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2003年4月25日(金)第3,974回 例会

『文化の商い』-みんぱくに始まった30年-

宝地戸 弘 氏

トータルメディア開発研究所
代表取締役社長
宝地戸 弘

1937年生まれ。'63年早稲田大学法学部卒業。同年凸版印刷(株)入社。'71年(株)トータルメディア開発研究所に入社。'93年同研究所代表取締役社長就任。

 最初に当社の社名の由来から説明させていただきます。奈良の唐招提寺の千手観音像のお力は「千手千眼多面多臂」と言われております。「千手」は「創造の手」、「千眼」は「情報の目」、「多面」は「研究の面」、「多臂」は「事業の力」です。

 当社はこれを体現すべく、大阪万博の開かれた1970年に、「文化の事業化、事業の文化化」を企業理念に掲げてスタートしました。初代の社長は太陽の塔を作った岡本太郎のサブプロデューサーをしておりました小野一という者です。

濫觴は民博にあり

 しかし、初めの4年間、こういう企業理念は世間に受け入れられませんでした。万博の4年後の74年、国立民族学博物館を設立するための業者選定があり、初代の館長さんとなった梅棹忠夫先生に出会ったことが大きな幸運、転機となりました。以来、文化の商いを30年間続けています。まさに濫觴は民博にあり。濫觴とは一滴の水が大きな流れになる始まりということです。

 梅棹先生はその著書の中で「展示とは実物をもって思想、情報をわからせる手段であり、印刷、映像に続くメディアである」と書いておられます。梅棹先生の思想に導かれたことで、人財と技術を育てることができ、民博の後に起こった文化施設建設の最盛期にうまく合致していくことができました。

 77年に国立民族学博物館が開館し、「民博元年」と言われます。いま全国には、博物館が全部で約3,900ヶ所ございますが、そのうちの67%が77年から2001の間に誕生しております。

 私どもが関西で手掛けた施設の中で一番新しいのは、大阪歴史博物館です。2001年にNHK大阪放送会館の横に開館しました。現大阪市長で、当時助役だった磯村さんは、「民博の展示技術がすべてじゃない。もっと勉強すべきだ」とおっしゃいました。民博は教える展示、学ばせる展示だったわけですが、磯村さんは「そういう時代は終わった」といわれました。

 私どもは磯村さんの問題提起を受けて必死に取り組んでつくりました。今までと何が違うかというと、それは「体感」する展示だということです。一度是非見ていただきたいと思います。ここには世界一のものがあります。展示とは離れますが、立地条件の良さです。上からエスカレーターで下りながら外を見ますと、大阪城が俯瞰で見えます。こんな素晴らしい立地の博物館は世界にも例がありません。普通ならヘリコプターでないと無理でしょう。

曲がり角に来た文化施設行政

 企業博物館もいくつも手掛けました。最初が竹中工務店の「竹中大工道具館」。棟梁と言われる人たちが残した道具を地方の営業所を通して収集し、錆びたものも全部磨き上げました。その企業理念には敬服しております。次に、伊勢の赤福さんの「伊勢参宮歴史館おかげ座」。これは小泉内閣のメールマガジンに、「日本的な暮らしを表現した癒しと憩いの町」として紹介されました。3つ目は日清食品の「インスタントラーメン発明記念館」で、これは違った意味で企業のアイデンティティーを消費者に伝えていく新しい施設です。

 しかし、経済の停滞もあって文化施設行政は平成5年あたりから大きな曲がり角にきています。それまでの常識が非常識になり、非常識が常識になったのです。東京を例にとると、世界都市博覧会が青島さんのときに中止になり、今の石原さんになって、文化と名のつく施設は一つもありません。

 そんな中で注目しているのは「文化コンシェルジュ・サービス」という考え方です。最初のヒントを下さったのは、慶応の島田晴雄先生で、アメリカのサービス業は71%、イギリスが67%あるが、日本は60%に過ぎない。構造改革でサービス業に焦点を当てれば、あと10%は伸びる可能性があり、「コンシェルジュ・サービスの時代が始まった」と言われました。私どもの世界に当てはめると、利用者の視点に立って文化施設をつくる、あるいは利用者の立場に立って運営し、集客、サービスを考えるということです。

ミュージアム・メッセで関西振興

 最後に、「第3回関西ミュージアム・メッセ2005」についてお話させていただきます。第1回目は1988年にパリで開かれました。文化施設を観光の振興と結びつけ、地域経済振興の手段とするのが狙いでした。95年、5回目がドイツのミュンヘンで開かれた時には、「国際美術館、博物館関連見本市」という形になり、「ドイツ国内の都市間競争の優位性確保」がテーマになりました。その後、私どもが97年と2000年に関西で開いております。

 3回目はまだ案でございますが、多くの方々からエールをもらっております。関西広域連合協議会の新宮代表理事は、「新しい関西をつくろう」と呼びかけておられます。河合隼雄文化庁長官は「関西元気文化圏構想」を提唱されました。大阪市立美術館の蓑豊館長は、フェルメール展で60万人の人を集めた立役者ですが、「ミュージアムは行動すべきだ」とおっしゃっています。

 さらに、民博の梅棹さん直系の端信行先生は、「関西をミュージアムイノベーションのメッカにする」とおっしゃっています。まさに役者は揃っています。3回目を開くことで、文化をキーワードに活力を起こす方法はないだろうかと考えております。「文化」というものが何か地域に役立つということができましたら、大変ありがたいことだと思っております。