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2003年10月10日(金)第3,994回 例会

私の体験した日本ートイレのお姫様

尹 英和氏

米山奨学生 尹 英和
(ユン ヨンファ)

1971年韓国大邱市生まれ。74年啓明大学日語日文学科卒業。学士号取得。
98年同校修士課程を中退し,桃山学院大学に交換留学。99年から大阪大学文学研究科研究生として在籍し,同校文化表現論日本語学科博士課程に進学,現在在学中。03年4月から当クラブ米山奨学生。

 韓国からやって来て六年、日本でびっくりしたことのひとつにトイレがあります。世界にはいろんな国や民族があって、その国や民族には固有のトイレ文化と習慣があると思いますが、ゴージャスな日本のトイレには驚くばかりです。しかし、これは本当になくてはならないものなのでしょうか。

なくてもいい音姫

 長い間、トイレは「汚い」「臭い」「暗い」「怖い」の4Kの場所でした。しかし、近・現代の革新的な技術力でトイレも変貌しました。水洗トイレの登場は「汚い」というイメージを一掃し、芳香剤の開発は「臭い」を取り除きました。家の外にあったトイレを中に取り入れる事により、「暗く」も「怖く」もなくなりました。  

 トイレの変遷においては特異な点もあります。生理的問題で男性は小便と大便の姿勢が異なりますから、昔の家の中では男性用の小便器を備えるのが普通でしたが、近年ではそれがほとんど見られなくなりました。まるで家庭内での父親の権威が消えていくのと、時を同じくするかのようです。  

 小便器などがなくなっていく一方、公共の場のトイレには性の区別をはっきりさせる装置が二つ出てきたと思います。一つは「音姫」という排泄音を消すものであり、もう一つは痴漢撃退用の「非常ベル」です。男性の中には「音姫」というだけではピンと来ない方が多いかも知れません。「いや、ぼくは知っているよ」という方には、どうして知っているのか少し疑ってみる必要があるでしょう。  

 女性は一回のトイレの使用で二回以上水を流します。一回は排泄音を消すため、もう一回は本来の目的です。「音姫」はトイレのための擬音装置で、流水音を出すことでプライバシーを守り、水の無駄遣いを防ぐためこの世に生まれてきたのです。  

 しかし、おしっこの音に気を使うのは、どうやら女性だけのようです。友人に聞いたら男性用のトイレには「音姫」がないそうです。また、先進国の証しのようにも思えた「音姫」はアメリカやカナダにはないし、アジアの国々の中でもないほうが多いと思います。  

 五年前、妹が私を訪ねて日本に来ました。バイト先の図書館に連れて行ったら、妹は「音姫」をものすごく不思議がりました。妹がトイレに行ってしばらくすると図書館を揺さぶるものすごい音がしました。かけつけますと妹が真っ赤な顔で走ってきました。日本語が読めず「音姫」を鳴らすつもりで「非常ベル」のボタンを押してしまったのです。私は妹を椅子に座らせ、駆けつけた守衛さんに訳を話して謝るつもりでしたが、あんまり恥ずかしくて、とうとう知らん顔したまま守衛さんの前を通り過ぎてしまいました。「音姫」と「非常ベル」も区別せず押してしまった妹が悪いのですが、事実をうち明けなかった私はもっと悪かったと思います。しかし、よく考えてみると、そこになくてもいい「音姫」や「非常ベル」があったから起きたハプニングではなかったかと考えられなくもありません。

新たな騒音と差別

 プライバシーを守り、資源の浪費を防ぐため「音姫」はこの世に生まれてきました。しかし、一方でそれ自体が資源を浪費することだし、新たな騒音環境を生み出しているのではないかとも思えます。わが校の図書館トイレにも、とうとう「音姫」が登場しました。しかし、トイレと閲覧室との距離が近いこともあって、読書に集中しようと思うたびに女子トイレの「ゴーゴー」と鳴る音に邪魔されることが多いのです。トイレ使用者のプライバシーが守られても、図書館で本を読んでいる大勢のプライバシーは全然守られてはいません。また、こうも言えないでしょうか。男女平等が声高に叫ばれる今日でも、男女一緒に行けない所の一つがトイレです。生まれつきの性差はどうしようもないでしょうが、女性用のトイレのみ「音姫」があるという事実は、これこそ性的差別としか受け取れません。女性が逆の性的差別を生み出していいものでしょうか。

大事なことは別にある

 人々が気にするのはおしっこの音の他にもいろいろありますが、どうでもいい生理的な音より、世の中にはもっと気にしなければいけない大事なことがいっぱいあります。  

 恥ずかしがり屋の女性の皆さん、トイレにはやかましい機械音より、おしっこの音、つまり自然の歌が最もふさわしいのではないでしょうか。私たち女性の心の中にも、もっとおおらかさを養わなければならないのではないでしょうか。  

 私はこの話を通して日本企業の製品を誹謗したり、または女性をけなしたりする意図は全くありません。むしろ、私自身女性だし、力強く元気にボランティア活動をやっている50代、60代の女性をいっぱい知っています。この前、宝塚歌劇を見てきましたけれども、それを見て私は女性であってよかったと思います。女性であるが故の繊細さ力強さが踊りを通して分かることができたんです。  

 世の中、自己中心的で弱々しい女性がいるというのも事実です。私はそういう女性に向けてこの話をしたかったのです。イラク戦争では、水がない、電気がないと苦労している人々の姿が報道されています。世の中には小さくささいなものではなく、もっと大きなものに対し考えなければならないことがいっぱいあると思います。