今日のスウェーデンは大きく変わりつつあります。たった一世代前までは,文化的にも道徳倫理も均質と言って良い国でした。現在,スウェーデンに毎年2万人の移民が亡命保護を求めてやってきます。その影響でスウェーデン文化はより豊かに,より深く,より幅広くなりつつあるものの,人種差別,新住民の適応不足などの問題で苦闘しています。スウェーデン人の考え方は,すべての人間は平等で,同じ権利とチャンスを与えられるべきだという思想に大きな特徴があります。個人的な成功は必ずしも奨励されず,控えめで慎み深いことが良いと考えられがちである一方で,世界で比べるもののないくらい立派な法律で,子供,女性,障害者などの弱者,また性的,宗教的,道徳的少数派を保護しています。
スウェーデンは日本に比べると,はるか北方に位置しています。面積は45万平方キロで日本より少し大きいくらいですが,人口はわずか900万人,日本の14分の1に過ぎません。
スウェーデン北部は山岳地帯で,壮大なアルプスが支配的な景観です。スプルースの森林が見られ,何千もの湖や河川がこの地域に散在しています。アラスカやシベリアと同じ緯度ですが,大西洋のメキシコ湾流が気候を暖かくしています。季節の変化は劇的です。温かく明るい夏,色彩豊かな秋,長く暗い冬,そして爽やかで活気に満ちあふれた春。スウェーデンの6分の1は北極圏内にあり,太陽が沈まない白夜の舞台です。冬の一時期は「極地の夜」として知られ,太陽は昇らず,一日中暗闇です。夏は登山,ハイキング,湖での魚釣りに最適で,冬は雪が多く,スキー,スケート,スノーボードが楽しめます。北スウェーデンは,少数民族のサミ族の居住地です。彼らは自分の言語を持っていて,主な収入源はトナカイの飼育です。
中部スウェーデンには森林が広がり,素晴らしい多島海があります。スウェーデンの3分の2は森林です。スウェーデンにはユニークなパブリックアクセス権利法があり,自由に森を通り,大地を歩く権利が人々に与えられています。他人の土地を徒歩やスキーで横切り,花や野いちご,キノコを摘み,キャンプしたりできます。収穫に損害を与えたり,保護されている種を採集したり,ヘラジカ,熊,鹿,イタチなどの野生生物を騒がせたり狩猟したりすることはできません。人口の約90パーセントが住む国の南半分には多島海が広がり,夏はヨットでリラックスでき,冬は凍結した海でアイススケートができます。
南スウェーデンは畑が広がり,丘の少ない平坦な景観です。歴史的に,人口の大部分は農業と牧畜に従事してきました。土地は肥沃で,西洋あぶらな,小麦,大麦,ビート,グリーンピース,ジャガ芋など各種の作物栽培に適しています。バルチック海がこの地域を取り囲んでいるので,海岸地域では漁業が多くの人の収入源になっています。その日の漁獲を満載した漁船の帰港を早朝に見ることができます。最南端の地域はスカーニアと呼ばれ,近くにあるヨーロッパ大陸の影響を受けています。私たちのホーム地域で,ロータリー地区,2390地区はこのスカーニア地域の主要部分を占めています。
スウェーデンの首都は美しいストックホルムです。ここに政府と国会があります。国会議員は349人で,4年ごとに国民の直接選挙で選ばれます。過去70年間はほとんど社会民主党の支配下にありました。最近2002年の選挙では国会議員の45パーセントが女性で,これは世界記録です。ストックホルムはまた,王室の本拠でもあります。王室の機能は公式で儀式的なものに過ぎませんが,国民の人気は絶大です。
スウェーデンの地方自治は強力で,主な公共サービスは地方当局が提供しています。国際的に時として「揺りかごから墓場まで市民を保護する国」と呼ばれますが,この描写には真実が多くあります。公共セクターが,伝統的に家族に依存してきた市民の経済的保障の責任を多く引き受けています。社会福祉セーフティネットの主な目的は,すべての人が財産の有無や出身にかかわらず,良質な生活ができるべきだということです。スウェーデンはヨーロッパで二つの世界大戦を免れた数少ない幸運な国の一つでした。この長い平和が継続的な発展を可能にしました。
スウェーデンの大多数の家庭にとって,公共保育は日常生活の一部になっています。そのお陰で男性も女性も親としての責任を仕事と両立する可能性を持てるのです。世界で最も豊かな子育て保障システムで,両親には16カ月の所得保障付き育児休暇があり,そのうち2カ月は父親が利用できます。子供のゼロ歳時に,50パーセント以上の父親がこの有給休暇の権利を行使しています。スウェーデン市民の医療費は基本的に無料,医薬品には補助金がでます(健康保険システムがこのことを容易にしています)。19歳以下は歯の治療が無料,病気で仕事に就けない人には一定期間,特別の疾病手当が支給されます。高齢者のケアもまた,公共セクターの責任です。しかし手厚い経済的保障システムは最近,経済的な圧力にさらされ,選択的な医療の順番待ちや人員不足などが問題となっています。
教育へのアクセスは,人権,社会背景,居住地域に関わりなく平等です。学校での教育訓練はすべてのレベルで無料,大学レベルでも授業料は無料です。政府が奨学金やローンなどで援助を与え,すべての社会階級の若者が教育を受けられます。スウェーデンでは約50パーセントの若者が高校を終えた後,上級の学校に進学します。
スウェーデンは国内総生産(GDP)の中でR&Dに最も多くの投資を行う国の一つで,多くの分野で主導的な科学者や革新的な技術者を輩出した長い歴史を持っています。800年ほど前,スカンジナビアに住んでいた人たち,例えばバイキングは造船で高度の技術を発達させ,コロンブスに先立つ500年前にアメリカに到達していました。スウェーデンのイベントで最もよく知られているのは,おそらくノーベル賞でしょう。異なった分野で際立った業績に,毎年それぞれ化学賞,物理学賞,医学賞,文学賞,平和賞が与えられます。この賞の創設者アルフレッド・ノーベルは一生涯に355の特許を得ました。最も有名な発明はおそらくダイナマイトで,衝撃に敏感なニトロ・グリセリンをベースにした安全かつ安定した最初の爆薬です。18世紀末には,自然の秘密を解き明かそうとする多くの科学者がいました。アンデルス・セルシウスは摂氏寒暖計を発明,薬剤師のジェンス・ヤコブ・ベルセリウスは元素の周期表を作りました。他にも植物学者のカール・フォン・リンネは命名,ランク付け,分類のシステムを作り,今日でも広く使われています。彼の弟子のカール・ピーター・トゥンベルグは江戸時代の日本を訪れ,日本の植物と花の描写,フローラ・ジャポニカを書きました。スウェーデンと日本の最初の科学提携でした。
19世紀の終わりごろ,スウェーデンはまだヨーロッパの中で最貧国の一つでした。
1820年から1910年の間に,人口の4分の1,ほぼ100万人が国を去り,アメリカに富と幸運を求めました。しかし残ったスウェーデン人は非常にクリエイティブでした。20世紀初め,高度の才能を持った発明家たちが,今日ごく普通に見られる製品を開発しました。ジッパー,吸熱式の冷蔵庫,自己調整するベアリングなどです。技術発明の結果設立された新しい会社は,当時めざましい発展を遂げました。約50年の間にスウェーデンの経済はヨーロッパの主導的な経済の一つに育ちました。ASEA(現在のABB)エレクトロラックス,SKF,エリクソン,テトラパックはすべてスウェーデン人の発明をベースにした会社です。
スウェーデンは充実した福祉で豊かな社会をつくり,数々の技術発明・発見によって発展してきたのです。
今日のスウェーデンは世界で最も輸出に依存する国の一つで,生産物の60パーセントは輸出されています。その半分はエンジニアリング技術で,ボルボやサーブなどの自動車,エリクソンのような電気通信技術です。輸出の14パーセントは林産物,13パーセントは薬品でアストラゼネカが代表的です。スウェーデン経済はこの10年間に生産から各種のサービスに移行し,全労動力の85パーセントはサービス業で働いています。サービス業ではIKEA(イケア)とH&Mは代表的な多国籍企業です。IKEAという名前は創設者の出生地,イングヴァル・カンプラド・エルムタリド・アグナリッドの頭文字を組み合わせたものです。
最先端技術の分野では,ハイテク研究者の数がヨーロッパ第2で,国民一人当たりの研究開発投資は世界でも一,二です。1885年,ストックホルムは世界で最多,5000セットの電話機がありました。現在,国内の携帯電話の保有率は世界トップです。国民900万人に対し1000万台の登録があります。スウェーデン人は一般的に新しい情報技術に敏感で,16歳から74歳までの人口の73パーセントがインターネットを使っています。インターネットや,コンピュータといえば70年代の初め,発明家ヘカン・ランスはコンピュータのマウスを発明し,今日のパソコンに使われているカラーグラフィック技術を生み出しました。
スウェーデンは長い間,文学や音楽も世界に輸出してきました。ポップ・ミュージックは私たちの主要「輸出品」の一つです。ABBA(アバ),ロビンとカーディガンズのようなバンドやアーティストたちです。
伝統的なフォークダンスは激しいリズムとコーディネートされたスタイルで,昔の長いスカート,重い長靴,木靴が似合います。スウェーデンでは幼児のころから少なくとも一つの楽器を演奏するのが普通です。コーラスで歌うことも大きな関心事で50万人以上のコーラス人口があります。読むことも好きで,70パーセントの人が毎日,新聞の朝刊を読んでいます。最も有名な作家の一人,アウグスト・ストリンドベリはストックホルムで一生のほとんどを過ごし,100近い作品を書き,1912年に亡くなりました。「父」「令嬢ジュリー」などが有名です。
日本のみなさんがおなじみなのは「長くつ下のピッピ」でしょう。スウェーデン語ではピピ・レングストルンプという勝ち気な少女は,子供本作家アストリッド・リンドグレンが創作し,76カ国語に翻訳されました。スウェーデン人の多くは,スポーツをするのも観るのも好きです。サッカーは非常に人気があり,1994年ワールドカップの銅メダルはいまだに誇りを持って語られています。
一年の半分以上,大部分の地域が雪に覆われている国では,当然ウインタースポーツが盛んです。ヴァサロペットで毎年開催されるクロスカントリースキー競技には1万4千人の参加があり,その多くは外国人です。20世紀には教会や宗教の重要性が急激に衰え,世界で最も非宗教的な国の一つです。しかし,多くのスウェーデン人にとって宗教は個人レベルでの役割を果たしています。ルーテル派のクリスチャンが多数で,カトリック,イスラム教がそれに続きます。イスラム教はアラブ諸国やアフリカ諸国からの移民が多いせいです。クリスマスや復活祭のようなキリスト教の伝統的な休日を祝いますが,他にも宗教とほとんどあるいはまったく関係のない祝日もあります。夏至はキリスト教以前からの伝統で,夏と自然の贈り物を祝います。
スモルガスボードはスウェーデンの食物の伝統で最も有名なものの一つでしょう。大きなテーブルに並べられた皿から食べ物を少しずつ取ります。ただ最近では食品のバラエティは多様です。50年前の食事は主としてジャガ芋,魚,豚肉,根菜,酪農製品に依存していましたが,移民たちの影響,海外旅行者の増加で事情は急激に変化しました。今日では,イタリア,フランス,タイ,日本,アラブの料理を食べ,寿司は10年前から食べられ始め,現在でも人気上昇中です。
北極圏から最南部まで,スウェーデンの気候は異なり,景観も変わり,文化も多種多様です。ビジネス,観光,あるいはリラックスのために訪れても,満足できることでしょう。私たちの国で,またお目にかかりましょう。