1946年生まれ。’68年甲南大学経営学部卒業,同年(株)ロイヤルホテル入社。’95年同社APEC準備室室長。’96年同社取締役。常務・専務を経て,’05年(株)リーガロイヤルホテル広島代表取締役社長。’07年(株)ロイヤルホテル代表取締役社長,現在に至る。’07年8月当クラブ入会。
今日は私が40年間経験をしたホテルマンから見た話をしたいと思います。その仕事に携わっているからこそ経験できるということがいろいろありますが,ホテルの場合は,有名人に直接接することができるというのも1つの特色かなと思います。私が今ホテルマンをやっているのも,その中の何人かの方々から受けた感銘が原動力になっています。
そのお一人は今の天皇皇后両陛下であります。私が最初に天皇皇后両陛下をお迎えして接遇させていただいたのは,昭和61年,リーガロイヤルホテル京都(昔の京都グランドホテル)でした。
天皇陛下がまだ皇太子殿下であられたころに,妃殿下とともに来られました。私はスイ ートルームにご休憩されるときに,そのお部屋にお茶を持っていくのが担当で,正面のソファーに殿下がお座りになっていました。
その部屋は最上階で,片面は全部ガラス張りです。京都風にそこに障子が入っています。治安の関係で,障子は全部閉めてありました。
そうすると,殿下が,「この障子の向こうは何が見えるのですか」とおっしゃいました。「京都の町が一望に見えます」と言いますと「ああ,そう」とお茶を一口飲まれたんです。「ご覧になられますか」と言いますと「うん」とおっしゃって,窓際に来られました。
「遠くに見えますこんもりとした緑のところが御所でございます」「ああ,そうですか」「もう少し手前の右側のほうの大きな屋根が東本願寺でございます」「ああ,なるほど」「西のこの正面の大きな屋根が西本願寺でございます」と説明しました。
そこへ美智子妃殿下が入ってこられました。殿下はお優しいのです。私がご案内したとおりにずうっとおっしゃいます。こういうことで10分間ぐらい雑談させていただきました。両殿下の優しい眼差しに感銘を受けました。
そのときちょうど,私も行き詰っていることがあって,この会社をやめようかなと思っていたころでしたが,ひとつ頑張ろうと気持ちを新たにしました。今あるのも本当にあのときの両殿下のお陰と勝手に感謝しています。
もう一人はアメリカの俳優で,「インディ・ジョーンズ」で有名なハリソン・フォードさんです。平成9年に,映画「エアフォース・ワン」のプロモーションで大阪に来られました。3日間ほど案内していたのですが,それも終わって帰るというときに,ロビーがマスコミとファンでいっぱいだったんですね。もみくちゃになりながら車にお乗せしたのですが,運転手に「ちょっと待て」と。わざわざドアを開けて出てきて,私のところまで歩み寄って握手をしてくれたのです。それまでほとんどしゃべらない方なんですけれども,さすが大物は違うなと大いに感激しました。
平成7年大阪でAPECがありました。私はホテルとしての総責任者で,ホテルマン人生の中でも一番思い出深い行事でした。18の国と地域から首脳と閣僚約80名を超える方々が大阪に来ました。まさに「VIPがやってきた」という心境でした。
私どものホテルは,アメリカ,韓国,タイ,ニュージーランド,この4カ国の首脳と閣僚19名が宿泊しました。アメリカのホワイトハウスを1週間預かるというのはこれほどすごいことかというのが,私どもの感想です。
まず,準備段階から全然違いまして,1年前のジャカルタの会議が終わったその日の夕方に,このホテルに係官が2名来ました。そして,施設の点検です。これはもう大変ということで,当時の総支配人が,「ロイヤルホテルはAPEC準備室を本日付けで立ち上げた」とPRしたわけです。「川越,とりあえずお前が室長やれ」ということになりまして,そのとりあえずが結局当日まで責任者をやらされたわけでございます。
特にすごかったのは通信設備でした。その1,プレスセンター設営(ホワイトハウス専用)。その2,ホワイトハウス関係者用に6階まで外部からの電話線。メタルで1,000回線臨時敷設工事要。6階以上へは200回線敷設のこと。21階客室2室に電話交換機設置。一部の客室間の壁に穴をあける必要ありとの内容でした。
ホワイトハウスの要人の警護はシークレットサービスが担当します。そういう方が1ヵ月ぐらい前から常駐して点検です。
会議1週間ぐらい前になると,機材の搬入が開始されます。大型トラック7台が到着します。その中のほとんどは,通信機材です。最後の1台が何と缶ビール,コーラ,カップラーメン,その他スナック菓子。客室を2つほどつぶしてPX,コンビニをつくるんです。ホテルの商売あがったり,まさに自己完結です。すごいダイナミックさと細かさ,見事なものだと思います。
会議がスタートしますと,本当に超多忙になりました。翌日のスケジュールは,夜の11時から外務省の方と警察とホテルと合同会議をして,決まるのが大体2時ごろです。それからコピーをして,各セクションに配るわけです。今度は朝の6時から,アメリカと韓国の閣僚がランニングをするんです。ホテルから誰かがお見送りしないといけない。ほとんど2時間ぐらいの睡眠が1週間続きました。
大変しんどかったわけですが,そのときのノウハウがVIPの接待,国際会議等々に生かされております。さらに磨きをかけながら,地域への貢献,役割を果たしていきたいと思っております。