大阪ロータリークラブ

MENU

会員専用ページ

卓 話Speech

  1. Top
  2. 卓話

卓話一覧

2005年7月29日(金)第4,079回 例会

スローフードな味と宿

門 上  武 司 氏

料理評論家
フードコラムニスト
門 上  武 司

1952年大阪生まれ。 大阪外国語大学露西亜語学科中退。 関西の食雑誌「あまから手帖」の編集主幹をつとめるかたわら, 食関係の執筆, 編集業務を中心にプロデユーサーとして活動。 原稿連載やテレビ番組のレギュラー出演など多数。

 関西の食の雑誌,「あまから手帖」の編集主幹を務めております。食だけを取り上げる雑誌というのは珍しい存在です。関西は食に対して食べ手のほうが非常に厳しい地域と言えましょう。料理人だけでなく,食材をつくる人がいたり,サービスする人がいたり,もちろん食べ手がいたり,つくり手がいたりと,そういう人たちにいろいろな話を聞きます。お互いの意見が交流し合うと,もっと食を通じて関西のいわゆる暮らし,経済までにもっと大きく貢献ができるのではないかと「あまから手帖」をつくっております。

 雑誌の編集者というのは,いろいろなところに出かけていけるかというのが一番のポイントです。例えば映画の評論家とか,映画の雑誌をつくろうとすれば,今の時代ですからDVDでも,ビデオでも見ることができますし,劇場にも足を運ぶことができます。音楽ですと,コンサート会場だけではなくて自宅でもできます。食べ物というのは,現地へ出ていく必要があり,実は年に350日ぐらいは外食を続けております。

食べ物の下見は「舌見」

 昼夜外食を続けると年間延べ700となりますが,それが700では済みません。寿司の特集をするとして,お寿司屋さんを毎月20軒取り上げるとなると50軒ぐらいのリストが出てきます。それを編集部と担当で分けて「下見」するのですが,「舌見」と書きたいくらいです。この4~5年はスローフードという運動に参加することになって,食べ物に対する見方が少し変わってきました。「スローフード」は,何もゆっくり食べることだけではないんです。スローフード運動は,1986年にイタリアの小さな町で起こった運動で,イタリアにマクドナルドが上陸したときに,「これがイタリアの食生活に根づくと,食生活を通じてわれわれの生活自体が変わってしまうのではないか」とカルロ・ペトリーニという活動家は考えました。彼は今スローフード協会の会長です。

 スローフードには3つの定義があります。1つ目は,「生産者を守る」ということ。野菜をつくっている人,魚を捕っている人,お酒をつくっている生産者。ヒトを守りましょうということです。2つ目は,「伝統食を守る」ということ。大阪では船場汁というものがあったり,岸和田に行くと別の料理があったり,つまりモノを守りましょうということです。 3つ目は,「食を通して食育を行う」ということ。食べることを通じて,人間形成,教育を考え直しましょうということです。これはコトです。

スローフードの基本はヒト,モノ,コト

 「ヒト」があって,「モノ」があって,「コト」がある。この3つがスローフード運動の基本になります。大阪のような都会で考えるスローフードと,北海道の漁師町で考えるスローフードとは,同じテーマであってもあり方は違うわけで,スローフードの3つのテーマを,それぞれの地域,それぞれの人たちが独自の解釈で運動として進めていこうということになります。

 あるとき,友達から「能登半島に日本一の民宿がある」と聞かされ,カメラマンと車に乗って行きました。宿の奥さんが,「ぼた餅をつくったので食べてください」と出してくれました。自分の持っているものを,どういうふうに提供してもてなすか。お客さんが初めてお部屋に入られたときに,何を提供するか,どう声をかけるか。「ここは今まで行った宿とはちょっとあんばいが違うぞ。ここはおもしろそうやな」と思いました。

 晩ご飯になると,魚介類を鍋仕立てにした「いしる鍋」,塩漬けしたイカを小さく刻んでご飯とお団子のような形にして竹串に刺して囲炉裏端で焼いてくれたカイベ。郷土料理だけれども,今の人たちが食べるように少しずつアレンジされている。ご飯を食べ終わって,お風呂に入って,ゆっくりする。値段は3年ぐらい前で8,000円だったんです。こういう宿は,ひょっとすると日本じゅうにあるのではないかなと思います。

料理の評価は足し算にあらず

 一般の人は料理の中に,1品でも非常に塩辛いとか自分の口に合わないものが出ると「あそこまずいわ」とか,何かサービスで嫌なことがあると「あの店あかんで」と平気で言うんです。実は足し算ではなくて掛け算。1つでも限りなくゼロに近いものがあると,ゼロは何個掛けても最終ゼロになりますから。そういう視点で宿を見てみると,宿というのはものすごくおもしろいのです。ものすごく掃除が行き届いて,料理にも神経が行き届き,ものすごく考えられているんです。

 僕は料理人ともつき合いが多く,先週もちょうど京都の料理人と信州の宿に行きましたが,そこは1万5,000円で鍋を中心に料理をやってくれます。料理人があんまり召し上がらないんで,一緒に行った人間が「ちょっとお酒を飲む人間にとっては甘いかもわかりませんね」と言ったんです。後日,「あの一言が効きまして,あれからずっと考え,いろいろな料理屋さんに行き,いろいろな宿に行って考えました」と言われまして,見違えるほどに味つけが変わっていたんです。一緒に行った料理人は,1万5,000円でこういうご飯を食べて,こういう部屋で寝て,お風呂に入って,朝ご飯を食べさせてもらったら,うちの料理が高いと思え,これはちょっとやばいなというぐらいに料理を評価するわけです。その根本みたいなところにスローフードというのがあって,その宿を訪ねることが,食に対する考え方だけではなくて,食というものがどれだけわれわれのバックボーンを支えているか知ることができるのです。