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2003年1月31日(金)第3,963回 例会

なにわ大阪の企業者精神と五代友厚

作道 洋太郎 氏

大阪大学名誉教授 作道 洋太郎

1924年愛媛県松山市生まれ。'47年九州大学経済学部卒業。'51年大阪大学経済学部講師、その後助教授を経て'64年同大学教授。 '88年同大学定年退職・名誉教授。その後、近畿大学教授、大阪国際大学教授を経て'97年大阪国際大学定年退職。 日本貨幣史、江戸時代の大阪商人史、近代大阪の経営史をテーマに多数の著作あり。

 五代友厚は、初代の大阪商工会議所の会頭でした。今でも大阪商工会議所に行きますと、五代友厚、土居通夫、稲畑勝太郎、この3人の銅像があります。きっと皆さんもご存知でしょう。また現在、大阪証券取引所が再建中ですが、そこにも五代友厚の銅像が建てられるそうです。つまり大阪商工会議所も、大阪証券取引所も、どちらも生みの親は五代友厚なのです。

 私は五代友厚を特に研究しているわけではありませんが、私の恩師の宮本又次先生が「五代友厚伝」を書きました。これは先生の晩年の作品ですが、先生は寝ても覚めても、会うたびに五代友厚の話をされていました。

 また、織田作之助も五代友厚が大好きだったようで、「大阪の指導者」という著書で面白い五代友厚を描いています。五代友厚という人物はそれだけ大変魅力ある人物なのです。

大阪のエネルギーの基本は“人間的包容力”

 五代友厚は薩摩出身で、明治元年に、外国事務局判事として大阪にやって来ました。明治維新で、蔵屋敷の廃止など豪商という豪商のほとんど大部分が没落し大阪最大の転機ともいえる時でした。

 四国松山出身の私が大阪に初めて来たとき、やる気が街にみなぎっていると一番に感じました。それは、単に大阪固有のエネルギーというわけではなく、いろいろなところからいろいろな人が入ってきて生まれたものです。私の恩師の宮本又次先生は非常に弟子をかわいがってくれましたが、何かそういう人間的包容力というものが大阪のエネルギーの基本ではないかなという気がします。五代友厚もきっと大阪に来た時同じように思い、それが後の彼の大きな功績につながったのかもしれません。

 最近は「大阪は元気がない」とかいろいろなことを言われますが、本来大阪は非常にエネルギッシュなのです。大阪のキーワードは「自由・活力・創造力」でありますが、この3つのキーワードの中で一番重要なものは“活力”すなわちエネルギー、バイタリティーであると私は思います。

五代友厚の“駆け抜けた人生”

 五代友厚はこの“活力”に満ち満ちていました。彼の企業家活動は官を辞した明治2年から始まりました。明治政府から横浜転勤命令がでたときに、大阪商人の鴻池善右衛門や、住友吉左衛門らの留任嘆願運動に結局、官を辞して大阪に留まったのです。大久保利通の最強の経済ブレーンであり、外国の事情に明るかった彼は、明治2年金銀分析所、明治4年には造幣寮を現在の財務省造幣局の場所に設立しました。江戸時代「天下の台所」と呼ばれた大阪も明治維新後は極端な不況に陥っていたので、西洋文明のまさに展示場であった造幣寮の設置は地盤沈下に苦しむ大阪人にとって大きな励ましになりました。造幣局には私が大阪で最も好きな「泉布観」という洋式の建物がありますが、これも明治4年にできています。

 次に彼は、弘成館という全国の鉱山の管理事務所を明治6年につくり、明治8年には朝陽館という製藍所をつくりました。堂島川のほとりに西洋科学の知識を取り入れた染料の藍の大製造工場があったのです。

 明治7年7月には、半田銀山(福島県)の経営を開始し、明治9年には堂島米商会所、明治11年8月には、大阪株式取引所を、そして明治11年9月彼の一番大きな仕事である大阪商法会議所(現在の商工会議所)を創設しております。私は以前に恩師の宮本先生のお手伝いで「大阪商工会議所百年史」の刊行に携わりましたが、まさにこれが彼の拠点で、ここに五代のブレーンが集まって数々の秘策を練ったわけです。明治12年には大阪商業講習所という学問所を設立しております。現在の大阪市立大学の原点がこの時できたのです。

 五代友厚は、銅像を見てもわかるように元来頑強な非常に活力がみなぎった人でありましたが、正確に言うと50歳になるちょっと前に心臓病で亡くなっています。34歳で大阪にやってきて、わずか15年の間にたくさんのことをやったのです。彼が、近代的な大阪を創ったのだと私は思います。先ほど言った大阪のキーワード「自由、活力、創造」、つまり自由主義経済、物事を創造的につくりあげていく、何よりも活力がある、すべての見本が五代友厚にあると思います。

“活力”こそ大阪企業者精神の源

 宮本先生が晩年に情熱を込めて書かれた「五代友厚伝」。織田作之助の五代友厚を書いた「大阪の指導者」、芥川賞作家阿部牧郎の「大阪をつくった男 五代友厚の生涯」、残念ながらどれも絶版になっています。私はこれらを是非再版してもらい、今の若い人に読んでいただきたい。五代友厚の生涯を通じて大阪の経営理念とか企業家精神とか大阪のやる気や意図や実績を知ってほしい。そしてそこから新しい大阪を創りだす“活力”につなげて欲しいと願っているのです。

 五代友厚はたった15年の間に約500の企業を設立しました。封建的な大阪を近代的な大阪に再生させました。大阪を「東洋のマンチェスター」と言われるような街にしたのです。今、再び地盤沈下に苦しむ大阪人にとって、大阪のために、日本のために、あるいはアジア経済の活性化のために大阪をこれからどうするかは、五代友厚のような“活力”で突き進むことが、必要なんじゃないかという気がしてなりません。