1951年生まれ。慶應義塾大学商学部卒業。’74年(株)三和銀行入行。’84年より大日本除虫菊(株)入社。’90年同社常務取締役。’99年代表取締役社長。2004年より在大阪セルビア・モンテネグロ共和国(現セルビア共和国)名誉総領事。1999年当クラブ入会。多数の副委員長・理事を歴任。2013年度幹事,’19年度国際奉仕委員長・理事。米山功労者。
この一年間,皆様方にはとてもお世話になりました。コロナのため食事や会場の設営など,いろいろな打ち合わせが必要でしたが,S.A.A.の笠谷さん,副S.A.A.の小泉さん,松本將さんのお陰で,例会もスムーズに進行することができました。会員増強の廣田委員長,会員選考の鳥井委員長,情報委員会の江藤委員長には,ご尽力ありがとうございました。会員数は現在228名で,何とか昨年並みになりましたのは,皆様のお陰と思っております。
規定委員会の小原委員長には当大阪RCの提案としてRIに複数の案件を上程していただき,ありがとうございました。ロータリー財団の年次寄付,ポリオ,恒久基金に対する寄付額は,地区目標を上回りました。村田委員長,ありがとうございます。米山奨学会に対する寄付額も,地区目標を達成しております。米山奨学会の井村委員長にはありがとうございました。石原社会奉仕委員長には,花祭りコンサートでお世話になりました。職業奉仕委員会の福島裕委員長には,会社の見学をさせていただき,出前事業の実施もしていただきました。健康を守る会の西田委員長には,フォーラムを実施いただきました。インターアクトは岡橋委員長にお願いをしたのですが,コロナのために海外,国内の研修が中止になったのは,非常に残念だったと思っております。委員長の皆様方には,ガキ大将になって,ともかく自分がおもしろいと思うことをしてくださいと申し上げて,おもしろいことをしていただいたと思っております。
米田唱歌委員長には,新しいロータリーソングを作っていただきました。辰馬友好委員長には,100周年記念式典,叙勲会員お祝い,新年懇親会,家族旅行会とたくさんの行事を実行していただきました。大阪RCの代表として,東京,京都,神戸,別府,福岡といろいろな地方へ行かせていただいて,どのロータリーに行っても,大阪ロータリーの100周年はすごかったと言われました。必ず言われたのは,大阪ロータリーのグリークラブのレベルが高いのにはびっくりしたということで,これは米田先生と佐野会員の成果だと思います。
他のロータリーで聞きましたのは,趣味の会をつくっても,続けるのが難しいということです。考えてみますと,大阪ロータリーの趣味の会が活発に続いてゆくのは,趣味の会の山本章委員長の「謡曲」の会をはじめとして,プロフェッショナルの方々にしっかり活動を支えていただいているためだと思っています。
吉本プログラム委員長には,バラエティに富んだ卓話者をご手配いただきましてありがとうございました。
ポーランドのヴロツワフRCと提携して,右近彩葉(いろは)さんの派遣と,ポーランド国内におけるウクライナ難民孤児のツアーに協力をしました。この事業は宮里ガバナーからご紹介をいただいたものです。右近さんの留学のお世話は,近藤康青少年委員長にお願いしました。国際奉仕委員会の藤木副委員長には,100周年の時の姉妹クラブ交流会と,ウクライナ難民孤児のツアーにもご協力をいただきました。
ヴロツワフRCのヘンリクさんの説明によりますと,最初に子どもたちに会った時は,何かすべてをあきらめている感じで,非常に表情が乏しい子どもが多かったそうです。しかし,日本の中学生からの励ましの手紙に返事を書くというロータリーが主催したプロジェクトがありまして,孤児院からバスで外出をした時,やっと少し子どもらしい表情が出てくるようになったそうです。そこで,ポーランド国内の短いツアーを思いついて,資金面で協力要請があったわけです。これはロータリーにしかできないことではないかと思いました。子どもたちの中から,将来,日本とつながりを持ってくれる人が出てくることを期待したいと思います。
100周年という大事な年を立派な形で祝うことができたのは,立野100周年事業委員長をはじめ,数年前から周到な準備を進めてこられた方々のお陰だと思っております。心から感謝をいたします。さらに,ローターアクトの新居委員長には,チャリティーバザー復活,体験型子ども支援事業実施で,100周年記念の「子ども支援事業」への道筋をつけていただいたと思っております。記念事業の大阪公立大学の奨学金と,中之島美術館のプロジェクトが形になってまいりました。これは引き続き「みおつくし奨学金」の委員長をお引き受けいただきました黒田章委員長のご尽力によるものです。
広報の面では,熊谷広報委員長にお世話になりました。クラブ会報の丸山委員長には,引き続き充実した会報を作っていただき,ありがとうございました。会計の面では,薩摩さんにお世話になりました。運営や段取りに奔走した事務局の皆様にも,感謝したいと思います。
個人的に一番しんどかった経験を言いますと,鳥井さんと嘉納治さんが造られた記念品のお酒のラベル(和気致祥)を,筆で書くように言われたことです。私にとっては絶対にやりたくないことでした。毛筆は無理で,1ヵ月ほどかけて文字をデザイン,提出しました。すると嘉納さんからダメ出しが来まして,「9月末までに筆で字を書いて再提出してほしい」と。ラベルを貼ってないお酒をいただきました。これがとてもおいしかったわけです。考え直したほうがいいかなと思って,その日のうちに書道入門の本を買いに行きました。
「時代の流れを読む目を持つ」というのは,大事なことだと思います。「時代の流れを読む目」を持つための基本は,結局この時代に生きていることをおもしろいと思って,好奇心を持って眺めてみることだと思います。人は年数を経ますと,だんだん自分の知っている範囲のこと,必要と思うことしか受け入れないようになります。ビジネスの世界では「無駄なことをするな」とか,「それは何の役に立つのか」とか言われて,「行動には理由と目的が必要」と教え込まれてきたことの副作用ではないかと思うわけです。ロータリーでは,その制約から離れて,少し気持ちがほぐれるような時間にしたいと考えておりました。
次年度の田所伸会長,岩波副会長,杉野幹事は,もう活動を開始されております。意欲的で,立派な方々でございますので,これからの大阪ロータリーをより盛り立てていただける方々だと期待しております。改めて皆様にお礼を申し上げまして,私の挨拶とさせていただきます。誠にありがとうございました。
(スライドとともに)
1953年生まれ。’75年甲南大学理学部卒業,’79年南カリフォルニア大学大学院修了。’80年伊藤忠商事(株)入社。’83年サントリー(株)入社。2014年よりサントリーホールディングス(株)代表取締役副会長。現在,大阪商工会議所会頭,在大阪デンマーク王国・在大阪スペイン王国名誉領事等を務める。当クラブ入会’02年。’05年出席委員長,’17年プログラム委員長,その他委員会の副委員長を歴任,’21年会長。PHF(M)。
上山会長,そして西尾幹事,1 年間,本当にお疲れさまでございました。上山会長には,大阪ロータリー100周年記念式典を無事に終えられ,100周年という大きな節目を見事に越えられましたこと,本当にご苦労様でございました。上山会長のロータリー時代は,コロナ禍からの脱却の時代でした。この3 年間の不自由なコロナ禍も,ようやく終息をすることになりました。
物事には楽観主義(optimism)と悲観主義(pessimism)の二つの見方があります。しかし,これは決して相反することではなく,両方必要と思います。
今回の世界的なコロナパンデミックを経験すると,今後の将来の政治経済,社会,あるいは軍事,自然災害において,何が起こるかわからないというリスクを世界が抱えているということを教えてくれました。
1926年(大正15年),大阪ロータリーの第5代目の会長に平生釟三郎氏が就任されました。平生氏は,川崎造船所,現在の川崎重工の社長,甲南大学甲南病院の創立者で文部大臣を務めた方ですが,明治維新から日清・日露の両戦争,第1次,第2次の両大戦,激動の時代をくぐり抜けた人でした。甲南小学校の校庭には,平生釟三郎氏の言葉「常ニ備ヘヨ」という石碑が置かれています。今の言葉で言いますと「リスクマネジメント」という言葉になると思いますが,「常に備えよ」というのは決して楽観主義ではありません。楽観と悲観のバランスの達人であったのだろうと思います。
ところで上山会長のスピーチは,しばしばキンチョーのテレビCMをほうふつとさせるユーモアの豊かなものでありました。「金鳥の夏,日本の夏」,これは正統派といいますかオーソドックスですが,「タンスにゴン,亭主元気で留守がいい」,キンチョーリキッドの,河童に扮して川を流れていく山瀬まみさん,最近では,虫コナーズの長澤まさみさんの強烈なキャラクターと関西弁,実におもしろいと思います。ユーモアというのは,余裕から出てくるのだろうと思いますが,悲観と楽観のバランスも,多分余裕から出てくるのだろうと思います。コロナを経験して,余裕ということの重要性を改めて感じた次第です。
改めて,上山会長のこの一年,ありがとうございました。田所伸エレクトには,大阪ロータリーの不変の精神を引き継いでいただきたいということをお願い申し上げまして,私からの感謝の言葉とさせていただきます。