1940年,奈良県生まれ。’60年代から,ゲームソフト産業の草分けの経営者の1人。 ’83年(株)カプコンを創業し,代表取締役社長。2007年より代表取締役会長。同年,藍綬褒章受章。(社)コンピュータソフトウェア著作権協会理事長,政府著作権審議会委員等を務める傍ら, 20年来のプライベート事業として米国ナパでワイナリー,ケンゾー エステイトを経営,世界最高水準のワイン造りに取り組んでいる。
本日は,ゲームとワインの話をさせていただきます。皆さんはどう見ましてもゲームを買っていただけるようなご年代ではありませんが,ワインについては非常に有望なユーザーですので,ゲームの話は短く,ワインの話を長くさせていただきます。
「なぜゲームとワインのビジネスをしたのか」とよく聞かれます。両方とも衣食住とは直接,関係ありません。ゲームがなくても,ワインがなくても,人間は死にませんが,あれば,これほどすばらしいものはないという世界です。
つまり,価値観がなければ絶対に売れない世界です。食べ物はないと,死んでしまうから,品質が少し落ちても安くすれば買う消費者がいます。しかし,ゲームはおもしろくなければ,買っていただけませんし,ワインはおいしくなければ,飲んでいただけません。両方とも,いいものをつくらないとだめだということです。
私の父親は早く死にましたので,私は親の財産や事業を継ぐことができませんでした。自分の仕事を見つけなければいけないということで考えたことは,他の人たちが代々,やっている事業は絶対にやらないということでした。ノウハウと信用が積み重なった所に裸一貫で参入しても勝つわけがないからです。そういう人たちがやっていない分野をやろう,将来に大きく道の開くものをやろうということで,この業界を選んだわけです。
任天堂がファミリーコンピュータを出し,ファミコンのソフトとして任天堂のかなりの分野をわれわれのソフトでやらせていただき, すごく売れました。今も日本で5,000円,欧米で50ドル,50ユーロぐらいの作品が世界で年間約2,200万個,売れています。
アメリカでビデオゲームが社会問題になったことがありました。「子どもが外で遊ばなくなった」とネガティブキャンペーンを張られたら困るので,アウトドアの仕事も考えなければいけないと考え,カリフォルニアのナパ・ヴァレーに広大な土地を買いました。約5年間,乗馬クラブを運営しましたが,利益を出すことは難しかった。
この周りは全部,ワイン畑ですから,「じゃあ,ワインをつくろう」と決めました。この辺りでは「カルトワイン」というワインが作られています。すごくおいしく飲みたくてあちこちと探すのですが,本数が少なく,なかなか手に入りません。価格も高く,1本100万円というものもあり,毎晩,飲むわけにいきません。「じゃあ,うちでつくってやる」とチャレンジしました。
最初は失敗しました。畑をつくってブドウができたら,ちゃんとしたワインになると思ったのですが,カルトワインにはカルトワインをつくる仕組みがあり,畑のつくり方からして違うのです。
ワインの畑は4種類ぐらいのつくり方があり,カルトワインをつくるには相当に丹精をこめた畑にしなければいけません。98年に14万本を植え,2001年に収穫しました。これでカルトワインができると思ったのですが,専門家に「これじゃだめだ。畑のつくり方が間違っている」と言われてしまいました。
そこで,せっかく植えた14万本を2001年に抜きまして,畑を全部やり直しました。時間はかかりましたが,2005年に初収穫しました。おかげさまでカルトワインのつくり方はわかるようになり,他のカルトワインと比べても遜色ないカルトワインができるようになりました。
「ワイナリーを勉強するためには,いいワインをたくさん飲め」とアドバイスされたので,六甲山にある私のゲストハウスに世界中のいいワイン1万本を買い集めました。そこでお客さんと一緒に飲んで,どのワインが最初に減るかを見るのです。
人間の口は正直なもので,飲み比べると,一番おいしいものから減っていきます。ワインは,1つだけを飲むとどれもおいしいのです。ところが,飲み比べるといい悪いがすぐわかります。100点満点でたった1点違うだけでも,この1点がわかるものなのです。
私は気持ちよく酔ってフラフラするのが好きで,これが酒の醍醐味と思っていました。実はこれが大間違いで酒を飲んでフラフラして,ろれつが回らなくなったり,足がもつれるのは,悪酔いしているのです。いい酒は悪酔いしませんから,そんなことはありません。
私たちのテイスティングパーティーでは,1人が平均1.2~1.3本ずつ飲みます。1.3本も飲みますと,普通の酒ならベロベロになって,トイレに走ったりします。しかし,私たちのワインではそんなことはなく,次の日に頭が痛いということもありません。
私は,世界中のワイナリーを回りましたが,私たちのワイナリーはトップクラスになったと思っています。地元のワイン通もビックリするようなワインができるようになりました。これからも世界に通ずるワインを努力してつくっていきたいと考えています。そのためには我慢が必要で,無茶なことはしないというのが私の考えです。ワインビジネスについてはほとんど借金しないでやってきました。
この事業は時間がかかります。3年,5年と時間がたちますと,ワインを取り巻く景色も変わってきますから,変わった景色を見ながら次の手を打ち,創意工夫しながらやってきました。これから頑張りたいと思います。