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2008年3月28日(金)第4,201回 例会

茶の湯と日本文化

熊 倉  功 夫 氏

表千家常任顧問
(財)林原美術館館長
国立民族学博物館名誉教授
熊 倉  功 夫 

1943年生まれ。東京教育大学文学部日本史学科卒業。茶道史,寛永文化の他に日本料理文化史,民芸運動など幅広く研究。

 茶の湯は約600年の歴史があり,16世紀に活躍した千利休によって大成されたといわれています。利休は織田信長と豊臣秀吉の2人の天下人に大変寵愛されます。その結果,小さな個人的な楽しみだった茶の湯が,政治的に大きな役割を果たすようになり,天下の儀式に取り上げられたり,茶室でいろいろな交渉が行われたり,茶道具が一つの富や権力の象徴として贈答される,ということがありました。本来,お茶というのは,知らない人間がいかに誤解なく胸襟を開いておつき合いできるようになるためのテクニックといいますか,上手にできた文化です。

「手水」を使ってまず「清め」

 お茶会にまいりますと,まずお茶室に入る前に手水を使います。必ず,小さな石のところに穴が掘ってあり,そこに水がたたえてある。その水を柄杓でくみ,手と口をすすいでから茶室に入るわけです。この「手と口をすすぐ」というのは,明らかに「清め」です。これから聖なる場所に入っていく,あるいは清らかなことをするというときには,必ず手水を使うというのが日本人の約束事です。皆さんが,神社仏閣にいきますと,必ず入口に手水鉢があります。そこで手水を使わないと,知らず知らずのうちに,自分についているけがれを境内に持ち込んでしまうことになる。

 相撲は日本の古い文化ですので,けがれを清めるための塩が使われます。塩がないときは水で清める。水がないときはどうするか。一番簡単な清めは手をこするだけ,これを「空手水(からちょうず)」と言います。典型的なのは,相撲で関取,横綱が土俵に上がり,まず最初に手を前で合わせて,かしわ手を打って手を合わせ,そして両手を開いて翻します。手を合わせたときに擦るんです,これをちりを切ると言って,ここでちりを出して,手を開いて捨てているんです。

 いずれにしても,手水ということが日本の文化の中で非常に大事なことで,手水を使うことによって初めて茶室に入ることができる。茶室の中は聖なる場所です。世俗というものを手水で洗い流してきて初めて入れる場,ということです。

にじり口くぐり世俗に別れ

 茶室には誰もが入れない,限られた人しか入れないように,小さな不便な入口が切ってあります。これを「にじり口」と申します。縦横60㎝ぐらいの小さな入口が切ってあるわけです。入ろうとするとなかなか難しくて,頭をぶつけないで入ったと思ったら背中をぶつけたりし,とにかく入るだけでも大変です。

 こういう小さな不便な入口がなぜできたのか。ただ,狭き門というだけではなくて,日本人は,小さな穴とか,小さな入口が人間の生まれ変わる入口だと感じて来ています。ですから,茶室の中に入るということは,世俗の自分ではないもうひとりの自分になる,そういう意味合いです。いわばそういう世俗のつき合いだとか,世俗のいろんなややこしいことだとか,そういうものは一切忘れて,そういうものとは違った風流な世界に行きたい,という思いです。ですから,茶室の中では世俗の話をしてはいけないのです。

 じゃ,そこで何をするのかということですが,一緒にごはんを食べる,お茶を飲む。こんなに人と人を結びつける場はないのです。お茶をするというのは,親しくなりたいという意思表示です。ごはんを食べるというとちょっと危険。まして,一緒に酒を飲むなんていうと,これはもう危ない。それを全部やってしまうのが茶室の中です。

 茶室に入ると,延々と飲んだり,食ったりするわけです。「同じ釜のめしを食う」という言葉があります。これは人と人とがどんなに深いつき合いか,つながりがあるかという表現です。まさに茶室の中では同じ釜のめしを食うわけです。もっと大事なことは,同じ火で炊いたごはん,同じ火で沸かしたお湯ということなのです。大事なことは「火」なんです。昔は「火」というものは,非常に大事な清めです。その同じ火を使って一緒に食べたり飲んだりする,これが茶の湯の大事な点です。

回し飲みにこそお茶の神髄

 この飲むというのも,日本人は非常に神経質です。つまり,唇が接するということについて,日本人はほかの民族とはちょっと違って大変潔癖です。逆に申しますと,他人が入り込みにくい。唇の接触ということに入り込んでしまうと,これはもう他人でないという約束事になるわけで,そこに日本の杯の巡杯,杯のやりとりということが起こるのです。

 その昔,宴会には杯は一つしか出なかった。その一つの杯が回る,これが巡杯です。一つの杯が回る,これが一献。二の杯が回る,これで二献。三の杯が回りまして三献。3回杯が回ることを「式三献」と申しますが,この三献がないと宴会が始まらない。そういうわけで,同じ杯を,唇を共にするという儀式が日本では今日まで生きているわけです。結婚式の「三々九度」も新郎と新婦が初めて唇を共にするという儀式です。

 これを茶の湯が上手に取り込み,濃茶の回し飲みという作法がございます。初釜という,お正月にお茶を飲みに家元のところに行く行事がありますが,このときは濃茶というのを家元が練りまして,それを一同で順番に回し飲みをするわけです。つまりこれは,戦国時代に盟約を結ぶ儀式だったわけです。盟約を結ぶということが,人と人との信頼をつくっていく非常に大事な約束だった。一緒にごはんを食べ,一緒に酒を飲み,そして最後にお茶を回し飲みする。こうして4時間過ごすうちに,否が応でもお互いに深く知り合うことになる,これが茶の湯の目標です。

 茶の湯の文化の根っこは,日本の弥生時代,縄文時代にまで深く到達している文化です。それゆえに,今日もなおわれわれの心を魅了するところがあるのではないかと思うのです。