1988年生まれ。同志社大学文学部卒業。金剛流二十六世宗家金剛永謹の長男。父と祖父の二世金剛巌に師事。京都を中心に国内外の多くの公演に出演。2012年より自身の演能会「龍門之會」主宰。京都市立芸術大学非常勤講師。公益社団法人能楽協会理事。公益財団法人金剛能楽堂財団理事。京都市芸術新人賞,京都府文化賞奨励賞受賞。重要無形文化財総合認定保持者。
能には,観世流をはじめ,宝生流,金春流,喜多流,われわれ金剛流の五流派があります。金剛流は,唯一関西を拠点に活動しており「京金剛」などと呼ばれ,昔から「謡宝生,舞金剛」と言われるように,舞を鮮やかに見せることに腐心をする芸風を持っています。能は700年の歴史があり,能面や能装束の美術的な価値の高さ,優れた演劇であること,能舞台の建築様式など,様々な要素が絡み合う総合芸術で,いろいろな切り口で鑑賞できます。
能は二つの要素で構成される演劇と言われます。一つは歌舞劇であること。「謡」に合わせて舞を舞うことで,劇としての物語が進行します。「高砂」という能の代表曲の一部分を謡います。
謡曲♪「高砂」世阿弥
(拍手)ありがとうございます。「謡」という声楽に合わせて「舞」を舞うことで,ミュージカルのように劇が構成されていきます。「舞」は型が決められており,一つ一つの型を舞うことで連続性のある動きになります。
能のもう一つの要素は仮面劇であることです。観阿弥,世阿弥の時代,室町時代に能が大成された話が有名ですが,いきなり観阿弥,世阿弥が発明したわけではなく,そこに至る流れがあります。奈良時代にシルクロードを経由して大陸渡来の芸能が日本に入りました。現在でもほとんど形を変えずに残っているものでは「雅楽」が代表的です。宮中儀式,神社で演じられるなど,現代でも残っています。
もう一つ,能の起源につながるものに「散楽」という芸能があります。雅楽とは対照的に,ものまね,曲芸,人形劇など雑多な要素が入っています。おもしろおかしく芸を見せる大衆的な芸能が,能のルーツの一つです。散楽は農耕儀式や寺社の催事など日本古来の土着の芸能と混ざり合い,鎌倉期ごろに劇としての能の形が作られていきました。
この時代の代表的な能面に翁面があります。「日光」という作者によると伝わる「白色尉(はくしきじょう)」は金剛流に伝来する能面で,約700年前,南北朝期ごろの作と言われています。翁面は「翁」という演目のみに用いる能面です。250曲ほどの古典の演目の中でも「能にして能にあらず」と言われます。劇というよりも神事の側面が強く,白色尉をかけた翁が天下泰平,国土安穏を祈願する演目で,ストーリーは希薄です。宗教儀式のようなものが,中国渡来の芸能と混ざり合い,今の能の形が作られていったことが実感できる白色尉は最も古い時代に造形が完成された能面の一つです。
室町時代に観阿弥,世阿弥という二大天才が現れて,現在の能の原型が完成していきました。この時代の代表作の一つに「雪の小面(こおもて)」という若い女性の能面があります。室町初期の伝説的な面打ち,石川龍右衛門重政によるものです。「雪」「月」「花」の三つの優れた小面を作ったとされ,愛蔵していた豊臣秀吉が知り合いに分けました。雪の小面は能の師匠筋である金春大夫に与え,花の小面を私ども金剛の先祖が頂戴しました。月の小面は徳川家康がもらいました。月の小面は後に江戸城の大火で消失したとされます。金剛流に伝わった花の小面は明治の頃に三井記念美術館に所蔵されました。雪の小面は,明治の頃に金春流から外に出て,今では私ども金剛の家にあります。
江戸時代を通じて,能は公式の芸能として保護され,能楽師たちは幕府や大名から禄をもらって生活していました。大政奉還で幕藩体制が崩壊し,禄をもらえなくなったため,明治の頃に数多くの能面が市場に流出したのです。雪の小面も金春流から流出し,行方知れずになりましたが,後に大阪で見つかりました。市場で買い求めた大阪の豪商・平瀬露香が金剛流を支援していたことから,雪の小面を金剛でお預かりする流れになりました。
江戸期の代表的な能面としては「泥眼(でいがん)」を挙げたいと思います。室町の前期,中期頃は,能という演劇自体が非常に流動的で,まだ古典としての様式が定まっておらず,工夫創意しながら新しく作り上げる時代だったので,新作の演目がたくさん生み出されました。新しい要求がある中で作られた室町の前期,中期頃の面は,躍動感,生命感が非常に強い。造形として多少狂っていようが,彫刻の彫りの深さ,勢いのすごさがあります。
室町の後期,江戸の初期になると,能面の造形はこうあるべきだという様式が定まってきました。そこに現れた大天才が河内家重です。江戸期に入ると,本面を写すのが面打ちの仕事になりましたが,その中で本面の表現を超える面を生み出してしまうのがこの人の天才性です。女性の面は本来,二重まぶたですが,河内は一重まぶたにした。泥眼は男性に裏切られた女性が怨霊になるような演目で使いますが,泣きはらした女性のまぶたは一重まぶたという独特の解釈で作るなど,新たな境地を切り開いた面打ちです。
能面は様々な変遷を経て,現代にかろうじて伝えられています。「優れた能面は,能役者の師匠である」と私の父は常々言っていました。優れた能面はそれぞれの世界を持っており,能役者に「この能はどう演じたらよいか」を伝えてくれるのです。私どもは日頃から面と向き合い,この面ではこの演目の世界をどう表現したらよいのか,どんな謡を謡うのか,常に考え,面から学ばせていただく,そういう時間を大切にしています。
何百年という時代を超えて舞台で能面を用いていますが,能役者の意識としては,代々大事に伝えられ,今の時代に私どもがお預かりしているということです。能面たちがすばらしい舞台を生み出してくれるように,次世代に正しく伝えていくことが使命だと思っています。能面という非常に優れた芸術作品,舞台道具,こういった観点からも能の魅力を感じていただければ幸いです。
(スライドとともに)