1973年7月大阪生まれ。近畿大学商経学部卒業。95年準ミス・ワールド日本代表。99年司法試験合格。司法修習を経て01年大阪弁護士会に所属。現在弁護士・タレントとして 活躍。
私はいつも裁判所や法廷という暗い所で仕事をしていますので,このような豪華けんらんの会場は久しぶりです。1995年準ミス・ワールド日本代表だった時,こういう所に呼ばれて「皆様こんにちは。準ミス・ワールド日本代表の菱垣理英と申します。私は,子供たちに夢と希望を与えるために一年間努力していく所存でございます…」といった調子であいさつしてました。今日は気持ちよく大阪弁でお話をさせて頂きたいと思います。
「自分」とは,「一番近くにいる他人」というくらいで一番理解しづらい存在です。私が振り返る自分の30年の話を,皆さんも30歳のときのことを思い出しながら聞いて頂きたいと思います。
大学時代,準ミス・ワールドのことはもちろん,いろいろしました。実は1回生のときミス・ユニバースにも応募したんですが,書類審査で落ち,次に,「商売はんじょでささもてこい」の今宮戎の「福娘」にも応募して最終選考まで残ったんです。ところが15人に入れず,アルバイトのような「戎娘」をしたことがありました。それで,よし!ミスコン総なめに…という気になっているところへ,母が応募し,書類審査に通ったと言うので行ってみましたら,準ミス・ワールドに選ばれた,というわけなんです。
3回生で,阪神大震災のボランティアに行ったときは,友達のいい悪いがわかりました。声をかけて「よし行こ!」と言うのと「おれらが行って何になるんや」と言うのと二通りに分かれて,なるほど,と思ったんです。
アルバイトもいろいろしました。家庭教師,塾の講師もしました。面白かったのは「夜店のお姉ちゃん」。テキ屋とは違います。大きなスーパーの前で子供たち相手の金魚すくいやクジ引きなど,夏祭りとかお盆休みとかだけのイベントです。それに宅配便の仕分けの仕事。これはしんどいんです。天保山の海遊館で,海遊館せんべいや海遊館ラーメンなどというお土産を売ってたこともありました。
司法試験は4回生から勉強し始めました。英検,秘書検定も受けました。ところが行政書士に落ちたんです。でも,逆にこれが動機付けになった面もあるんです。もう一度行政書士を,とも考えたんですが,どうせやるなら一番難しいとされてるものに合格したほうが格好いいと思ったということなんです。
大学時代になぜこんなにいろいろしたのかということですが,人と同じことが嫌いであることと,自分を試してみたかったからです。司法試験,ミスコン,肉体的なアルバイトと,筋肉,頭,ハート,いろんなところを使って,どこまでやれるか自分の能力を見極めたかったんです。そして,私のモットーは「死ぬときに後悔したくない」ということで,これは大学時代から思ってました。人間いつ死ぬかわからない。やるならとことんやる,と。
ともかく「ガツガツしてた」というのが, 30歳までの私だったという気がします。
今の若者にフリーターが多いのですが,その一番大きい理由は「やりたいことが見つからない」ことだと言います。そして「魅力ある社会じゃない」「魅力ある仕事がない」…。私は責任転嫁だと思います。今の日本に魅力がないのなら,自分たちが魅力のある社会をつくっていけばいいんじゃないの? と実際に学生たちにもよく話します。
去年7月に30歳になる直前,まず外見的な衰えがいやだったことと,私のいいところであるフットワークが重くなってしまうのでは,という気がして非常にいやでした。ところが30歳になってみると,大変気分が楽になり,落ち着いてきました。
私はそれまで「何かしよう,何か…」と気持ちが前に出て,体とのバランスがとれていなかったようです。それが,できないことはしようがない,できることを頑張っていこうと開き直れるようになり,自分の中でバランスがとれてきたようです。
他の弁護士の証人尋問に感心することがありますが,自分は自分であって,例えば「反省してる? ほんとに?」というふうに語りかけ,時には「信用でけへん」と逆に責めるような形で,裁判官の前で「被害者に毎月手紙を書いてる」という言葉を引き出すというような私自身のスタイル,それでいいと考えられるようになりました 。
準ミス・ワールドという気負いから人にどう見られるか,例えばちょっと太ったりしても気になっていたのが,それほど気にならなくなりました 。
ヤミ金業者との話でも「お金を返せ」「返せない」から始まって,「何じゃこらおばはん」「だれがおばはんや」といったやりとりさえ,結構楽しめるようになった自分があるんです。。
今30歳。そして40,50,60…90, 100歳。私は年を重ねる度に変わっていく自分を楽しみたいと思います。皆さんもちょっと足をとめて,ご自分がどう変わってきたか考えてみるのもいいのではないでしょうか。
私はこれからもいろいろしてみたいことがあって,その一つは体を動かすフラメンコです。そして今タレントでもありますが,女優もやってみたいのです。「赤かぶ検事」という長寿番組がありますが,あの赤かぶ検事の娘は弁護士ということらしいので,コネのあるかたがいらっしゃったら,ぜひ私を推薦して頂きたいと思っています。
これから私はまだまだ挑戦したいことがあります。そして皆さんもいろいろおありだと思います。一緒に頑張って,夢を実現させましょう。