1976年東京大学経済学部卒業,’82年東京大学社会科学研究所助手,’88年経済学博士(東京大学),’88年大阪大学経済学部助教授(~’94),
’92年マンチェスター大学名誉客員研究員,’94年大阪大学経済学部教授(~’98),’95年ロンドン大学東洋アフリカ学院客員教授(~’96),’98年大阪大学大学院経済学研究科教授(現在に至る)
戦前の大阪にご縁のあった企業家たちの社会貢献活動(フィランソロピー)についての表をお配りしております。①住友吉左衛門(第15代) ②藤田傅三郎 ③大倉喜八郎 ④岩本栄之助 ⑤新田長次郎 ⑥竹尾治右衛門(第11代)⑦塩見政次 ⑧林蝶子 ⑨山口玄洞 ⑩大原孫三郎 ⑪鴻池善右衛門(第10代)⑫鳥井信治郎 ⑬原田二郎 ⑭野村徳七(第2代)⑮中山太一 ⑯日本生命 ⑰田附政次郎 ⑱谷口房蔵 ⑲伊藤萬助(第2代)⑳伊藤忠兵衛(第2代)〈貢献活動の内容省略〉
社会貢献活動をしてくださった企業家について特徴を3点ばかり指摘しておきます。
1, 現在では社会貢献活動の主体は個人よりもむしろ企業になっていると思われますが,戦前には個人の活動が圧倒的に多かったわけです。この表で登場する企業は,日本生命1社に過ぎません。これは,戦前の大阪で,個人企業,あるいは同族企業が非常に有力であったという事実を反映しております。
2, 企業家たちの出身地で大阪市内とはっきりわかる方は,岩本栄之助さん,鴻池善右衛門さん,鳥井信治郎さん,伊藤萬助さんの4人の方々です。竹尾治右衛門さん,塩見政次さん,林蝶子さんの3人の方々は恐らく大阪市と言っていいと思うのですが,ちょっとわかりません。大阪市を除く大阪府出身が2人,野村徳七さんが河内,谷口房蔵さんが泉南です。この方々を入れて大阪府出身の企業家は,最大見積もっても9人。残り10人は大阪府以外のご出身です。それは,戦前の大阪が全国各地から有能な人材を引きつける力を持っていたことを物語っています。
3, この方々の本業をみますといわゆる財閥で,家族,同族企業で多角的な経営を行っているという規模の大きいグループです。住友,藤田,大倉,鴻池といった方々の事業というのは,細かく言いますといろいろ異論がありますが,広く言えば財閥と言っていいと思います。もう1つ注目されるのは繊維,具体的には綿業で,紡績,綿糸布の売買です。竹尾治右衛門さん,山口玄洞さん,大原孫三郎さん,田附政次郎さん,谷口房蔵さん,伊藤萬助さん,伊藤忠兵衛さん,こういった7人の方々です。
これをまとめますと,大阪では住友,鴻池をはじめとする財閥が非常に重要だった。それから,当時「東洋のマンチェスター」という言葉がございましたが,イギリスの綿業都市マンチェスターと同じように発展していたと言われておりますが,そういった事実を反映しております。
さらに,岩本栄之助さん,野村徳七さんという証券業者,それから,ニッタ,クラブコスメチックス,サントリーといった今日まで続く個性的な企業の創立者が含まれている点も非常に興味深いところです。
第一次大戦(1914-18年)は戦前のバブル期でありましたが,その際に「成金」という言葉が使われます。あまり品のいい言葉ではありませんが,とにかくそこで成功した人がいるわけで,塩見政次さんと林蝶子さんが含まれている点も非常に興味深いところです。バブルというのはすべてが悪いものではございません。
次に,具体的な社会貢献活動を見ていきたいと思います。
1つは,教育・研究関連の活動が非常に多いということです。学校,あるいは奨学金の設置ということでは,大倉喜八郎さん,新田長次郎さん(2件),住友吉左衛門さん,林蝶子さん,野村徳七さんの6件。それから,学校に関連する,あるいは付属する研究機関の設立ということですと,竹尾治右衛門さん,塩見政次さん,野村徳七さん,山口玄洞さん,伊藤忠兵衛さんの5件。それから,大学に関係なく独立につくられた研究機関,あるいは研究奨励金では大原孫三郎さん,原田二郎さん,中山太一さん,谷口房蔵さん,伊藤萬助さんの5件。企業家の方々は,教育研究に積極的に投資してくださったということが確認できます。
2つは,貧困問題への対応,社会政策的活動と申し上げてもよろしいのですが,藤田傅三郎さん,新田長次郎さん,大原孫三郎さん,林蝶子さん(2件),鳥井信治郎さん,原田二郎さん,日本生命さんの8件。こういった事業が目立つようになりますのは,工業化が進み貧富の差が開いてくる,今で言う格差社会が問題になりました第一次大戦以降のことでございます。これに関連しまして病院の設立も,山口玄洞さん,住友吉左衛門さん,田附政次郎さんです。
3つは,皆様になじみの深い府立中之島図書館の住友吉左衛門さん,市立中央公会堂の岩本栄之助さん,市立美術館および慶沢園は住友吉左衛門さんという,企業家の寄付の賜物でありました。
このように見てくると,純粋な「箱もの」は意外に少ない。教育・研究への助成,あるいは貧困問題への対応といった内容本位の活動が,戦前の大阪企業家の方々の社会貢献活動の主流であったと言えます。
現在は,大変な不況の時代になりつつあるように見えます。その中で,企業が本業で実績を上げられる,さらに社会貢献活動を行うというのは,至難の業と拝察いたします。
ただ,余力がおありでしたら,広い意味で教育・研究関連へのご支援が重要ではないかと思っております。もはや手本とすべきモデルもなくなり,日本の将来を私たち日本人自身が手探りでつくっていかなければならなくなっております。そうした時代に,「箱もの」を提供することよりも,むしろ明日の日本を担う若い人材の能力を伸ばし育てていくことが重要と思われるからでございます。