1943年栃木県生まれ。京都大学法学部卒業後,外務省入省。在米国日本国大使館,在フィリピン日本国大使館,欧州共同体日本政府代表部などに勤務。外務省報道課総括班長,文化第二課長,中東第一課長を務め,その間,埼玉大学客員教授,宮内庁御用掛(昭和天皇通役)を兼務。その後,在ジュネーブ国際機関日本政府代表部在インド・在インドネシア各公使,在オマーン・在ネパール各日本国大使を歴任。現在特命全権大使(大阪担当)。
著書: 「アジアのBCG」(出版文化社 Tel:03-5821-5300)
「欧州の知恵」(講談社) ほか多数。
皆さん,ほとんどネパールのことをお知りにならないと思いますので,恐らく何を話しても知られざるネパールかなという感じはいたしますけれども,きょうは3つほどお話しします。自然の話と,経済の特徴,それに政治です。
ネパールはヒマラヤ山脈の真っただ中にある国です。ヒマラヤの奥深いところのほとんどすべてを独占しているとお考えいただければよろしいかと思います。この中で特に関西になじみ深いのはマナスル。日本隊が1956年に初登頂を果たしました。恐らく日本山岳会をはじめとする方々は,50周年を祝う準備を始められているでしょう。
日本隊を率いたのはご承知の槙有恒さん,最後に登頂を果たしたのは今西寿雄さん。マナスル登山の許可を取りつけるためにネパールに入ったのが(京大学士山岳会の)西堀栄三郎さん。西堀さんが奮戦努力され,マナスル登頂への道をつけるという偉業をなし遂げられたわけです。
西堀さんにしても今西さんにしても,関西を基盤として活躍されていた方で,そういう意味では,戦後のネパールというのは関西のかくしゃくたる人たちの活躍に始まったと言っても過言ではありません。
今西さんはギャルツェンというシェルパと一緒に登頂するのですが,今西夫人は毎年ネパールに来ておられます。今西さんとギャルツェンの遺灰は,マナスルの山にまかれております。
それにエベレスト。最初にエベレスト登はんを果たした日本人は,1970年の植村直己さんです。2003年には,三浦雄一郎さんが70歳でエベレストに登られました。そのときの三浦さんの登山訓は「一歩一歩努力すればこの地球の上で最も高いところ,そしてまた宇宙に最も近いところに到達できるんだ」という言葉です。皆様の生き方の中でも共鳴されるものがあるのでは。
もう一つの話題は,雪男です。いるのかいないのか。イギリスの探検隊がお金を捻出するために,ヒマラヤに雪男がいるとねつ造したんだという説がある一方,私の友人にダウラギリで見たと言う人がいます。どちらを信じたらいいかわからないですが,雪男はロマンをかき立てます。
次は経済です。ネパールの国家予算は6割~7割が税や国債発行ですが,3割~4割を外国からの贈与・借款で埋め合わせるという形をとっています。外国からの援助がいかに予算に響くかという構造になっております。
援助の最大のドナーが日本。日本がどう動くかということが,ネパールの経済にもろに響きます。おととしWTO(世界貿易機関)に入りました。入ったからには税制その他で足腰を鍛えていかなければいけないという課題が残りますが,一つ明るい要素は海外送金です。恐らく100万人以上が海外に出稼ぎに出ているはずで,この人たちの海外送金が国家予算を凌駕しています。
ネパールは非常に政治情勢も厳しいが,そういう中で予算以上の海外送金はものすごい。政府が信頼を持っていれば,この海外送金を目当てに国債が発行できるわけです。WTOに入り国が安定化した暁には,健全な財政に導いていく余地はあります。
さて,政治です。ネパールは実は1991年に民主主義の国になっております。時の国王が受け入れました。しかし,この15年の民主主義とは何であったか,この問題がまだ解決されておりません。
どうやって民主主義を発展させ得るのか。地理的に大きな問題があります。道路がないし,かといって飛行機が発達しているというわけでもない。コミュニケーションが非常に難しいところで民主主義というのはどうあるべきなのか,これがまず第1点です。
それから,代議士というのは一体何だったのか。国民は一体どこにいるのか,国民が眼中になく,政党が政党の利益のため,激しい派閥間の争いに明け暮れています。
こういう状況で,マオイスト(毛沢東主義過激派)というグループが台頭。マオイストと政党と国王の三つどもえの政治が続いています。それに国王が一つのくさびを打ったというのが,2月1日の国王の宣言です。国民の福利のために民主主義は欠かせない,暴力に対する反抗も欠かせない。そのために誰がやるのか。今は国王しかいない。これが宣言の大きな柱なんです。もう一つの柱は,私に3年の期間をくれということを言っております。民主主義を逆行させるわけにはいかない。いかに国王といえども,いけない。マオイスト問題も解決しなければならない。そういうことを日本政府は,ネパール政府に対しメッセージとして送っています。
ネパールはいまだに悩みつつ,その道を歩んでおります。来年は日本とネパールの外交関係が始まって50周年。それまでにどういう情勢になっているのか,本当に国王の指導いかんだと思います。
関西でも何か記念行事があるかもしれませんが,厳しい状況の中で日本とネパール関係がどうあるべきなのか,50年の次はどうするのかをお考えください。若い国ですから,どうか見守っていただきたい。