1989年滋賀県出身。聴覚障害者の両親のもとに生まれた聞こえる子どもとして,手話で育つ。家庭における聞こえない両親との生活がIT革命で様変わりした一方,社会における聴覚障害者の教育・就労の変化のなさに疑問を持ちSilent Voiceを創業。
大阪を中心に聴覚障害児の教育事業などを手掛ける。2018年日本青年会議所主催「人間力大賞」にて内閣総理大臣奨励賞を受賞。
私は2017年にNPO法人を立ち上げました。当時の安倍首相から一億総活躍という言葉が出たころでした。日本には耳が聞こえない人は30万人います。その人たちのことを考える機会を内閣府からいただきフィンランドで話を聞いたところ,一人一人の幸福のニーズが違うため,障害者と健常者は分けて考えないと聞きました。聞こえない人には通訳がつくので,大学院の博士号まで多様なキャリアを積めるそうです。
ヘレンケラーは「目が見えないのはモノからの孤独であり,耳が聞こえないのは人からの孤独である」という言葉を残しました。耳が聞こえない人は口元をみて意味を推測しますが,「たまご」と「タバコ」のように違いがわからない言葉もあるため手話も必要です。でもコロナ禍でマスクをするようになると,口元が見えないため話していることすらわからなくなりました。学校で急に肩をつかまれて,無視すんな!と言われて,学校に行けなくなった子どももいます。会社や学校に行けない不安の声が,私たちの元にも集まりました。実は口元を見て推測すると脳の90%を推測に使うため,学習効率が悪くなるそうです。そのため今は手話が見直されていて,口パクの推測ではない環境を整えることが,私の重要な仕事になりつつあります。
聞こえない人が働く会社はチームワークがとりづらいという課題があります。これは教育にも問題があると考えて,大阪の谷町6丁目に聞こえない子どもを集めた塾を作りました。奈良や西宮,滋賀からも来るようになったため,遠いところにはオンラインで支援を始めたところ,全国に生徒が広がりました。
私の仕事の原点は,自分が両親とも耳が聞こえない,コーダ(CODA,Children of Deaf Adults)だったことです。冗談もけんかも手話ですから,私は日本語より先に手話を覚えました。保育園に入った時,私は一人ずつ肩をたたいて手話で自己紹介をしたそうです。ある男の子は,私が頭の上で手を振ったので,魔法使いだ!と逃げていきました。これではいけないと祖父母が躍起になって日本語を教えてくれました。おばあちゃんには歩道橋でバス!,バイク!,自転車!,あとなぜかクラウン!と教えてもらいました。このようにして何とか話せるレベルまでになりました。私は6歳になると家の中で通訳の役割が生まれました。障害者の両親を助けるいい息子,というわけではなく,自分のできることを家族のためにする「共助」の気持ちでした。
聴覚障害者の事情を知るために,もう少し両親について触れます。父は親戚が通った膳所高校に自分も行きたいと勉強に励みましたが,校長に「聞こえない子どもの学校に行け」と一蹴されて受験資格さえも与えられませんでした。父は夢に挑戦できなかったことが苦しくてたまりませんでした。高校を出て就職した工場では,父は呼ばれても振り向けず,いら立った人がネジを投げて呼んだそうです。父は家の中では何の障害もなくいいリーダーでしたが,職場でネジを投げられていることは私には受け入れがたい事実でした。
母は駅前で喫茶店をやっていました。最初,私もおばも反対しました。聞こえない両親の元に育っていた自分にも,当時は差別意識があったのだと残念に思っています。でも母は店を16年間黒字で続けられました。なぜそんなことができたのか聞いたら,お客さんに言われて動くことはできないから,よく見て気づいて行動したからだそうです。
両親に,耳が聞こえるようになりたいかと尋ねたこともあります。父は「聞こえない人生で損をした。聞こえるようになりたいに決まってる」と言い,母は「自分を変えたくない」と言いました。耳が聞こえないことも環境によって捉え方が変わることに気づきました。
私は聞こえない人の職場を変えていきたいと考えています。障害者は同じ仕事を30年,40年やるからキャリアプランは必要ない,という方がいましたが,フォークリフトやハンドリフトの資格を取れるように変わり,昇級,昇格を果たす人が出てきました。
また聞こえない子どもは,家族の会話の中に入れないことがあります。地域の学校に入って,口パクで教育を受ける子どもも増えています。谷町6丁目の教室には仲良くなりたい友達の声が聞こえず,家で泣いている子がいました。このような子どもたちが手話を覚えて仲間が増えたら明るくなりました。家や学校で孤立した鹿児島の子どもが東京の聞こえない先輩とオンラインで出会い,高校に行きたいと気持ちが変わり,合格したと報告をもらったこともありました。
また,大阪で耳の聞こえない小学生の女の子の痛ましい死亡事故がありました。慰謝料の元となる逸失利益とは社会に出られたら稼いだであろう生涯賃金のことですが,今まで健常者の6割程度だったのが,今回,100%で結審しました。裁判官は「社会がITによって変わってきている」と言いました。話す声はアプリで文字になり,チャットなど音声を介しないコミュニケーションもできます。人に聞かなくてもAIで調べられます。社会の変化の中で,聞こえない人が活躍できるポテンシャルは上がっています。
聞こえない人の中には学歴を手にした人やステータスの高い職業資格を取る方もいます。聞こえない人が面接に来たら経営者の方は活躍の場を作ってください。また,教育環境が乏しい子どものためにオンラインでの支援を行っています。オンライン支援は福祉制度ではまだ報酬となっていませんが、福祉に近い価格で提供しています。ここにも手を差し伸べていただけるとうれしいです。
(スライドとともに)