1984年大阪府大阪市生まれ。
3歳から水泳を始める。2004年アテネオリンピック200m背泳ぎ8位入賞。’21年ロンドンオリンピック100m背泳ぎ,400mメドレーリレーで銅メダルを獲得。50m・100m背泳ぎ日本記録保持者。現在はミズノスイムコーチとして後進の指導及びスポーツの振興に尽くし,又スポーツキャスターなど多方面で活躍。
〈寺川氏が水泳を始めてから引退するまでの水泳人生をたどった映像の上映に続き〉
私は3歳のときに小児ぜんそくになり,体力をつけるために何かスポーツをした方がいいということで,小児内科の先生から勧めてもらったのが,たまたま水泳でした。両親はスポーツ選手でも水泳選手でもなく,ぜんそくを患って,先生に勧められるままに体験レッスンに行き,水泳を始めました。
その後,長い水泳人生を歩んできたのですが,オリンピックというのは,いろんなことがうまくいったり,いかなかったりする場所でもあります。私は2004年と’12年の2回経験しましたが,’04年のアテネオリンピックでは,現在,国際オリンピック委員会(IOC)会長のコベントリーさんと同じ種目に出ました。私は8位でしたが,コベントリーさんは優勝しました。同じプールで,同じ種目で一緒に泳いで金メダルを取った選手がIOC会長ということで,すごくご縁を感じています。
オリンピックの話をしようかと思ったのですが,きょうはその後の人生の話をさせていただきます。私は28歳まで水泳選手として現役でしたが,ミズノに入社した’07年から引退した’13年までの約6年は社会人アスリートでした。
アスリート界の大きな課題である「引退後の第2の人生をどうするか」について考えるように言われていましたが,あまりに練習がしんどすぎて,あっという間に引退となりました。第2の人生としては,後進の育成というのがまず1つあります。ミズノでは現役のときから水着の開発に携わっていました。では,どうするか。そんなある時,テレビ局から電話が入り,「スポーツキャスターをやってみませんか?」と突然言われました。選手時代はカメラで撮られたり,(取材側の)思った通りの答えをするまで何度も同じ質問をされたりするのが嫌で,大きな大会では柱の陰に隠れて待機していました。そんな自分がテレビ業界に入って,スポーツを伝える立場になるとは思ってもいなかったので,開口一番,「やりません」とお返事しました。
すると,ミズノの皆さんが「皆がやりたくてもできない仕事なのに,なぜチャンスを捨てるんだ」「今まで思う存分に泳いできたのだから,やったことがないことに頑張ってチャレンジしてみなさい」と後押ししてくれました。私は現役を長く続けてきたので,選手の気持ち,選手の意見ならば伝えることができるのではないかと思い,「やってみます」と,スポーツキャスターの世界に足を踏み込みました。
ところが,とんでもない現実が待っていました。「言葉の壁」です。私は大阪出身で,大学卒業までずっと関西にいたので,当時は全く標準語,東京弁が話せず,注意されても,何を言われているか分からなかったのです。
最初にテレビ局に行くと,「まずナレーションを撮ります」と言われ,原稿を1行読むと「はい,ストップ。もう1回」というのを永遠にやられました。「何がダメなのか?」と尋ねると,「すべて関西のイントネーションでは困ります」と注意されました。アナウンス学校に行くように言われ,仕事と並行して通いました。何回も,何回も注意され,なかなかできなかったのが「鼻濁音」です。「何々選手が」の「が」は「ンが」というのが標準語なのだそうです。何回も,何回もレッスンを受けてようやくテレビの前に立ちましたが,それでも繰り返し注意されました。途中で「できないものはできない」と開き直り,私はアナウンサーではなく,元アスリートのスポーツキャスターとしてやっていこうと心に決め,スタートしました。
私は現役時代に「○○の結果が残念でしたね」という言葉を何回もかけられてきました。インタビューする側はもちろん悪気はないと思いますが,「残念でしたね」がどれだけ人を傷つけることか。選手は良いときもあれば,悪いときもあります。結果が出なかったときにかけられた何気ない一言で,ものすごく傷つくのです。自分の経験も踏まえ,アスリートの皆さんに話を聞くときは,絶対にその言葉は使わないように心がけてきました。
もう一つは,引退に向けての話です。みんなが知りたがるので,インタビューで聞かなければならないことがあります。今は引退してプロ野球の解説などで活躍されている内川聖一選手(元ソフトバンク)の成績が奮わず,「引退ではないか」と言われていたころ,大分まで自主トレの取材に行き,今後の話を聞くことになりました。
「これだけは聞けない,私にはできない」と言うと,スタッフは「できないじゃない,やるんだ」と。インタビュー中にはカメラの後ろから何回も何回もカンペで「引退,聞け!」「引退,聞け!」と。何回そのカンペを見ても,私は最後の最後まで聞くことができませんでした。なぜなら,もしかしたら内川さんは,あと1年,もう1年,選手として結果を出すために頑張ろうと思っているかもしれない。私はそう信じたい。そう思いながら話を聞きに行ったので,私の口から「引退」の2文字を言えずに取材は終了し,スタッフにしこたま怒られました。しかし,そこは私がアスリートとして,スポーツキャスターとして,ぶれてはいけない心構えだと思っています。選手に対して失礼があってはいけない。選手の気持ちを考え,立場をわきまえて話を聞かなければいけない。どれだけ怒られても,そこだけはぶれずにやっていきたいと思っています。
私は第2の人生でスポーツキャスターとして,テレビの前に立ってスポーツ界を盛り上げる役目をいただきました。これからも水泳をはじめ,いろんなスポーツ界に自分なりに一生懸命貢献していきたいと思っています。
(映像とともに)