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2005年7月15日(金)第4,077回 例会

くいだおれ大阪

湯 木  潤 治 君(ホテル・旅館・料理店)

会 員 湯 木  潤 治 (ホテル・旅館・料理店)

1959年生まれ。 '72年慶應義塾大学法学部法律学科卒業。 同年(株)吉兆入社。 東京店, ロイヤル店において修行後, 阪急インターナショナル店, 帝国店などのオープンを手がける。
'03年(株)本吉兆代表取締役に就任。 現在大阪芽生会副会長, 相愛女子短期大学非常勤講師などを務める。
'03年3月当クラブ入会。

 テレビなどで見ていますと,大阪と言えば「たこ焼き・お好み焼き」,それ以外がないようなとらえ方をされています。「天下の台所」,「くいだおれ」と言われる割には,イメージとのギャップがあるんじゃないかなと思いまして,自分なりに調べたことをお話しさせていただきます。

くいだおれの真義

 江戸時代,「大坂」は幕府の直轄地として免税の恩典を受けておりまして,各地の商人が集まり,全国の幸も集まってきました。調理人がウデを競ってうまい物をつくり,商人の商談を盛り上げていくのですから,天下の台所に食が発達しないわけがございません。「くいだおれ」の意味を辞書で調べてみますと,「飲食にぜいたくをしたために貧乏になる」と書いてありますが,大阪で食にぜいたくをしたあげく,家計が倒れたという話は耳にしません。商人の町,大阪では「始末の教え」が徹底し,材料をうまく使い,むだなく食い倒したわけで,これが大阪のくいだおれと言っていいのではないでしょうか。

 大阪の食文化の特徴として「だしの文化」,「焼きの文化」の2つが挙げられます。

 だしの文化の代表的なものはきつねうどんで,関西では「けつね」とも,「しのだ」とも呼ばれていますが,「けつね」は河内の方言で,「しのだ」は泉州信太地区にキツネが多かったことに由来します。だしは昆布とかつおのあわせだしです。江戸時代の中期に松前と大阪を結ぶ北前航路が開かれ,多くの昆布が入ってくるようになりました。昆布から出るうまみと薄口醤油が調和して上方人に好まれました。北前船で昆布が「大坂」に入り,土佐からは鰹を積んだ鰹回船が来て,ここで鰹と昆布が出会いました。

 続きまして,焼きの文化には,たこ焼き・お好み焼き・ホルモン焼き・焼き肉などが挙げられます。たこ焼きはもともと「ちょぼ焼き」とか呼ばれていました。ちょぼ焼きは,小さな丸いくぼみがついた焼き型に水で溶いたうどん粉を流し込み,こんにゃくや紅しょうがなどを入れます。お好み焼きは江戸時代中期に生まれた「麸の焼き」説があります。大阪ではこんにゃくや豆を具に,醤油を塗って食べる「べた焼き」へ進化します。第二次大戦後,生地だねに具をかき混ぜて焼く現在のお好み焼きが登場し,急激に普及していったようです。ホルモン焼ですが,内臓部分は「放るもの」であり,これが名前の由来というのが通説です。

食の多くは大阪発祥

 鴨なんばの「なんば」は大阪ミナミの「難波」からきているそうです。今では想像もできませんが,難波一帯はかって青ネギの産地で,南海電鉄が明治に発足した当時の難波駅の周辺は,一面青ネギ畑ののどかな風景が広がっていたそうです。合鴨も秀吉のころから繁殖,生産が盛んで,1960年代には全国8割のシェアを誇っていました。一方,オムライスは毎日,ご飯とオムレツを注文するお客さんのために,心斎橋の北極星のマスターが考えたもので,登場は大正14年でした。

 ばってらは鯖寿司のことで,箱寿司の形が「ばってら」に似ていることから明治20年代に,この名前がついたそうです。「ばってら」とはポルトガル語でボートの意味で,幕末から明治にかけて伝播船や,はしけ船のことを「ばってら」と呼んでいました。

 うどんすきは昭和3年から4年にかけて美々卯の薩摩平太郎さんが開発した料理で,すき焼きの後,うどんを入れて煮込むとおいしいので,その味を最初から出せないかということで考案されたものです。商標登録は昭和33年になされています。しゃぶしゃぶは戦後,キタのスエヒロさんが考案されたもので,おしぼりを洗濯機で回す音を聞いて,肉を湯にくぐらせる商品はどうだろうかと考え出されたそうです。うどんを主役とするうどんすきがミナミで,キタで牛肉を主役とするしゃぶしゃぶが生まれたことは,キタとミナミの違いをそのままあらわしているように感じられます。

鯛も使い切れば高くない

 次に,魚についてお話しします。鯛は高級魚ですが,庶民もこぞって尾頭付きを求めました。大阪人はケチだと言われていますが,どうして高価な鯛を好んだのか。鯛が無駄のないお魚だということが一番大きな理由だと思われます。鯛は造りや煮つけ,それに焼いてもいいし,酢の物にもなる。あら炊き,うしお汁にしてもおいしい。骨までしゃぶっているわけです。鯛一匹は非常に高価であっても,いろいろなお料理ができるし,最終的には「安いね」というのがそろばん勘定になっていくわけです。東京人は初鰹を好みまして「初もの食い」です。最初は値段が高く,旬のときより少し味が落ちるわけでして,それに対して大阪人は「うまくて安い」時期を待ちます。大阪人は安いものを買って自慢する気質を持っておりまして,東京人は高いものに誇りを持つ。ここに実質と見栄の違いが見てとれるとは言えないでしょうか。

 次に,「おでん」と「関東煮」ですが,大阪ではおでんと称する食べ物は「田楽」を指したそうでございます。田楽がおでんに名前が変化する仕組みは,かつて京都の御所では言葉を半分にして頭に「お」をつける習慣があり,田楽は「おでん」に縮まります。従来からの田楽のおでんと江戸のおでんを区別するために,関西では関東煮の名前をつけていました。大阪の味つけの関東煮が東京に入っていったのは,関東大震災の炊き出しに関東煮が持ち込まれてからという記録があるそうです。