1965年岡山県玉野市生まれ。岡山東商業高校を卒業後,三菱自動車水島を経て,’86年ドラフト3位で阪神タイガースに入団。
’89年6月頃からレギュラーに定着。3年連続本塁打20本以上を放ち,掛布2世と呼ばれる。その後,故障に悩んだが,代打の切り札として復活して,吉田監督(当時)に「代打の神様」と命名された。’05年からMBS毎日放送とサンケイスポーツの野球解説者に就任。
阪神タイガースを引退しまして,まる3年たちました。現役時代は1シ-ズンがすごく長くて,苦しくて,まだ30試合しか終わっていないんかというような気持ちだったんですが,引退してからは,アッと言う間に1シーズンが過ぎます。人のプレーを見て解説するのは気持ちがいいものでして,自分ができるかどうかは別に,こうであるべきということをいっていくわけです。
ストーブリーグが盛んになってきました。FA宣言をした広島東洋カープの新井選手がタイガースに来るのではないか,という報道になっています。きのう,新井は涙を流しながら会見をしていましたが,何かおかしいなと思うんです。カープが好きで好きでたまらないのに出ていかなきゃいけないという現状を見ると,どうも広島はおかしな球団だなというような気持ちになります。エースの黒田投手もメジャーに挑戦するのではないかということで,人ごとながら広島東洋カープという球団が心配です。
選手をとるほうもちょっと考えなきゃいけないかなとも思います。ジャイアンツがFAのいい選手をどんどん獲得して補強していったわけですが,阪神ファンからは「あんな補強をしちゃだめだ。よその球団になってしまっているじゃないか」というような意見を聞いたことがあります。
この前,メジャーリーグから帰ってきた桑田真澄投手も「やっぱり最低でも5~6人は生え抜きの選手がグラウンドでプレーしてないと,ジャイアンツファンは納得しない」ということを言っていました。これはタイガースファンにも当然言えることでしょう。
下柳投手がきのう,FAを申告しました。多分メジャーにも少し興味があるのかな,と思います。彼は来年40歳ですが,最後の最後で一度メジャーのマウンドを踏んでみたいという気持ちはわからんでもないんです。
ことし,毎日放送の仕事でメジャー,マイナーリーグの球場などを見てきました。やっぱり野球発祥の国であるということもあって,非常にいい空気を持った球場が多いんです。ボストン・レッドソックスが本拠地としているフェンウエイパークにも行きました。アメリカでも一番古い球場ということで,その球場を真似て甲子園もつくられたということでした。その球場で,誰も選手はいませんでしたが,グラウンドの中に少し入らせてもらい,ベンチにも座らせてもらったのですが,一回ここでプレーしてみたかったなぁ――過去形なんですが,そういう気持ちになるような球場でした。それだけ重みというか,華やかさというか,そういうのが非常に感じられました。こういうところで最後の最後やってみたいという気持ちになる選手も,これからかなり出てくるんじゃないかと思います。
ことしのタイガースは最後の最後でずっこけましたが,下手するともっと早めにずっこけた可能性があったので,よく頑張ったなという感じがするんです。ことし何が一番心配されたかというと,井川がメジャーへ行ったということで,誰が200インニングを埋めていくかということでした。その心配が結局最後の最後まで解消できなかったシーズンだったという感じがします。
まず,福原と安藤が,俺たち2人が頑張らなきゃいけないという気持ちになって,いつも以上に自主トレで張り切ってしまって2人とも故障をしてしまった。最後の防波堤となってくれたのは,JFK(ジェフ・ウイリアムス,藤川,久保田)の3人の投手です。渡辺,江草も中継ぎで抜群の働きをして,JFKに何とかつないでいった。この5人がことしのタイガースを支えていったといえます。
8月後半からすごく調子が上がってきました。10連勝しました。一時は一気に首位まで行ったわけです。そして調子の悪い先発陣と打撃陣を抱えてもタイガースが3位に入ったことは,僕は評価できるシーズンだったんじゃないかなというふうに思います。
クライマックスに進みましたが,大黒柱となるピッチャーがいないと短期決戦は苦しみます。タイガースの場合はその軸になる投手がいないわけです。とりあえず初戦は下柳で行って,2戦目はルーキーの上園が投げたわけですが,上園に2戦目を託さざるをえなかった苦しさがタイガースにはありました。
いま,子どもたちに野球教室を開いて,いろんな小学校,中学校に行っています。全国,年間40会場,50会場ぐらい行きますので,いろんな子どもたちに会います。やっていて,やっぱり子どもというのは非常に素朴で,素直だなという感じを受けています。
私ごとですが,いろいろな形で野球に携わっていって,勉強をして,チャンスがあればまたタイガースのユニホームを着て指導のほうでも恩返しをしたいなという気持ちはあります。10月の終わりごろ新聞のほうでバッティングコーチの話が出ていました。11月のスケジュールは空けていたんですが,話は全くありませんでした。ことしのタイガースのバッティングはかなり調子が悪かったですから,誰が行ったって全体的にレベルが上がるなと思って,チャンスだなと思っていたんですが,残念ながら担うことはできませんでした。チャンスは来年か,再来年かわかりませんが,そういう時期に備えて,もう一度野球をしっかり勉強して,地域に貢献しながら,子どもたちにもいろんなことを教えながらやっていきたいと思っています。