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2004年12月3日(金)第4,049回 例会

私のバレーボール人生

ゼッターランド・ヨーコ 氏

スポーツキャスター ゼッターランド・ヨーコ

1969年米国サンフランシスコ生まれ。 6歳の時来日。12歳から本格的にバレーボールを始める。'87年早稲田大学入学。'91年卒業直前に渡米。米国ナショナルチーム入団テストに合格, '92年バルセロナ五輪で銅メダル獲得。 '96年アトランタでは奇跡的逆転勝利の立役者となる。 その後来日し, 主にVリーグで活躍。'99年現役引退。 現在はスポーツキャスターとして, また後進の指導, バレーボール教室や早稲田大学バレー部コーチ及び非常勤講師など務める。

 18年間バレーボールを続けて,来年の今ごろ,人生の半分はバレーボール生活をやってきたことになります。引退して6年になりますが,バレーボールを軸にした生活,仕事というのは一切変わっておりませんので,一生バレーボールに携わっていくことになると思って毎日を過ごしております。

バレーボールとの出会い

 最初に君が代斉唱ということで,きょうは久しぶりに斉唱させていただきました。君が代斉唱,国旗掲揚に対するご意見もいろいろあるようですが,実は私にとりましては日本,生まれ故郷のアメリカと,2つのバックグラウンドがございます。こういう形で歌うことができて本当にうれしいなと思いまして,一生懸命に歌わせていただきました。

 もともと私の母は半世紀ほど前のバレーボール選手です。東京オリンピックの2年前に引退しておりますが,全日本女子でその後「東洋の魔女」と呼ばれて世界の頂点に立ちましたメンバーと一緒にブラジル,アメリカ,中国と遠征をしました。

 その母の間接的な影響で,私もバレーボールを始めることになりました。そのときには,アメリカ生まれであったにもかかわらず,育ちは6歳のときからずっと日本だったものですから,私もいつか日の丸を胸につけてオリンピックの最高の舞台に立って世界一になってみたいという夢を持ちました。

 ところが女子バレーというのは少し特殊な雰囲気がありまして,どこで誰にバレーボールを教わって,どういう流れで来ているかによって進路が決められてしまう。それに少し違和感がありました。そんな時,たまたまアメリカでバレーボール代表を目指すチャンスというのがございました。この際,国はどこでもいいからバレーボールをやってオリンピックに行くという気持ちを持ったときに,そのチャンスがアメリカにあった,アメリカ代表の機会があったので,そこに飛び込んでいきました。どこの代表で出るということよりも,どんな選手になってどういうところを目指していくか,こちらのほうが一番大事なんじゃないかなというように思ってチャレンジしたわけです。

大事なコミュニケーション

 私がハーフとして生まれて日本に来た当初,全く日本語を話すことができませんでした。そういう中で,家庭の事情で近所にあった公立の小学校に,ほとんど放り込まれたと申し上げて間違いないと思うのですが,英語であれば自分の言いたいことが言えるのに,というふうに,悔しい思いをしたことも何度もありました。

 どう人とコミュニケーションをとっていったらいいのだろう,と悩み抜いたときに,ふっとバレーボールに出会ったのです。ボールを持った瞬間というのは,その空間,その一瞬の時間というのは,ほかの何者も入り込むことができないんです。自分自身をそのボールを通して最大限に表現することが許される唯一の時間なんじゃないのかな,「ああ,何ていいものなんだろう」と思いました。

 団体競技の中で,人とのコミュニケーションということもそうなんですが,どういうことを自分でやっていって,どうコントロールして自制していくかということが大変重要になってきます。今,社会で,クラスメートとうまくいかない,ほんのちょっとのことで子どもたちが切れてしまうといったことを見ていると,だからこそ団体競技というのがいいんじゃないかなと改めて思います。

 私はトスを上げるセッターというポジションなので,コミュニケーションを十分にとっていかなくてはいけないのです。そんな中で,言葉のコミュニケーションは非常に大事とされるんですが,どういう思いを持って,どの方向に向かっていくかということを,どれだけプレーに反映させることができるか。これは時として言葉以上に物を語るということがよくあると思います。

今後のスポーツ情勢

 ことしのアテネ・オリンピックを見てまいりました。やっぱり外国人というのは体がすごい,パワーもすごい。これから先も日本と欧米諸国の選手の体格とか体力,筋力の差を埋めていくのは大変難しいことだと非常に感じられたオリンピックでした。外国に追いつき追い越せで,国も予算を割き「日本復活プロジェクト」というものをつくって協力をしてくれた部分もあって,そういった科学的なサポートでは非常にいい面も得られましたし,またその効果もメダルラッシュという結果になって返ってきました。ただ,私たちが科学によって動かされるのではなく,科学,テクノロジー,そういったものを人が動かしていくというという形をずっと保っていかないと,本末転倒になってしまうのではないかなというふうに思いました。

 日本のバレーボール界の展望はどうですかとよく聞かれます。やはり,また原点に返って,好きだとか,強くなりたいとか,もう一度その気持ちがどこに向かっているのか,そして日本人にしかできないオリジナリティーって何だっけということを思い出していただきたい。外国から見ると日本の方がはるかにうらやましいと思うことが,たくさんあります。私もスポーツを通じて,それを教えてもらうことができました。