1963年生まれ。’86年三菱重工業(株)入社。2001年米国三菱重工業(株),’04年三菱重工業㈱人事部,’15年人事部次長,’18年広報部長。’21年4月三菱大阪・関西万博総合委員会事務局長。
皆さんこんにちは。本日は三菱グループの大阪・関西万博出展事業について話をいたします。
今回の三菱の総合委員会には,私の所属する三菱重工や,商事,銀行,地所,電機,自動車,明治安田,東京海上など30社のグループ企業が参加しています。9月24日の「三菱未来館」の展示内容の発表記者会見では,質問は先端技術とか製品の展示に向かいがちでしたが,私どもは短編映画をご覧いただくべく準備しております。特定の企業・業種・業態に偏ることなく,万博のテーマ「いのち輝く未来社会のデザイン」に呼応した普遍的なメッセージを差し上げたいと思っております。
三菱グループは1970年の大阪万博以来,2005年の愛知万博や,いろいろな科学博,園芸博,花博などに,連続して三菱未来館を出展してまいりました。今回はコロナ禍という大きな試練を越え,有観客で2,820万人もの人が夢洲に訪れるイベントであり,「社会とともに歩む三菱グループ」というメッセージをお伝えしたい,と考えています。
三菱グループは,根本理念「三綱領」の中に「所期奉公」という言葉があります。今日的に解釈しますと,「物心ともに豊かな社会の実現に努力するとともに,かけがえのない地球環境の維持に貢献する」です。この理念は万博が目指すところと一致し,呼応した私どものメッセージとして出展させていただく次第です。
70年万博の時,私は小学校1年生でした。初めて新幹線に乗って東京から大阪に参りました。入場者数は6,421万人という大変な数で,当時の人口から考えますと3人に2人という,家族で行く非常に大きなイベントだったと思います。今はレジャーが多様化している中,半年で2,820万人のお客様に来ていただくのはハードルが高いのですが,各パビリオンが趣向を凝らして多くのお客様に喜んでいただけるよう用意しています。
民間パビリオンは,リングの外側の東側に5館,西側に8館です。三菱未来館は大阪メトロ中央線の駅を降りて東側のゲートに入って最初のパビリオンです。館に入ってから出るまでの動線をCGでご覧ください。
(映像)地下に広がる柱のない大空間は休憩スペースで,予約がない方も自由に訪れられます。プレショーは深海から宇宙までの旅のレクチャーです。キャラクター「ナナ」と「ビビ」が案内します。メインショーは天井まで覆う高さ9mのスクリーンで没入空間の映像を提供します。(映像終わり)
夢洲は埋め立て地ですので,約50mの鋼鉄製の杭を基礎として,半地下状に掘削した上に,地上2階建てのマザーシップのような建物を置きました。床下をコンクリートで固めると,解体時に多くのCO2を排出するため,リサイクル可能な工程を採用した杭基礎を三菱地所設計で考えました。こうして生まれた柱のない半地下空間には,地下ならではの冷気が流れ,直射日光が遮断されるので,風通しのよい涼しい待機スペースとなります。地上より3~4度は低い涼を得られ,ストレスなくお待ちいただけると思っております。
外観工事は竹中工務店の共同事業体に建設・建築をいただき,9月25日に博覧会協会から完成検査の合格証を,タイプAのパビリオンとしては第1号で頂戴しました。現在は内装,展示工事が進捗中です。
パビリオンでの映像「JOURNEY TO LIFE」はエンターテインメントだけでもなく,架空のSFでもいけないので,学術的な監修を惑星科学,アストロバイオロジーが専門の東京科学大学・地球生命研究所長の関根康人さんにお願いしました。先生のメッセージをご紹介します。
(映像)アストロバイオロジーは,いのちの始まりから未来までを宇宙からの視座に立って考えます。今,人類は月へ,火星へと乗り出そうとしています。40億年前,火星は地球とうり二つの水の惑星でした。火星にも同様に生命が誕生していてもおかしくないのです。人類が火星に行く旅は,いのちの始まりを探す旅でもあります。(映像終わり)
こうしたしっかりとしたシナリオと,グローバルな3カ国の制作体制で,世界に発信できるコンテンツになると自負しております。
会期中の平日一日にイベントを行うパビリオンデーがありますが,三菱では7月31日です。明治安田はフォトコンテスト「明治安田しあわせフォトコン・こどもみらい写真教室(仮称)」,三菱広報委員会はアジアの24カ国から小学生が集まる「三菱アジア子ども絵日記フェスタ国際表彰式」,三菱みらい育成財団は高校生の思いを発信する「高校生MIRAI万博」。この三つをEXPOホール「シャインハット」で紹介します。表彰式に集まる小学生は,日本や大阪の懸け橋になる最初の体験になると思います。ぜひ子供たちの輝く笑顔を見に来てください。
最後に2025年の大阪・関西万博を時代の中で見てみます。40年ずつさかのぼると,1985年はつくば万博であり,プラザ合意が成立した年です。日本は世界最大の債権国になりバブル期に入りました。さらにさかのぼると’45年は太平洋戦争の敗戦の年です。この間の’70年の大阪万博は高度経済成長期の頂点になる復興,復活のイベントでした。’05年は日ロ戦争の年,さらに前の1865年は明治維新の少し前です。’51年はロンドン万博という万博の発祥の年でした。この200年を振り返って近代・現代史の中に万博を位置付けてみると,2025年の万博で何を残して託すのかという視点も必要ではないでしょうか。
(スライド・映像とともに)