都市民が出したということで,京都市民が復興をかけて全力をあげたということが見てとれます。
明治25年5月には,京都実業協会から「明治27年に桓武天皇千百年祭を執行すること,内国勧業博覧会の京都開催を誘致すること」というような建議が出されます。明治26年4月に第4回内国勧業博覧会京都開催が決定,6月には政府が桓武天皇千百年祭事業計画を決定,9月3日には紀念殿(平安神宮大極殿)の地鎮祭が行われました。翌年,桓武天皇千百年記念事業として,大極殿を内拝殿として神殿をつくって桓武天皇をお祭りしようという告示が内務省よりありました。
内国勧業博覧会の会場は岡崎と決まっていましたが,費用や時間の問題などがあり,今の平安神宮の形になりました。明治28年3月に平安神宮本殿紀念殿が完成し,内国勧業博覧会が4月1日から4カ月間開催されるわけであります。総入場数は113万7,000人,1日大体1万人ぐらいが入場しました。余興として能狂言・競馬・大相撲などが行われております。パビリオンは工業館・農林館・水産館・器械館・動物館・美術館などがありました。夜は,蹴上の水力発電所からの電気で会場に電気が灯されました。内国勧業博覧会関連では,日本で初めて路面電車が京都駅からこの会場まで走りました。二条通りから大鳥居のある辺りまで線路があって,そこを路面電車が走ったということであります。それも博覧会開催直前の明治28年3月に竣工しております。
ともかく,京都が日本で初めてというのをどんどんやっていったということであります。東京上野であった第3回内国勧業博覧会で,わが国最初の電車が340m走ったという例がありますが,路面電車としては京都が初めてです。明治28年7月31日で博覧会が終わり,10月22日から24日まで遷都千百年記念式典を実施,25日に時代行列が行われました。それ以後,10月22日に今の時代祭りが行われるようになったわけであります。
庭園は小川治兵衛により明治27年に着工され,明治44年から大正2年にかけて東池と泰平閣が完成しています。昭和4年,昭和天皇の御大礼に際しまして大鳥居が建設されました。中は空洞でありますが鉄筋コンクリート造りで,高さ24m。昭和15年,東西2つの神殿をつくることになります。しかし,昭和51年1月6日の朝に出火しまして,東西神殿,内拝殿等を焼失。それでもすぐ再建にかかり,54年3月に竣工します。そのときに,1つの神殿の中に桓武天皇と孝明天皇を合祀し,これで今の状態になったわけであります。
こういうことをロータリーでお話ししますということで,今の平安神宮の九条宮司に先日ご挨拶に行ってきましたが,「結構だ。皆さんに,京都においでの際は平安神宮にお参りをということを伝えておいてほしい」ということでございました。