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2003年8月29日(金)第3,989回 例会

OSAKA DESIGN FORUMーデザイン視点による大阪再生

喜多 俊之 氏

(株)IDKデザイン研究所 代表取締役 喜多 俊之

大阪生まれ。1969年よりイタリアと日本でデザインの制作活動を始める。イタリア、ドイツ、日本のメーカーから多くのヒット製品を生み、最近では液晶テレビや家庭用ロボット、イタリアの自動車メーカーのコンセプトカーなどをデザイン。各地の地場産業の活性化にも携わり、今年は有田焼の国際ブランドをフランクフルトで発表。作品の多くは、ニューヨーク近代美術館などの世界のミュージアムにコレクションされている。

 先だって北京で大きな国際展・デザインフォーラムがありました。そのタイトルが『新資源デザインフォーラム』だったのです。

 日本には石油などの資源がないので、私たちの資源はテクノロジーやセンス、デザインだと常々考えていたので「ええッ!」と思ったわけです。今、中国では“安いものを作る国”から“デザインの国”へ脱皮しようとする動きがあるのです。

 サッチャーの時代のイギリスではデザインを国家事業として抱えました。先日東京であったフランス大使館のデザインイベントでは約1000人が集まって、大使がデザインの話をするわけです。デザインというものが国際的に脚光を浴びてきています。

原点は「中央公会堂」

 「オオサカ デザイン フォーラム」は今年5月に第1回を、北イタリアから企業、メディアの人たちを呼んで中央公会堂で行いました。この中央公会堂は、大阪が今よりもっと日本の中心であった時代に民間から寄付を受けたもので、一歩中に入ると、息をのむような素晴らしい空間です。雑誌“インテルニ”の編集長や企業の社長が「すごい!」とびっくりしたので、私は鼻高々で「これがオオサカなんですよ」と言ったのです。このリニューアルされた建物の隅々に当時の大阪のパワー、意気込みが再現されています。

 リニューアルも記念して、「ここから世界へ発信すればどうだろう」というのが「オオサカ デザイン フォーラム」の原点だったのです。

 今回、デザイナーよりも、経営者やその関係者を対象に募集したところ、学生も含め約1300人が来て100人くらい入れないという大きな反響がありました。

 イタリアの生活産業メディアの女性編集長やシステムキッチンの社長、ミラノに店を出している大阪の中小企業経営者、イタリアの若手デザイナーといったパネリストから“イタリアデザインとは?”という話を私がコーディネーターになって聞き出したわけです。  第2回は7月にあり、堺屋太一さんの「知価ブランドの創造」という話には大変反響がありました。イタリアの“マンダリーナ・ダック”というブランドや企業の人たちが来ました。大企業のブランドではなくて、大阪、関西の中小企業のオリジナルブランドを、中国を含む世界中に売り歩かないといけない。大阪が売るもの、オリジナルを、街づくりを含めて、ここから発信しようというのです。

 第1回フォーラムについて“インテルニ”が特集を組んでくれています。毎回予定されていて“OSAKA DESIGN FORUM”のロゴタイプが世界へ発信されることになります。このフォーラムが、大阪の活性化のためのインフラとなるような方向で考えています。

 質疑応答も活発で、中小企業経営者から「来てよかった」という声が聞かれました。

大阪が戻らなければ日本は大変

 2年前にミラノで私は展覧会をしました。製品はイタリアやドイツで作られて世界で売られているものです。しかしデザインは“大阪発”で、日本発のデザインを世界のメーカーが作って世界の市場へ乗せるという仕事を私は30年ほどしてきました。

 「やればできる」ということです。大阪は素晴らしい都市であり、あとはインフラを生かすソフトをどうするかということです。

 その試みとしてこのフォーラムは始まったばかりですが、早速ドイツと中国からこのフォーラムと何かしたいと言ってきています。来年2月にフランクフルトの“アンビエンテ”というメッセは「大阪のメーカーがデザインした製品と、その開発の背景を展示したい」と言っています。

 今回はイタリアから呼びましたが、来年はアジアを中心に計画しています。また日本だけではなく上海とかミラノで「オオサカ デザイン フォーラム」のイベントを開いて、大阪の地盤、産業の活性化を考えていきます。

 中央公会堂がリニューアルされたことの思いから「大阪が戻らなければ日本は大変だ」という気がします。そういう意味で「オオサカ デザイン フォーラム」をより充実したものにしたいと考えております。

“暮らし”がデザインをつくる

 いいデザインを作るのに必要なのは、いい学校とかいいデザイナーだけではありません。“日常の暮らし”を活性化させることです。

 1969年に私が“旅人”としてイタリアに行ったときカルチャーショックを受け、3か月滞在することにしました。当時イタリアは“奇跡の復興”のあと、住宅インフラをほぼ終え、高速道路の建設、全土から看板をはずすこと、植栽計画が整いかけていました。現在イタリアは、年間何千万の観光客が来て、世界のデザインの中心だとも言われていますが、実は当時すでに計画されていたのです。そのとき一番成功したのは、小さな住宅を大きく建て替えるといった“暮らし”の復興でした。30年以上前のことですが、暮らしの復興があって産業の復興がある、「これだ」と思うわけです。日本は産業、それから生活と順序は違いましたが、これからの日本はすごい動きをすると思います。幸い私たちには祖先からの大変な“暮らしの文化”が眠っています。もう一度そのふたを開けて、中国に負けないソフト、そして資源が生まれる時代になる、大阪がその大きな役割を果たさなければ、という思いがいたします。