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2004年9月17日(金)第4,039回 例会

戦争写真

菊 池  修 氏

写真家 菊 池  修

1968年茨城県生まれ。広告写真のアシスタントを経て'91年独立。以後,フリーの写真家としてドキュメンタリーを中心に活動を開始。主に世界の紛争地を取材し,各誌に作品を発表。
'01年,イギリスの写真通信社が主催する国際エイズプロジェクトに参加し,日本のHIV/エイズを取材,撮影。以後,日本国内のHIV/エイズを撮り続けている。 '02年,フォトシティさがみはら写真新人奨励賞受賞。

 21歳のときに,初めて戦争にカメラを持って行きました。15年前の話です。当時アフガニスタンでは,ゲリラとロシア軍の間でものすごい戦闘があったんです。全然経験がない僕はカメラだけ持って入っていったわけですが,写真が思うように撮れないわけです。他の多くのカメラマンたちはものすごい勢いで入っていきます。僕はウロウロするばかりでした。それが最初の経験でした。

欧米と日本の違い

 戦争の取材は,お金がかかります。お金がないと,できることはどうしても限られます。そこをどうやって埋めればいいのかというと,体力と気持ち。この気持ちというのがすごく大事なんです。欧米と日本のカメラマンの違いなんですが,欧米のカメラマンは戦場に入ったら命をかけます。BBCなりCNNの映像がすごいのは,一枚の写真を撮るために,ものすごい信念を持って命をかけて行くわけです。その辺を僕は取材の過程で見ながら,何で彼らはそれができるのかとずっと考え続けました。

 1995年にオウムの取材で第6サティアンの前で300人のカメラマンと一緒にカメラを構えているときに,この人たちと一緒にいたら,会社が言う写真しか撮れない,雑誌が求める写真しか撮れないと思ったんです。それで欧米のスタイルでやってみようと決意して,2年間オランダに行きました。そこで編集者,カメラマンから受けた衝撃というのはものすごかったんです。彼らの写真に対する意気込みと日本人とでは圧倒的な差があります。作品をつくるときに,それに対するこだわりや意気込みが大変強い。だからこそ戦場に入っていっても,危険なところに向かっていくという意識がものすごく高い。日本の雑誌の写真と,欧米の雑誌の写真の違いというのは,その辺の気持ちの差というのがすごく出ているんです。

チェチェンに潜入

 オランダでたたかれながら過ごした後,チェチェンに入っていって,命をかけてこの写真を撮る価値があるかどうか試そうと思いました。しかし,僕のようなフリーの人間に,ロシア軍は許可を出してくれません。そこでロシア軍の兵隊に成りすましました。チンピラみたいな兵隊に話をつけてお金を渡す。僕みたいな顔のタジキスタン兵というのはロシア軍の兵隊にはいっぱいいて,僕がロシアの軍服を着てしまうと,もう完璧にタジキスタン兵に成りすますことができるわけです。ロシア軍のトラックに入っていって弾薬庫の下にもぐり込み,南チェチェンの最前線に行きました。でもバレました。皆に必死で説明していたら,軍の上官が来て「見なかったことにするから,帰ってくれ。そのかわり,ここにしかいない特殊部隊の写真を撮らせてやるから」と言って,撮らせてもらったのです。その経験を境にもっと前に行けるようになったんです。それと同時に,写真が世界に売れ始めたんです。大きなお金ではないのですが,日本に持ち帰ってくれば必ず紙面に載るようになり,通信社に流せばそれが幾つかの新聞で採用されるようになりました。

 ザイールやスーダン,いろいろなところに行ってお金にしたのですが,だんだんと自分がお金のためにその写真を撮っているんじゃないのかと,満足ができなくなったんです。そこからまたジレンマが始まり,雑誌に10ページ,20ページの作品が撮れるようになった。でも全然満たされない。迷いながら写真を撮っているわけだから,危険というのがものすごい勢いで自分のところにやって来る。パレスチナに行けば弾がこの辺に当たる。アフガンに行けば,また身ぐるみはがされて殺される寸前になる。2001年,タリバンに捕まったときに,やり方を考えないといけないと思ったのです。

戦争からエイズへ

 そんなころ僕の写真集を見たイギリスの通信社が「日本のエイズを撮らないか」という話を持ちかけてくれたんです。だがどうやって撮っていいか分からない。感染者を見つけなくちゃいけない。そのときに1人の感染者に出会って「イラクを撮る人間は何百人いても,日本のエイズを撮る人はいない。アフリカやアジアで皆撮るけれども,なぜ日本のエイズを報道カメラマンは撮らないんですか」と言われました。それから僕はエイズを撮ると決意して,戦争には行かなくなりました。エイズを撮り始めると,戦争以上に自分を追い込まないと撮れないということに気づいたんです。見えないものをどう写真で表現するのか,日本には多くの感染者がいるんですが,実質2人しか顔を出していない。やっぱり差別とか偏見があるからなんです。

 エイズを撮り始めて3年ですが,今でもまだどこをどう表現していいのか,悩んでいるところです。戦争だったら,撃っているところを,難民を撮っていればわかりやすいかもしれないが,エイズというのはそうじゃないんです。本当の感染者というのは差別と戦い会社をクビになることを恐れて日常を生きているわけです。

 今日は,考えてきたことの半分もしゃべれませんでした。その代わりこれからつくる写真集なり記事で,自分の考えを表現したいと思います。