「大正15年5月、日本で初めて大阪で開いた連合懇親会はあらゆる意味で大成功であったが、そのお礼の挨拶にと立った東京の杉村楚人冠のスピーチは例によって痛快淋漓たるものがあった。曰く
先日ある外人にあった時、日本の宴会に就いて感想を述べて曰く。日本の宴会は No lady, No speech そして Too many photographs だと思うと云うことであった。褒めたのか貶したのかそれは知らぬが、 日本の宴会で No Speech は確に一つの Beauty だと思う。近時西洋の蛮風が輸入され折角御馳走の後に陶然たるの時、夢驚かす Speech の指名、指名されたものの迷惑はさること乍ら、聞く者亦迷惑至極と推察する。
我々はロータリアンを標榜して居るのではないか、同じ感じを持つ我々が口で喋らなければお互の感じ が通ぜぬとは情けない。 Can speak heart to heart である。其の席で喋れとは馬鹿々々しき限りなり。又 世の中の挨拶なるもの程愚なことは無い。お目出度いづくめの挨拶、心にもなき追従、空を見ればいいお天気 でございますはすぐ解る、達者なればこそ御機嫌よう面と向って居るものを御機嫌様とは何だ、愚の至りである。今夜茲に列席して御馳走を戴いた、御馳走は御馳走、自分で云わなくても誰の心にも同じ感じを持つ。今日大阪が斯くの如く至れり尽せりのご歓待を見て、実は私は苦痛に思う。何故かなら、来年は東京で此の会を開かねばならぬのであるが、東京ではとても此の様なことは準備出来ぬ。先刻から見ておると、伊藤君など連りと長い足を運ばして奔走して居られる。東京で長い足の持主と云えば私であろうが、私にはとても 伊藤君の真似は出来ぬ。先年私が朝日新聞社より命ぜられて世界を廻って帰った時に費用の明細を社に報告した処、社では此れでは困ると云う。何故かと云うに余り少ない費用だから行く人が困ると云う事であった。つまり今日大阪が此の先例を残されると、来年の東京は実に苦しい。私は茲に御歓待の挨拶に代え、此の先例を 残した大阪を吃度叱り置く。云々。」
(「大阪ロータリークラブ五十年史」より原文のまま)