1969年関西学院大学社会学部卒業。同年,大日本印刷(株)入社。CDC事業部 関西本部長。’97年(株)DNPメディアクリエイト関西社長。’04年情報コミュニケーション関西事業部長を経て,現職。
日本の美術品の中で一番危険な環境にあるのが,襖絵とか杉戸絵などの障壁画でございます。これをできるだけ長く残したいということで,最新の印刷技術を使い,デジタル再製画の制作が始まっております。
会場に並べておりますのは京都の大徳寺,聚光院(じゅこういん)の襖絵『四季花鳥図』と,兵庫県香住の大乗寺の襖絵『松に孔雀図』です。大徳寺塔頭,聚光院の方丈(本堂)室中の間,仏間の前部屋で一番格が高い部屋でございますが,そこの襖絵で狩野永徳の国宝『四季花鳥図』は,日本絵画の名作の一つでございます。御用絵師として手がけた安土城・大坂城・聚楽第の障壁画は数年後に焼失しておりますので,聚光院の障壁画群が当時のまま鑑賞できる唯一のものです。
『四季花鳥図』のコーナーを見ていただきたいのですが,障壁画はこのコーナーがポイントです。右の面と左の面が直角につながっていますから有機的につなげるわけでございます。画面を引き締める効果もございます。障壁画を見る機会がございましたら,コーナーを見ていただきたいと思います。
一方,兵庫県香住にある応挙寺と呼ばれる大乗寺には客殿が13室あり,すべて応挙とその門弟12名で描かれています。障壁画は165面あり,すべて国の重要文化財です。応挙一門の絵がこれだけ一同に会するお寺は,日本でここだけでございます。応挙が貧しいとき,才能を見込んだ当時の住職が学資を助けまして,その恩返しとして一門を総動員して障壁画を描いたと言われます。いま見ていただきましたのは,すべてデジタル再製画です。
わが国は世界でも有数の文化財を多く持っている国です。文化財は,古代から各時代に生まれた遺産を受け継ぎ,自然の風雪を,時には戦乱の中を守り,保存・修復を重ね継承してくれた先人たちの尽力の賜物です。しかし地震・火災・台風・盗難,最悪は放火,さらに大気汚染による有害物質,オゾン層破壊による紫外線の増加で文化財の劣化が急速に進んでいます。特に障壁画など日本画は,紙や木など脆弱な素材が多く壊れやすく,良好な状態で保管されても,経年変化による劣化や破損を完全に防ぐことはできません。
一方で現代の日本は,文化的に成熟した時代を迎え,人々には歴史的な文化財を見たいという願望が強まっています。しかし文化財を所有するお寺や神社では,この危険な環境から文化財を守りたい。そのために作品を美術館や博物館に寄託したり,収蔵庫に保管することを検討するなど悩んでおられます。公開すると劣化のリスク,保管すると多くの人に見てもらうことができない。公開と保存という相反する課題を解決する手段の1つが,原本に忠実に再現できる高精細なデジタル再製画です。そこで10年前,美術品として鑑賞でき,美術史の研究にも活用でき,それ自身が作品として愛され原本の代役として風雪に耐える,というコンセプトでデジタル再製画の事業に取りかかりました。
作家の思想や画暦,表現手法や空間演出など美術史的な研究,それから日本画の素材の和紙・絹本,さらに金箔・板材への印刷と,その再現性も難しゅうございました。耐光性や,高温多湿に堪える耐久性もクリアし,ほぼ日本画のすべてが再現できました。
デジタル再製画を,どのようにつくるかといいますと,まず調査・制作設計です。原本を見て作家の思想的な背景を頭に入れ,どういう状況になっているか,どういう表現をされているか,素材は,色調はというのを制作関係者全員で見せていただきます。次は撮影で,専用スキャナーを使って撮影をします。畳1枚で4億3,000万画素です。プロが使う
35ミリの高級デジタル一眼レフで大体2,000万画素ですから約20倍でございます。また経年による赤ヤケなどは,一番いい保存状態のところに合わせて画像修正をします。
次は印刷でございます。どれだけ高精細かといいますと,写真集とか美術全集の約2.5倍ぐらいの細かさでございます。色と色の差を数値で出す国際照明委員会というのがございます。ΔE(デルタ・イー)という単位を用いて判断しますが,私どもはΔE5.5です。全く退色してないものと退色したものを並べて,やっと素人の方が見て「アア,退色しているな」とわかるレベルです。
時間がたってデジタル再製画と原本の区別がつかなくならないよう,襖の場合は,襖をはずせばフチの上にプレートがつけてあり,デジタル再製画とわかるようにしています。フチの下の部分には,メッセージが書いてあります。銀閣寺の再製画の場合は「宗教法人 慈照寺 方丈障壁画 このデジタル再製画は画像処理技術により一部修正しております。平成19年5月吉日 謹製大日本印刷株式会社」と。といいますのも原本にキズがあると画像処理しますからデジタル再製画にはキズがない。となると再製画をつくった後のキズではないかということも起こるからです。
この事業の,もう一つの大きな意義は,原本を原寸で忠実に再現できる精緻なアーカイブデータを子孫に残せることです。データはデジタルですから劣化いたしません。劣化するのは,それを記憶している記録媒体です。ですから時代,時代の一番いい記録媒体に複製していきますと,理論的に永久にこの画像は保存できるわけでございます。モニターでは人間の目で見えないところまで見えますので教育機関や研究機関,あるいはインターネットで世界に発信できます。この事業を「文化財を多くの人に」,そして「子孫のため」の一助になればと思っております。