大阪ロータリークラブ

MENU

会員専用ページ

卓 話Speech

  1. Top
  2. 卓話

卓話一覧

2005年3月25日(金)第4,063回 例会

人生の完成期こそきらめく時を

市 川  禮 子 氏

社会福祉法人 尼崎老人福祉会
理事長
市 川  禮 子

1974年尼崎市委託事業「ひかり保育所」開設,'83年「ひよこ保育園」設立。同年特別養護老人ホーム「喜楽苑」施設長代行。
'92年兵庫県生野町に全室個室化・ユニット化の「いくの喜楽苑」開設。 '97年「あしや喜楽苑」開設。 '01年現職。'01年全室完全個室とユニットケアの高齢者福祉施設「けま喜楽苑」開設。また,'97年~兵庫県医科大学非常勤講師,'00年日本痴呆ケア学会の理事を務めるなど公職も多い。'03年度「朝日社会福祉賞」受賞。

 1983年に社会福祉法人「尼崎老人福祉会」が誕生し,理念を「ノーマライゼーション」(重い障害があっても,元気なときと同じ普通の生活を保証する)に決めました。理念をいかに具体化するかということで「人権を守る」と「民主的運営」の実践に努めてきました。

尊厳を守る

 病院などで認知症の方々がカギをかけられていたり,しばられていたり,人生の一番大切な完成期にこんな形で生を終えるのかということに怒りを持ち,「人権を守る」を運営方針としたわけです。それから,やはり公共的な仕事という認識を持ち,職員のためでもあるという位置づけをして「民主的運営」に当たっています。

 人間の尊厳をまず守ろうということで,命令形,指示形は絶対に使わない。その方が自己決定できるような問いかける言葉,あるいは依頼形の言葉を徹底して使っています。「お風呂に入っていただけますか?」とか「お風呂に入られますか?」と聞きますと「ウン,すぐ入るよ」とか「もうちょっと待ってね」ということになるわけです。そのようなことが人権を守る一番具体的な実践です。市民的な自由,社会参加の自由をきちんと保証したいということで,地域の老人会に入っていただき,居酒屋へも繰り出す。地域の美容院,散髪屋さんへ行っておしゃれをする。主治医は,もし近くの方でしたら,最後まで主治医を切らずに来ていただく。

最後まで高まりたい

 きょうは時間が短いので,私が書いたものを,読むことでテーマに思いをはせていただければ大変うれしゅうございます。

 「岩元つた子さん」――もう10年も前の話になってしまった。岩元さんは当時80歳。夫が戦死し,忘れ形見の一人娘も病気で亡くし,親類もないに等しい寂しい境遇であった。入居して1カ月程度のある秋の日。中学の先生をしている入居者の娘さんが,生徒をつれてお茶会を開いてくださった。その日の夕刻,岩元さんは目をうるませ話をされた。「私には這いずりまわるような仕事しかなく,貧しい生活でした。お茶会は『分限者』のする遊びで,私とは関係がないと思っていたのに。生きてきてよかった」――最後まで人間は,もっと自分が高まりたいという思いを心の奥深くに持っていらっしゃるということを学びました。

 「永井志づさん」。ピアニストで朝比奈隆さんとも親交がありました。――入居当時は息子さんの顔も忘れる認知症状があった。そんなとき音楽療法担当の職員道元ゆりに出会う。左手がマヒしているため,右手だけの演奏。道元は辛抱強く永井さんの意欲がわいてくるのを待ち,ついにショパンをはじめ数々のピアノ曲を演奏されるようになった。並行して認知症も軽快,奇跡の復活をなしとげ,ルナホールでの演奏会へと発展したのである。その後,総務庁の「エイジレスライフ賞」を受賞。100歳の演奏会を楽しみにされていたが,2000年の3月に他界された。ほどなく,息子さんからのお礼状が届いた。「人生の最後の2年半にきらめくような時をもてたことがどんなに重要な意味をもっているのかを知りました。残された者にとっても,はかり知れないものがありました」という主旨だった。高齢者の可能性のすごさ。太陽が昇る時に雲間から一線の光芒が射すが,その光芒は強く鋭い。沈む時の雲間からの光芒はきらめきつつも暖かい。人生の最終章こそ「いのち」をきらめかせ,天地一体の美しい茜雲に身をゆだねたいと思う。

――ちょっと恥ずかしいですが,こういう文章を書かせていただきました。

豊かにするのがケア

 次に,恋に対するみずみずしい高齢者の思いについてお話します。例えば「涼風に揺られて恋の夢に酔う」「竹の秋愛を語った嵯峨の道」「思い出の幼い頃の地蔵盆」。年を重ねますと顔はシワだらけになってしまいますが,心の中はいかに皆みずみずしいか,そんなことをたくさんの川柳,句集から学んでいます。

 「亡き母の声きこえるような蛍狩り」「母さんと小さく呼んで墓洗う」。なかなか政治や社会を見る目も鋭くて「アメリカも言うて良いこと悪いこと」というような川柳もつくられて,いつも感動の連続で仕事をさせていただいております。

 ただ,このように,自分を全部表現していくというような環境をつくらないと,ほとんどの施設・病院で高齢者のお姿を見るとき,車いすに座ってただ床を見つめて暗いお顔をなさっている。もう,そのようなケアはやめないといけないのです。

 人生の残された時間が少ない。若い人と違って残された時間が少なければ少ないほど一日が大切だと思います。きらめき,輝くような日々をつくり出していくのがケアではないか。単にケアというのはおむつ交換をしたり,食事介助をしたりすることではなくて,一人一人の命や生活を最後まで輝かせ,豊かにするのがケアだと思っております。

 その豊かな日々の先に迎える死というのは豊かな死であって,病院や施設でしばられている方がいますが,そういう方々がもし死を迎えられるとすれば,それは無念の死ではないか。環境によって,またケアの力のよって,人は変わるということです。