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2023年5月19日(金)第4,879回 例会

ゴルフとの出会い素人(専門外)がゴルフ部を創部し日本一に

井 上  尚 彦 氏

『彦』ひこ 井 上  尚 彦 

1964年生まれ。大阪体育大学体育学部体育学科卒業。専門:保健体育・スポーツ理論競技歴:野球・スキー(クロスカントリー)
大学卒業後’88年大阪桐蔭高等学校,2007年大阪学院大学・高等学校,’22年12月同校退職。’23年1月より『彦』として活動中。35年9ヵ月,教員・ゴルフ部指導者として多くの卒業生を送り出し,卒業生には多くのプロゴルファーを輩出しているジュニアゴルファーの普及と振興をはじめゴルフ界の問題を解決するために活動中。

 私はゴルフを全く知りませんでした。小学校,中学校のときに少年野球をやってたんですけど,高校,大学とスキー部。体力には自信がありましたので,クロスカントリースキーを高校,大学とやりました。大阪桐蔭高校に1988年入りました。体育教員が志望だったんですけど,体育教員が人数がいっぱいだからということで事務職員で仕方なく入りました。
 校長先生からゴルフ部をつくるから,ゴルフのコーチをしろということで,嫌々入りました。私,辞めようと思いました。自分の意思じゃないところで続けられるのかっていう時に思ったんですけど,3年間ぐらいは頑張っていこうかなっていうのが,当時の記憶です。

全国大会見て「スイッチ」

 林っていう,今,プロゴルファーなんですけど,彼が2年生で転学をしてきて,この子はゴルフをやってました。それ以外の12人,1年生で全部入ってきて,この1年間彼らは煙草は吸うは,喧嘩するは,もうクラブには全くなってなかった時代で,毎日本当に彼らと喧嘩しました。林は大人しいんで,先輩なんですけど後輩が12人おるんでかなわないですよね。かなわないけど彼も一所懸命に頑張って,私も助けてっていうような形で,この1年間を過ごしました。彼らも今,もう50超えて,本当に素晴らしい人になってくれてるんですけど,まあ林君が,次の年には個人全国大会に行って,私も引率して行ったんです。その時に見た全国大会の光景が,私の思っている体育会のゴルフの光景じゃなかったんです。これはアカンと,絶対スポーツに変えなあかんと。自分の中でスイッチが入ったんですね。
 自分もゴルフの指導者として頑張ろうっていうことで,この当時1番強かったのがPL学園高校ですね。全国大会で優勝してました。目標として打倒PLやと。5年で関西優勝ということで,これを目標につけました。団体戦にはチームワークを重視。これは毎日毎日彼らに言いました。例えば授業が終わったら,そのままゴルフのコーチに習いに行くとか,そういうのは絶対ダメ。必ず4時からクラブ活動をしなさい。そして自分の専門を生かす指導,私は体力がすごくあったので,彼らに何かマウントを取りたいなと。ゴルフは全然できないんで,俺は走ることだっていうことで,ゴルフはな,これ,スポーツやねん,自分ら全然走られへんやろ,絶対走らなあかんから,走ろうって言って,練習メニューの中に「走る」も入れました。彼らは予想通り全くついて来れませんでした。それで彼らもこいつやりよんなと。
 まあ,今ではその当時の生徒は井上はゴルフなんか全く教えてくれへんかったと,もう走ってばっかりや,っていう感想を聞いたんですけど,でもそれも結局,今プロゴルファーになって言ってくれてます。今となっては,あの時の走り,あの時の苦しさっていうのが,今のプロに活かされてるんだって。聞いたときに「やってよかった」とは思っています。
 ゴルフノートというのは,これ交換日記ですね。毎日朝に集めて,練習始まる前に自分がコメントを残して彼らに返すっていうようなことを毎日ずっとやっていました。生徒がちょっとした気づき,ちょっとしたSOSっていうのが,ここで分かるようになった。チームの中でよくないところを,ヒントを得ながらやったっていうのが,この最初の時です。

信頼を得ることと実践練習

 そして5年後,1993年の関西の対抗戦で初めてPLに勝つことができました。掲げた目標をしっかりと子ども達に伝える,信頼感を得るというような形で目標を達成しました。
 そして5年後に全国大会の優勝をもう1回,関西だけじゃなくて全国で優勝を取ろうということで,もう一段プラス,チームに課したのは,部員全員に毎日毎日ミーティングで日本一になるんやと,絶対になるんやと,これを言い続けました。もう1個は,スカウティングの強化です。やっぱり優秀な人材をそこに入れるっていうのは,これスポーツ界では結構大切なことなんです。そして実践,ラウンド練習を増やす。近隣のゴルフ場さんに頭を下げて,当時は阪奈カントリー倶楽部さんと,飛鳥カントリークラブさんっていうところにお願いをして,ラウンドの機会を増やしていただきました。
 実際に目標の5年目で,この全国大会に優勝することができました。大阪桐蔭で19年間奉職をさせてもらって,新たに大阪学院大学でやってみないかと,大阪学院大学,高校も1回も全国大会行ったことのない高校だったんで,やってみないかっていうことで。2007年,大阪学院大学,高校の体育教師として奉職をしました。

目標を立ててあきらめない

 その時に立てたのは,目標は2009年,3年後に関西優勝しましょう。4年後に全国優勝しましょうと。もう,大阪桐蔭でこれをしたら全国大会,団体戦で勝てるんだっていうノウハウを私の中でもう持ってたので,これは2009年絶対にやるっていうことでやりました。
 こういう形で掲げて,実際に3年後(関西で)W優勝しました。2010年,約束どおり全国優勝しました。これが大学のときに私がメモに書いたやつです。大学日本一になる,っていうのを5年後に定めました。こういう形で自分の思いとかも,当時のこのノートに書いて,毎日毎日見ていました。これを毎日,ああ,できへんなと思っても,これを毎日見て俺が諦めたら子ども達も諦めてしまうやろということで,メモを,毎日毎日携帯してました。
 実際に大学,高校でやりたいなと思った団体戦,男女優勝ができて,私ももう本当にやり残すことはないということで,指導者から降りて,今は普及ということで,ジュニアをもっと育てていこうとまだゴルフは敷居が高いので低くしようという活動を今やっています。