1958年,大阪市生まれ。東京藝術大学美術学部大学院修了,日本東洋美術史専攻。東京藝術大学助手や大阪市立近代美術館(仮称)建設準備室主任学芸員を経て,大阪大学総合学術博物館教授。現在は大阪大学名誉教授。著書『大大阪イメージ─増殖するマンモス/モダン都市の幻像─』など。
北野恒富,佐伯祐三,大大阪モダニズムなどの展覧会も企画監修。
「大阪経済人の美術収集/山本發次郎コレクションと佐伯祐三」をテーマに話します。
古い大阪は,文化・芸術に金を使わないので「物質の塵都」と言われていましたが,大阪中之島美術館がやっと建ちました。1990年に入りまして,その時,私は32歳でしたが,その美術館がなかなか建たない。地震が起きるし,バブル崩壊とかもありました。
美術館というのは本当に重要です。近代都市における文化施設としての美術館は趣味でやっているわけじゃなくて,行政的にも,その当時日本が欧米に追いつくために何が必要かを知る面でも重要な施設です。教育目的とか,美的感性の育成がありますし,産業とも結びついています。京都は美術が盛んというのは,伝統工芸と結びついているからです。
もう1点重要なのは,美術館の有無が地域の歴史と密接に関係していることです。今,「女性画家たちの大阪」という展覧会をやっていますが,女性が大阪で活躍してきた事実を大阪の人が知らない。中之島美術館の隣に国立国際美術館がありますけど,国立なので大阪をみているわけではない。大阪人のための大阪の美術館が必要でしたが,30年実現しなかった。その中之島美術館は,この前「佐伯祐三展」を開催しました。この画家は30歳で亡くなりました。大阪市北区中津の光徳寺というお寺の出身で,北野中学(現・北野高校)を卒業後,東京美術学校(現・東京藝術大学)へ行きました。その後,パリに渡り帰国して,また渡りましたが,パリで亡くなってしまう。天才画家と言われていました。中之島美術館が持っている「レ・ジュ・ド・ノエル」,「郵便配達夫」,「ロシアの少女」などが有名な作品です。
佐伯の死後,作品を集中的に収集し始めたのが「山本發次郎」です。山本の「佐伯を中心とするコレクションを大阪市に寄贈するから美術館を建ててくれ」という話が出て,中之島美術館が建ちました。
山本のコレクションは,40点が大阪市に寄贈されました。ただし,山本が持っていた佐伯のコレクションは150か170点に上りました。大半は空襲で焼かれ,半分ぐらい喪失しました。山本のコレクションの中心は墨蹟で,お坊さんらの書を中心に,580点に及ぶコレクションを大阪市に美術館をつくってください,と昭和58年に寄贈しました。
山本がどんな人物かというと,明治20年に岡山県で生まれております。本来の名前は戸田清,県立高梁中学校(現・高梁高校)を出て,東京高等商業学校(現・一橋大学)に進学,それから鐘ヶ淵紡績に入社して,大正3年に山本家に婿入りします。
山本家は,幕末に丹波から大阪に進出し,茶の貿易をして神戸で成功したようです。その初代・發次郎は山本家の分家として大阪船場の安土町にメリヤスの肌着の製造販売業を起こしました。明治40年には欧米の視察に支配人を派遣し,玉造に工場をつくり,大正9年には二代目發次郎になりました。メリヤスと髪の毛を染める,戦前の商品名で言うと「るり羽」というヘアカラー商品を主に扱いました。
コレクションとしては,中之島美術館が持っているアメデオ・モディリアーニの作品は山本發次郎のものです。この人は非常に個性的なコレクターで,阪神間にある美術館は日本の古美術の美術館が多いのですが,そういった基準と関係なく集めており,新しい感覚を持っている。
佐伯祐三は昭和3年に亡くなります。山本は佐伯が死んだ数年後から佐伯作品の収集を始めます。
すごい勢いでコレクションしまして,昭和12年時点で108点ありました。東京の美術館で「山本發次郎所蔵佐伯祐三遺作展覧会」を開き,自分で画集も出します。山本發次郎は自身の収集を,「私はよく美術品の蒐集は永遠的の文化事業であると信じてやっています」と述べ,文化事業をやっているんだと主張しています。「私の蒐集は決してこれを金銭に換算し,世の富豪のように有価證券を所持してるが如き心持ちでなく,私は消亡品として,山本一個の主観的なコレクションとして蒐集も亦創作なりとの観念で集めている」という。すごい殺し文句ですよ。集める行為に創作しているという意識を山本さんは持っている。昭和20年の空襲でコレクションは半分くらい失われましたが,この人は収集をやめない。戦後は,松山の神官・三輪田米山の書の収集に打ち込み,昭和26年に亡くなられました。
それから580点の作品を大阪市に寄贈されて,美術館構想ができました。
終わりに,佐伯祐三の話に戻りますが,佐伯の作品はどこにあるかというと,和歌山県立近代美術館が14点,それから白浜に近い田辺市の美術館に3点,あとは山王美術館(大阪京橋・OBP)に10数点あります。ただ1つだけ問題になるのは,美術館では常設展が大事です。ルーブルへ行った時,常設の「モナリザ」を観に行っていると言っても過言ではない。美術館は,常に見られるという安心感が必要ですが,実は常設展示で佐伯は出ていないのです。私は佐伯の巡礼者やと言って大阪市から和歌山市,田辺市へ行ったとしても,常設で出ていない。最初にこの美術館の建設計画に携わった人間として残念なことです。いつ行っても佐伯の作品は見られる,あるいは山本發次郎コレクションが見られるというのが大事だと思っています。
(スライドとともに)