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2022年3月18日(金)第4,826回 例会

封印された感動の日本近現代史

井 上  和 彦 氏

ジャーナリスト 井 上  和 彦 

1963年滋賀県生まれ。法政大学卒業。専門は軍事・安全保障・外交問題・近現代史。各種バラエティー番組やニュース番組のコメン テーターも務める。“軍事漫談家”の異名を持つ産経新聞「正論」執筆メンバー。フジサンケイグループ第17回「正論新風賞」受賞。(公財)国家基本問題研究所企画委員,(公財)モラロジー道徳教育財団特任教授,東北大学大学院非常勤講師(H20-H30)。サンミュージックプロダクション所属。『日本が感謝された日英同盟』(産経新聞出版),『親日を巡る旅』(小学館)『撃墜王は生きている』(小学館文庫)など著書多数。

 ロシア軍によるウクライナ侵攻をはじめ,心痛むニュースばかりが飛び込んでまいります。そんな中,本日は100年前の出来事についてお話をさせていただきます。大阪RCが生まれたのも100年前ということで,ちょうど同じ時期にこの大阪でどのようなことが起きていたのかというようなことも含めて,皆さんに聞いていただきたいと思います。

100年前,ポーランド人のSOSに応じた日本

 第1次世界大戦での日本の活躍は戦後教育の中でほとんど語られていませんが,日本の貢献が連合軍を勝利に導きました。さらに第1次世界大戦末期にある出来事が起こります。そこでは日本の大きな人的支援,人的貢献がありました。1917年,ロシア革命が起き,日本は’18年8月,シベリア出兵を行います。’22年にソビエト連邦が成立しますが,その誕生前,満州に「極東共和国」という傀儡政権を立てます。ロシアがコントロールできる国をつくろうとしているという意味で,今のウクライナ情勢と非常によく似ています。
 一方,在ウラジオストクの「ポーランド救済委員会」がSOSを出します。ポーランドは当時ロシアの占領下で,独立闘争をしていたポーランド人は政治犯として,シベリアに送られていました。15万~20万人がシベリアに抑留され,苦しんでいました。そこで救済委員会のメンバーが世界各国に救済を求めますが,米国をはじめどの国も応じません。そんな中,一番近場の国,日本が動きます。当時の外務省は,「せめて子どもたちだけでも助けてください」との求めを受け,日本赤十字に救助を要請。陸海軍の協力のもと特にシベリアにいるポーランド人孤児たちの救援に乗り出しました。
 1920~21年,5回にわたってウラジオストクから陸軍の輸送船「筑前丸」で2~16歳ぐらいの孤児らが敦賀へ運ばれ,東京の「福田会」という養護施設が受け入れました。’22年には第2陣の輸送が3回にわたって行われ,子どもたちは大阪・天王寺の寄宿舎に入りました。計765名の命が救われたのです。

シベリア孤児記念小学校を訪れて

 天王寺で過ごした孤児らの写真をご覧ください。日本の着物を着ています。天王寺動物園では園長のはからいでゾウに乗せてもらったり,大阪の人々からお菓子をもらったりしたそうです。3カ月後,船でポーランドに送り届けられることになり,東京の第1陣は横浜から,第2陣は神戸から出港しました。神戸港から帰国する子どもたちは船上から,覚えたての「君が代」を全員で合唱して別れを惜しみました。
 そして3年前,日本がポーランドのシベリア孤児を助けたことを記念した学校がポーランドにできました。「シベリア孤児記念小学校」で,訪れる機会がありました。子どもたちがデザインした校旗には,日の丸とポーランド国旗が描かれ,学校では折り紙も教えているとのことでした。
 このとき小学校は休校でしたが,隣の幼稚園の子どもたちが「君が代」を合唱してくれました。園児たちは歌詞カードを見ることもなく,先生たちも歌っていました。源泉は,まさに日本人がポーランドの孤児をシベリアから救ったという100年前の出来事です。
 先だって駐日ポーランド大使にお話を伺ったところ,ポーランドが今,たくさんの難民を受け入れて保護しているのは,かつて100年前に日本がわれわれを救ってくれたからということでした。本当に身震いするようなお話です。

阪神淡路大震災で受けた恩返し

 この写真の方はポーランドの物理学の権威であるフィリペク教授です。この方にお目にかかったときには驚きました。フィリペク教授は子どもの時,おばあ様から「大きくなったら日本に恩返しをしなさい」と言われていたということです。
 ちょうどシベリアの孤児を救援してから75年目,阪神淡路大震災が発生しました。震災で親やきょうだいを亡くした子どもたちを,今度はわれわれポーランド人が救おうという運動が起こりました。
 フィリペク教授は「75年前の恩返し今度はこの子どもたちの心を癒そう」という読売新聞の記事を持っておられました。震災当時,彼は日本のポーランド大使館の参事官でした。自ら阪神地区に車でやってきて,その現状を見てポーランド政府に報告。自分のお金をこの救援のために率先して出し,企業にも募金を呼び掛けました。
 その結果,阪神淡路大震災の孤児たちがポーランドに招待されました。かつて75年前に日本の軍隊,そして日本赤十字,日本政府によって救われた子どもたちの生き残りの方数名と,震災で傷心を負った子どもたちとの対面が実現しました。
 このようなデザインの切手がポーランドで発行されております。日の丸とコウノトリが描かれています。子どもたちを運んでくれたという意味でのコウノトリです。私たちは産経新聞グループのネット番組「サンケイ・ワールド・ビュー」で発信しています。こういう殺伐とした世の中で,やっぱり心が温まる,何かホッとするようなニュースを伝えようと,ポーランドの特集もやっております。どうぞ皆さんにもご覧いただきたいと思います。
 ポーランドの方々が日本との友好を考え,そして日本にしてもらったことがそのベースになっていることをぜひとも知っていただきたいのです。大阪RCが誕生した100年前と同じ時期にこのような心温まる感動の物語があったことをご記憶いただければと思います。ご清聴ありがとうございました。
(スライド・動画とともに)