1970年大阪生まれ。’94年大阪大学工学部建築工学科卒業,’96年同大学大学院工学研究科修士課程修了。’04年高岡伸一建築設計事務所設立。’06年より大阪市立大学都市研究プラザ特任講師,現在に至る。著書に「大大阪モダン建築」
私が現在大学で取り組んでいる大阪の都市再生について話します。現在所属している大阪市立大学都市研究プラザは2006年に新しく設立されました。
都市研究というのはやはり非常に大きなテーマでございます。それを集中的に行うために,領域横断的に都市研究を推進していこうということで設立されたのがこの都市研究プラザでございます。キャンパスの中にとどまって研究しても都市はよくならない。都市の現場に出ていこうということで,市内各所に「現場プラザ」というサテライトスペースを設けました。現在市内に西成,豊崎,長柄,扇町,そして,私が今かかわっている船場にあります。船場の現場プラザを,私たちは「船場アートカフェ」と呼んでいます。
船場アートカフェは芸術・文化を使って都市再生を考えていくことがテーマです。船場は北は土佐堀川,南を長堀通り,東は東横堀川,西の端は現在は阪神高速が通っている,こういう東西南北に囲まれたエリアのことです。豊臣秀吉の時代に開発が始まり,江戸時代には天下の台所と呼ばれました。大正になってから人口で東京を抜いて文字どおり日本一の都市に発展して「大大阪」と呼ばれた時代があったように,常に大阪の中心であり続けたわけです。昨今は,産業構造の変換であるとか東京集中ということで,全体的には少し停滞していると言われています。
これから船場をどう再生していけばいいのか。その文化・歴史をどうやって復活させていけばいいのかということを研究しています。
その中で1つの試みを,「まちのコモンズ」とタイトルをつけて,昨年の秋に行いました。「コモンズ」の「共有」という意味ですが,「人・物・文化・歴史」,そういった有形,無形のさまざまなものをもう一度再発見してもらいたいということから始めた催しです。
今回の催しは,高麗橋2丁目という限定されたエリアで行いました。いわゆる近代建築と呼ばれる明治から戦前までに建てられた建築が今でも3つほど残っております。
一番東に建っているのが,堺筋に面して建つ高麗橋野村ビルディングです。昭和2年(1927年)に建てられ,当時の大阪を代表する建築家であった安井武雄が設計したビルです。安井武雄という建築家は,大阪ガスの本社ビルを設計した建築家としても有名です。野村ビルと大阪ガス本社を並べて見ると,何となく似ているのがわかります。
大阪教育生命保険,旧大中証券として知られているレンガ造の建築もあります。明治45年(1910年)に建てられた建物です。これを設計したのは辰野金吾という明治・大正期,最も日本で重要な建築家として活躍された方の設計です。関連する建物としては,中央公会堂があります。厳密に言うと設計者ではないのですが,設計に関して全般的に非常に大きな影響を及ぼしたということで,辰野金吾の作品と言ってもいい建物の一つです。それから,中之島に建っている日本銀行大阪支店,これも辰野金吾が設計した建物です。
三休橋筋に面して教会が今も残っています。浪花教会は昭和5年(1930年)に建てられた建物で,教会を得意にしていたヴォーリズというアメリカ人の建築家に設計指導を仰いだという建物です。ヴォーリズは心斎橋にあります大丸心斎橋店の設計もしています。
高麗橋2丁目は,さまざまな老舗が今も残っています。古美術商の画廊なんかもたくさん残っています。小さなエリアに,さまざまな文化的な財産が残っている町です。
具体的にどんなことをやったのかというのを簡単にご紹介したいと思います。
11月27日,a兆さんにお餅つきをやっていただきました。駐車場を開放してもらい,普段は閉められている門を開けて,そこに椅子を置いてお餅つきをやったのがこの試みです。高麗橋2丁目は,古い文化だけではなくて,新しい文化もあります。大阪を代表する世界的なデザイナーの喜多俊之先生のスタジオがあります。喜多先生の代表作である液晶テレビのアクオスをシャープさんからお借りして,そこで,船場の古い時代の写真や動画を展示しました。
最終日には,浪花教会の礼拝堂をお借りして,「コモンズからまちの再生を考える」というタイトルでシンポジウムを開催しました。
こういう催しを去年の11月の末1週間かけて行いました。このイベントをきっかけにして,これまでつながりのなかった町の方々同士のつながりができました。
都市というのは,一般の方にとっては働く場であったり,また,物を買ったり,食べ物を食べたり,そういう消費活動の場というのが第一であって,それ以外の回路の結びつき方で都市と接する機会というのはなかなかない。そういう別の回路のかかわり方をこれからつくっていかないといけないのではないかなと思っております。
大学の研究者が街の中に入り,街の持っている文化・歴史を再発見して,それを一般の方々にわかりやすく発信していく。キャンパスの中でやっていたことを,都市の現場へ出ていってそこでやっていくというのが,意義があるのではないのかなと思っています。
今回のこの試みは,1回だけで終えてしまったのでは意味がないと思っております。やはり継続していかないといけない。今回は高麗橋2丁目で実施しました。来年はこれを別の町へ持っていく。それも毎年転々と町を代えていき,何年か後には船場全体が文化的に盛り上がっていけばいいなと思っております。