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2004年8月20日(金)第4,035回 例会

建築に携わるものによるNGO活動

赤 尾  建 蔵 氏

(財)竹中大工道具館 館長 赤 尾  建 蔵

1943年7月東京都港区生まれ。
'67年工学院大学建築学科卒業, 同年(株)竹中工務店大阪本店設計部入社。 '02年3月(財)竹中大工道具館館長, 現在に至る。 他に(社)大阪府建築士会・教育委員会委員,AAF(Asian Architecture Friendship)代表, 兵庫県博物館協会理事, 企業史料協議会理事などを務める。

 竹中大工道具館に勤める1年半前までは,竹中工務店の本店設計部におりました。その設計部で「アジア建築研究会」という勉強会をやってまして,チベットだとか東南アジアだとかいろいろ回っていました。行く先々の国のすごい貧しさについて,お手伝いができないかというのが活動のきっかけです。学校の建設は貧困の解消はまず教育だと考えたからです。貧困は国によって違います。われわれが貧しいと思っても,それほど貧しいと思ってない人々もいるとよく分かった上で,何かしようということを考えました。ネパールを選んだのは,設計部に来ていたネパール人の研修生と話をしていて,かなり困っているところがあると分かったからです。

 ネパールの人口の40%強は貧困層です。大変な貧しさです。乳児の死亡率が高くて,平均寿命はわれわれのやっている村で48歳。政治は不安定で,経済も第一次産業の就労人口が90%で資源がありません。識字率は約41.4%,学校数が足らない,教師も足らない。

村に明るい学校を建設

 フィリム村というところに学校を建設しました。われわれは,建築の専門団体として施設計画を重点に,調査,設計から施工監理までトータルに支援しようということにしました。また太陽光や風など自然エネルギーを最大限利用しようと考えました。ネパールの建物は石造りで,ものすごく暗いので明るい建物にしよう,現地の素材を利用して環境に違和感のないものを建てよう,学校建築としての象徴性を持たせよう,教育の場としてモデルケースとなる魅力ある空間をつくろう,こういう基本的な考えでしました。

 第1期工事で13教室を建てました。その横に2期工事でこの秋から建てようとしています。現在は小学校・中学校の生徒が来ています。一番遠い村の生徒はここに来るのに3日半かかります。2期工事は,子どもたちの宿舎128人分,先生が12人分,それと食堂です。

 完成後,維持管理するのが大事なんです。今までのボランティアは,建てたら終わりというのがかなり多い。われわれは維持管理をどうするか,村人といろいろな話をしておりまして,10年,20年といった時間軸の中で,何ができるのかというのを見極めてやっております。

リンゴで運営資金を

 長期の資金援助には限界があります。ここだけじゃなくて,アジアでまだ困っているところでもどんどんとやっていきたいと思っています。だから1カ所で長いこと面倒を見られません。それで今,村人が現金収入を得ることを考えております。小さいのですが村でリンゴがとれますので,日本からリンゴを数種類を持って行って挿し木をして,ジャム工場を造って「フィリム村のジャム」ということで,それが将来そこの運営資金になるようなことを考えております。

 学校が完成したのは,2003年4月です。村には自給のための穀物のほかに生産されるものはなく,物資の運搬以外に現金収入はほとんどありませんでした。多くの村人は読み書きができないため,限られた労働にしか就けません。子どもたちも教育を受けないと親たちと同様に限られた仕事にしか就けません。

 学校建設の可能性を調べたいと考え,1999年12月,調査隊6人の派遣で本格的な調査を始めました。年末年始の休暇を利用した調査です。現地まではヘリコプターでおよそ30分。崖の上の小さな集落でした。人口はフィリム村の周辺を含めおよそ2,300人。電気も電話もなく,自動車が通れる道まで歩いて4日間かかります。

 どのような学校を建てたらいいのか。まず,地元の人たちによる建設が可能であること,そうすれば建設工事を通じ村人に現金収入の道を開くことができます。この辺りの建物は,木と石を使っています。学校もこの方向で建設することにしました。

 石材は歩いて1時間の河原から切り出し,運ぶことになります。1立方メートルの石を運ぶのに,5人がかりで1日かかることが分かりました。木材は標高3千数百メートルのところにあり,木材の確保が大仕事だということも分かりました。起伏の激しい敷地ですが,ブルドーザーやパワーシャベルはありません。

160人の子どもが学ぶ

 日本の多くの人たちからこの学校へ送ってもらった古着は5,000枚を超えています。学校で使う机や椅子は約300脚,寄付よる新品です。ノートや筆記具などの物資は,到着後ネパールの人々が山道を4日間かけて運びました。新しい年度に入学した子どもたちは160人。経済的な理由で学校に行けなかった子どもたちが,今ここにいます。今まで遠くの学校に通い自炊生活をしていた子どもたちも,帰ってきました。

 われわれ設計部の8名ほどでやりました。一番大変だったのは遠距離で,勤務時間以外で土曜日や日曜日,それからお盆,そういう休みを利用して行ったということ。それから車の通れる道のある村から4日も歩かないかんということで,ヘリコプターを使わないといけない。勤務をおろそかにすることはしなかった。それでできたということに,自負を感じております。アジアで貧しいところ,困っているところがあれば出て行き,こういう活動を地道にしていこうと思っております。