1962年大阪生れ。85年京都大学法学部卒業。87年同大学大学院修士課程修了。88年~90年シカゴ大学歴史学部博士課程在籍。91年京都大学法学部助教授。94年~95年文部省在外研究員としてロンドン経済大学歴史学部,オーストラリア国立大学アジア太平洋研究所に在籍。02年4月~現職。主な著作『国際政治とは何か-地球社会における人間と秩序』(中公新書)『戦後日本外交史』(有斐閣)など。
日本にとって,現在の国際社会との関わり方をどう考えればよいかを中心に話したいと思います。結論から言えば,ロータリースピリットではないが,日本の国益と世界への貢献を結び付けて考えることが基本になる。そういう観点から,現在のイラクであれ,北朝鮮であれ,米国との付き合いであれ,考えていくべきではないかと思います。
現在,イラク問題は混とんと進展とが半ばする状態で,北朝鮮問題は中国がホストになって6か国協議が昨年夏と先月末にも行われ,その枠組みで平和的な解決を探っているところです。昨年からこの2つの問題が焦点になっているのは,国際政治のパラダイムの変化,認識論的な変化を意味するからです。
国際政治には,「世界政府」がない以上,各国が自分の安全を守らねばならないことが基本にあります。その際,国際政治の基軸になるのは,「脅威」とは何かをめぐる認識です。20世紀後半は,冷戦という形で西側と東側が対立しており,西側にとって国際政治上の脅威は共産主義でした。軍事的,経済的,イデオロギー的に及ぶその脅威は1990年代の初め,ソ連崩壊と共に失われます。
ところが,2001年の9・11テロと昨年の北朝鮮,イラク問題によって新しい国際政治の基軸を決めるような脅威のあり方が国際的に認識され共有されるようになりました。一つは9・11のようなテロで,国家でない集団が自己の目的を達するため,軍隊でなく一般市民に恐怖を与えるようになった。もう一つは,そんなテロと間接的には結び付く「ならず者国家」です。国際法の規範などを超えて軍隊を強化したり,国民に抑圧的な体制を敷いたりして国際的な脅威になっています。
そんな脅威にどう対処すべきかについて世界は昨年からいろいろと模索しています。冷戦時代に共産主義への対抗が簡単ではなかったように,この新しい脅威への対抗手段も今のところ難しい。万能の手段はないということが昨年わかったのではないかと思います。
国連はあるが,それは主要国,大国の集まりであり,西側先進国が多く,テロやならず者国家を抱えているような地域の代表はあまり出ていない。また,主要国の間で対立が起きると国連はあまり自分で活動できません。他方で米国は,悪い政権の解体作業は得意だが,その後に良い秩序を造り出すという地味な建設作業にまで金や時間をかける余裕はないということもわかってきました。
そんな状況の中で日本が何をすべきかが問われています。従来型の国際社会への関与は効果に限界があるが,米国や英国と同じように内戦状態の地域に軍隊を派遣し治安を図るには,日本は精神的にも法的にも制度的にも準備が出来ていません。そこで現時点で出来るのは部分的な関与,欧米の国々が出来ない所を補うという補完的な役割です。例えば,今回のイラクへの人道復興支援,国連の枠組みの下での平和維持などで関与していく意味は日本人が考える以上に大きいのです。
このような役割を引き受けることは,日本自身にとっても将来に対する投資と捉えられます。そういう見方をすることが,歴史的に日本の役割,立場を考える時に大きな意味を持ちます。日本は長期的な不況にもかかわらず世界最大の債権国です。我々が考えるべきはその経済力をいかに日本の将来の世代にうまく投資をしておいてあげるかです。経済だけで投資を考えていくとうまくいかない。
大きな体質変化の時には経済的なものと非経済的なもの,お金の面と公益に向かうものの両方をミックスしたような分野に投資をしていくことが一番有益で,今回の自衛隊のイラク派遣で日本が国連の安保理事国になる可能性が戦後最も高くなっています。国際政治の中でそのイスは,非常に重要な意味があります。今ある程度力があって良いことがやれる時にやっておく。そういう地位を東アジアで持っておくことが,30年,40年経った後の日本人にとっての財産になるわけです。
そういった投資がいかに重要かは,米国も英国も,かつて公益と自分の利益を結び付けるという観点に気付いていろんな努力をし,今の地位を築いたことからもわかります。
大阪商人にはなじみの「損して得取れ」という諺があります。つまり,個人や国家の利益と公益とか国際的な共通利益は,矛盾するものではなく,いかにそれを調和させるかが重要であり,このロータリーの精神も似たものと思われます。その時の日本にとっての課題は,対外的にどうするかと同時に,政治的に「大人の国」になれるかだと思います。
日本人は良い所と悪い所を極端に持っている国民で,原理にこだわらず実用主義で良いものはどん欲に取り入れるし,情を重んじます。反面,同じ要素から,原理や普遍性にこだわらず適当にその場の雰囲気でやってしまったり,情に流されたりします。日本が成熟した大人の国として国際社会で活動していくにはそうした良い面を生かし悪い面を自覚し抑えていく考え方が必要と思われます。
20世紀後半,日本は豊かな国になり,世界に誇れる経済的不平等のない中産階級の圧倒的に多い国になりました。今後の日本は政治エリートと政治に無関心な人々の間にある「政治的中産階級」,プロではないが,政治に関心があって良い評価を政治や外交に下せるような判断力を持った人々を育てていくべきです。それが今後の日本の国際社会における活動の鍵になっていくと思われます。