1941年生まれ。『どんな生活を実現したいのか』を原点に、商品開発から街づくりまでプロデュースを手掛ける。最新の代表プロジェクトには函館西波止場、サンストリート、長崎出島ワーフ、チャーチストリート軽井沢などがある。著書に『北山孝雄の実践・生活プロデュース』『発想の原点』など多数。
今日、タクシーに乗ったんですが、運転手さんは「ワンメーターで気分悪い」ということなんでしょう、乗ってから降りるまで口をきかない。大阪は観光都市を目指そうと言っている町なのに、えらい観光都市やなと思うんです。タクシーだけじゃなく、大阪のさまざまなサービスをする人が、観光都市ということはどんなものかなということを考えないと観光都市にはならない。どんな小さな、ささやかなことでも、積み重ねればいろいろなことが変えられるもんなんです。
泥棒が嫌な町はどんな町かという番組がありました。泥棒をコーチに招いて、泥棒にとって嫌な町はと聞いてみると、町内会ができている町だそうです。家の外に子供がいる、道や広場に周辺の家族の人たちが集まっている町です。戦後、それぞれの家がバラバラになってコミュニケーションがなくなくなりました。皆で手を取り合わない町を見て、時代というのはすごい変わったなということを思いました。町というのは、いろんな人がさまざまにいるというのがすごく大切なんです。なぜなら、そこから知恵や工夫が掛け算になって生まれてくるからです。
僕は1941年生まれですが、20世紀の50年というのは“自分のために”“自分の企業のために”と“自分”を中心に考えてきた世紀ではないかなと思います。いつかはクラウン、いつかはマイホーム、東大出たら一生安泰、大企業に入ったら年功序列で終身雇用といった神話で成り立っていたんです。今、日常の暮らしの中からはそれらは全く壊れてしまったと僕は身をもって感じるんです。けれど、時代が変わっているのに、私も含めて中高年層の頭・生き方・価値観が変わっていない。
われわれの世代というのは、たしかに戦後20年から30年間ぐらいは一生懸命頑張ってきました。けれどその後は物さえ作って置いておけば売れたから、あんまり働かないできたんではないか。その習慣とDNAが染みついていると思うんです。ひょっとすると、今現在も不景気やと言うて、知恵をださず、工夫をしていないのかもしれない。大阪は、昔「笑いをもって栄える大阪」と言われ、商いをするにしても知恵と工夫で儲けて、笑って生きていこうというような町だったと思うのです。今は不景気、不景気と言うてる人が多くてすごく暗い。元気な人のところには元気な人が集まる。笑っている人の横には、やっぱり笑っている人がいるんです。
もう一方でわれわれの世代は、お金というのは余り自分を幸せにしてくれないんだなということもわかった世代であると思うんです。では、どんな人が幸せそうな顔をして生きているのかと見てみますと、人のために生きている人なんです。自分の能力、才能、努力、そういうエネルギーを他人に提供できる人が元気に生きられるんじゃないか。これが、これからの21世紀の生き方じゃないかと僕は思うんです。
最近、「こんなにもうかる国はないんじゃないか」と言う人がいます。それはIT関係、サービス業、飲食業の若い人達だったりするのです。そういう人たちに共通するのは、知恵と工夫で一人3役をこなしている。社長さんでもお金の計算はするし、回収もするし、サービスもする。
この前「鬼平犯科帳」を漫画で見ておりましたら、下々のこと(下情)を知るには遊ぶに限るとありました。自分の世代とばかり遊んでいたのでは世の中のことはわからない。若い人たちの暮らし振り、遊び方、楽しみ方、仕事への考え方や生き方を知るためには、その人たちとかかわらなければいけないからです。年齢や国や町、様々な人・場所で遊ばないと世の中はわからないんです。いずれにしろ、いろんな垣根を越えてコミュニケーションを図り、“下情”に通じれば世の中の動きがわかると思うんです。世の中の価値観が180度変わってしまうと、全く違う必需が生まれてくる。だから、ビジネスチャンスは山のようにあるんだと思っています。マイナスの側面ばっかり考えていくのではなくて、時代が変わったんだから、その時代に対応した新しいビジネスを考えていくというような行き方をすれば、まだまだ楽しく生きられるのかなとも思います。
習うべきところがすごくたくさんあるから、もういっぺん昔の日本の原点に戻ることが必要だと思います。決して懐古趣味ではありません。管理する・商売する・事業をする側から物事を考えるような仕組みを変えなあかんと思うんです。そうすると、今まで余り働かなかった人が一人3役で働かなあかんようになってくる。一人3役で働くと、いろいろなことがわかって、知恵も工夫も出てくる。 今は、日本の国の身の丈に合ったような暮らし、新しい産業、そういうものを考えていくような時代で、高度成長時代とは全く違っている。すべての物が過剰にあり、欲しい物がない、同じ物はもう要らない。同じ物が要らなければ、世の中のことをよく知って、知恵と工夫で全く人とは違うアイデアが出せる人にこそ価値がでてくる。そういう価値のある人を日常生活の中でいかに見つけていくかということも、ものすごく重要であろうと思います。
価値がはかれない時代になっているんです。もう一度よく考えないといけない時代になっているんです。みんな日本の戦後みたいに原点に戻り、汗水たらして働かないといけないんじゃないかなと僕は思うんです。