1940年生まれ。 '64年甲南大学法学部卒業後(学)清風学園教諭,副校長, 専務理事を経て, '01年(学)清風明育社理事長, 清風情報工科学院校長現在に至る。'80年大阪青年会議所理事長, 現在, 関西経済同友会常任幹事, 日本ユースホステル協会副会長など要職多数。 '00年より, 仏教大学大学院に入学,現在博士課程在学中。 当クラブ入会1981年。IAC・米山奨学会の委員長, 理事・青少年委員長。 2660地区でも地区委員として永らく活躍。PHF, 米山功労者。
1年間,ありがとうございました。先ほど能村国際奉仕委員長からシカゴでの世界国際大会の報告がありましたが,私の印象としては,アメリカは自信満々である。それを堂々と皆の前で宣言するというアメリカの姿勢を見て,やっぱりすごいなと思いました。
今年はロータリークラブ創立100周年ということで,ポール・ハリスの自伝を読んでみたところ,ロータリーは非常に宗教と関係があることが分かりました。私自身も宗教に非常に関心がありますので,宗教の話を例会でやりましたが,2,3分で話すのは難しく,これは失敗やったなと思います。今日はじっくり時間が取れるようなので,宗教の話を取り上げて終わろうと思います。
宗教に対してなぜ関心があったかと言いますと,一つは戦後60年を振り返ってみたら,アメリカナイズがどんどん進み始めた。実際豊かな社会と引き換えに,今までの日本の文化とか伝統といった良さが失われてきている。それは,海外で日本人に一目も二目も置いていた分野が,ないがしろにされてきているというのを実感したからなわけです。
これからさらに進んでいく情報化社会は何もかもさらけ出していくだろう。日本人の実体もさらけ出されていくだろう。日本の文化とか伝統とか日本人の独自性みたいなものが非常に重要となる社会でもあります。
大阪を考えてみたら,大阪自身の経済指標を調べてみると,戦前よりはるかに巨大な経済規模になっています。ところが豊かな社会,情報化社会の進展とともに,大阪は東京化,中央官僚のコントロールが進み,相対的には大阪の地位が下がって,これはおかしいというのが私の基本的な出発点だったわけです。
私は学校教育に長く携わってきましたが,少子化の進展とともに,どの学校も受験勉強ばっかり言い出してきたわけです。受験勉強さえできればよいということが一般化してきている。これも実におかしい。答が決まっている問題を,ある時間で解く能力があるかどうかをチェックしているに過ぎないのです。ご存じのように,この世の中は回答がない,あるいは回答があるかないか分からないことが圧倒的に多いので,これは明らかにおかしいのではないかと思ったわけです。
戦前の反動もあったと思いますが,国家・国民という言葉が非常に使いにくい,反動のシンボルのような扱いが続いてきました。さらに,宗教や歴史,すなわち人間を正面から見ようとしなくなってきた。そのためか自分以外の人間を軽く扱う,他人に対する思いやりとか,お年寄りを大事にするという考えがどんどん希薄になってきている。
こういう豊かな社会とともに,要求の拡大というのが増えています。これは仏教では「餓鬼」といいます。貧しくて「くれくれ」と言うのですが,日本の社会は逆に豊かになればなるほど「くれくれ病」が増えている。精神的な餓鬼という状態ができている。これらの現象は,宗教に目をつぶってきた,宗教から学ぼうとしなかったからではないのかというのが,実は私の結論だったわけです。
アメリカは宗教国家です。大統領就任式では,牧師の立ち会いのもとに聖書に手を置いて宣誓をする。まさにアメリカは資本主義の国であり,自由主義の国ですが,宗教国家なんです。聖書を純粋に信じようとしたピューリタンが建国した国です。
新約聖書のヨハネの福音書に「友のために命を棄てることは最高の愛である」という話が出てきます。この話は実はキリスト教が言うているんです。アメリカを理解する,あるいは近代の社会を理解しようとすれば,宗教の理解は不可欠である。
日本人は,世界のいろいろな現象,特にアメリカの現象をすぐ経済で説明しようとします。しかし,一方で宗教の視点も非常に大事だというように思うわけです。最近になって,個性あるいは個人主義というのが脚光を浴びていますが,私はこれも聖書と関係があると思います。聖書というのは神との契約です。絶対的ということです。この契約を破ったらどうなるか--旧約聖書にいやになるほど出ています。そういう絶対的な枠組みの中で,個性とか個人というのを教えているのではないか。
キリスト教をはじめとする一神教の宗教では,個性とか個人主義という前に,家族を大事にする,年寄りを大事にする,それから社会への奉仕,隣人に対する愛というのは共通して説いています。
これらのことは,ロータリーで説いていることと全く一緒です。ロータリークラブの活動というのは,仏とか神とかいう言葉は使いません。そういう言葉に抵抗感のある人でも取り組める運動になっています。そういう意味で,ロータリーの活動というのは普遍性があると思います。これでやっとロータリー100周年と結びつきました。
この1年間,会員の皆様に辛抱強くお付き合いいただきまして,ありがとうございました。以上で,本年度私の担当はゲームセットであります。皆さん,改めて本当にありがとうございました。
1939年生まれ。'64年大阪大学医学部卒業, 第三内科入局。 '79年医学部病理病態学教授,'83年細胞工学センター教授, '91年第三内科教授,'97年大阪大学総長を経て, 現在大阪大学名誉教授, 総合科学技術会議議員。 日本学士院会員。 文化勲章などを受章。
当クラブ入会1997年。PH準フェロー, 準米山功労者。 2003~04年度会長
1年は早いもので,私が昨年この時期に会長をやりましたときに,小林龍前会長からお礼の言葉をいただきました。「岸本会長はロータリーに2つの貢献をされた。その1つは,会長になることの心理的バリアを低くされた。金曜のスケジュールを空けねばならないなど,なかなか会長になり手がないが,あの程度でも会長になれるのかというふうになって,一気に会長になるためのバリアを下げたという貢献をされた」と,褒められたのか,しかられたのか分かりませんが,多分後者でしょうが,そう言っていただきました。
ところが,1年たちますと一気にまた心理的なバリアが上がりました。平岡会長はシカゴの世界大会に出席する以外には1回か2回しか欠席されなかったそうです。その他の公式行事などにもすべて夫婦同伴で出席されました。非常にそういう面で貢献していただいたと思います。
私が「命の話」でその次が「宗教の話」,これは順番が非常にいい。命から宗教,医者から坊主,これが逆に坊主が来てから医者が来たんでは間に合わない。ちょうど順番よく会長を務めていただいたと思います。
いずれにしましても,100周年記念の年に大阪RCをますます発展させるようにご尽力いただいた平岡会長をはじめとした役員の皆さん方に心から御礼を申し上げまして,お礼の言葉にかえさせていただきたいと思います。本当にありがとうございました。