2001年台湾台中市生まれ。台湾の高校を卒業後,大阪教育大学に入学。現在は大阪教育大学教育協働学科理数情報専攻数理情報コース学部生4回生。日本留学のチャンスをいかし来年からは大学院進学を目指している。2660地区米山記念奨学生として’22年4月~’24年3月末当クラブ受入れ。
台湾出身の陳彦君です。昨年4月から米山奨学生としてお世話になっています。2年間にわたりサポートいただき,心より感謝申し上げます。
本日の卓話のテーマは,AIが変化してきている仕組みと,私が考えるAIの課題についてです。長年私が興味を持っているもので,これまでの研究成果の発表になります。
さて,われわれの社会はこれからどうなっていくでしょうか。この問題はどの時代でも,どの国でも問われ続けています。なぜなら,人類社会の進化には終わりがないからです。その中で,あるステップの進化のスピードが特に速いときは人間が介入してブレーキをかけることがあります。これはまさにAIの進化にもあてはまる課題です。AIによる進化のスピードは,これまでに見たことのない最高のもので,毎年新たな問題や課題を生み出しているのです。
今年一番の話題になったのは「生成型AI」です。これまでも驚くべきツールとして知られていた(AI人工知能)でしたが,今年に入ると,人と会話をすることができるようになりました。さらに,絵を描くAI,人のように声を出すAIも。これらはすべて,革新的な技術で,新たなアプローチである生成型AIによるものです。
では,この生成型AIとは,どのようなものでしょうか。
「生成」という言葉の意味は,日本の辞書には「ものを新たにつくり出すこと」と記されています。このことからも言えることは,生成型AIのゴールは「何か答えをつくり出す」ことなのです。何かをつくり出すことでOKとなり,その答えの正確性は求められていないということなのです。
生成型AIはインプットがない限り何の動作もしません。たくさんの情報やデータや経験から答えをつくり出すのであって,データなしでは何時間かけても「お絵描きAI」で絵が描かれることはないのです。生成型AIは,常に正しい答えを導ければいいのですが,現状は「とにかく何でもいいから答えをつくりなさい」ということが優先されているのです。
生成型AIで現在一番知られているのはChat GPTですが,「よく聞くけど,正直,何の機能があるのかわからない」という印象を持たれているかもしれません。
Chat GPTは2つの部分で評価されています。1つ目はソフト本体に対しての評価,2つ目は,Chat GPTの設計を模倣してもっと素晴らしいものがつくれるのではないか,ということです。
このうちソフト本体についてですが,Chat GPTは対話を目的として設計されています。開発の難易度からみると,間違いなく高い評価に値します。人の話の癖を理解するだけでも難しいのに,会話に入り込み,話の題材まで理解できるようになっているのです。
私が検証した中でChat GPTの優れていると感じるところは,まずは人類の各言語の文法をかなり完璧に習得していることです。しかし,私は次の方をより重要視しております。それは,会話が成立するためにChat GPTは膨大な学習資料を保有しており,まるで全知全能のようにつくられていることです。
一方,致命的欠点も持ち合わせています。それは「正確性を重視しておらず,何か答えを出せば目標達成」という設計となっていることです。
先ほども言ったように,Chat GPTは図書館みたいにたくさんの本を保有しているように思われます。ですが,保有していない本の内容を聞かれた場合,「正解を出す」ことよりも「会話として成立する話をつくる」ことが優先されるのです。
こんな例はどうでしょうか。ちょうど今大学院の試験でいろいろ勉強しているところだったので,Chat GPTに次回の大学院の試験問題を尋ねました。しかし,それは答えがないですよね。もし正確に答えたとしたら,重大な情報漏洩ですから。
では,Chat GPTは一体どう回答したのか。過去の試験問題どころか,高校1年生の数学の課題が出てきたのです。言うまでもなく間違いです。
ここから分かる対話型AIの特徴は,間違っている答えを強引にでもつくり出す傾向にあるということです。
また,もう一つ特徴があります。あるキーワードを使うと急に違う話に変わってしまうのです。私の経験した例では,あるテーマで話しをしている途中,「あなたは何ができる?」と打ち込んだところ,突然「こんにちは,私は対話型AI Chat GPTです,私は~~ができますよ」と答えたのです。おそらく「何ができる?」という言葉が入っていたことにより,全く意図しない回答につながっていったと思われます。
次に「お絵描きAI」です。芸術家はペンで一筆一筆心を込めて丁寧に描いていきますが,コンピューターは小さなピクセル,コマごとに色を落としていきます。このことから分かるのは,早いスピードで絵を描かせると,解析度が非常に落ちてしまうということです。芸術家が描いた絵と比較すると,AIが描いた絵は何となくぼやけている感じになってしまいます。ここは大きな差です。
さらに,完成した作品が変な形になっていることも多いです。例えば人物を描く場合,人物そのものをAIが認識するのは非常に精度が高いのですが,人を描くとなるとまだまだ未完成なのです。
では,短期間でわれわれ人間がAIに仕事を取られてしまうのか。それにはまだまだ相当時間がかかると思っています。
確かに単純に労働力でみると,AIは24時間働いてくれ,文句は言わないし,残業代も不要です。しかし,現状のAIのレベルでは,何でもいいから答えを出すことを目的としており,たとえ間違えていても,ごまかす癖があるのです。このような状況で人の代わりになりえるでしょうか?
AIが使えないと言っているのではありません。正しい人が正しく使えば,それは大きな効果を生み出すことができます。現段階では,AIで人の補助,サポートをするのは歓迎されるべきでしょう。
AIは日々進化してきました。しかしAIは人が使うものであって,人がAIに使われることはあってはならないのです。
(スライドとともに)